6話目 男装の騎士 ①



 ――何を見つけたというのか。


 窓から差し込む西陽に急かされるように執務を終えたレオネルは、まだ慣れぬ城の中の長い廊下を図書室に向かって歩いていた。

 

 どんな答えであれば自分は満足するのか。

 何を知りたいと思っているのか。


 あの者の、黄金に赤い薔薇の花弁を散らしたような珍しい虹彩を見た瞬間から、いや、塔で鎖に繋がれた姿を見たときから、レオネルは未知のに向かって手を伸ばしているようだった。

 

 何を掴みたいというのだろう。

 訳の分からない苛立ち、焦燥感にも似たものが、レオネルを突き動かし足音を荒くさせる。

 眉根を寄せ黙考するレオネルが、不機嫌に見えるのか、擦れ違う者は皆、主と顔を合わせないように目礼しつつおもてを軽く伏せるようにしたまま、足早に行き違う。


 長い廊下と階段を経て、漸く辿り着いたようにも思える図書室の扉に手を伸ばそうとしたところで、傍らに護衛騎士のフィトがいることを思い出したレオネルは、束の間の思案の後、廊下で待つように告げた。

 護衛騎士は例え城の中であっても、傍を離れることはならない。フィトが何か言うだろうと思い、ちらとその顔を見れば、何も言わずに大人しく目を伏せている。

 意外だった。思わず唇の端に皮肉な笑みが浮かび、言葉が突いて出た。


「待て、の出来る犬は嫌いじゃない」


 フィトの薄い唇が僅かに弧を描く。レオネルは、それを横目に、扉を開け身体を滑り込ませるようにして中に入ると、振り返ることなく後手で扉を閉めた。


「……エリアス」


 名前を囁きながら暗く広い図書室の中を、奥に向かって進む。

 突き当たりの壁一面の本の前で、エリアスが、らしからぬ様子で行儀悪く小さな丸テーブルの上に足を投げ出し、何かを読んでいる姿を見つけたレオネルは、自分の側近は酷く機嫌が悪そうだと小さく溜息を吐いた。


「これはこれは、殿下」


 気配を感じたのだろう、いや、扉の閉まる音で気づいていたに違いないエリアスが、レオネルが傍に来るのを待って、ゆっくりとその顔を上げる。


「……悪かった」

「悪いと思っていないのに謝ってはいけませんと、幼い頃から申し上げておりますが」

「思っている。急ぎ調べよなどと、あのように追い払うような真似をしたことは謝る。だから……悪かった」

「まあ、良いでしょう。私も少々、大人げ無いことをしました」

「少々? あれ以来、朝も顔を合わさず執務を放り出し図書室に呼び付けて、まあ確かに少々だな」


 口調とは裏腹に、目元も柔らかく互いに少し見合った後、エリアスが足を下ろしテーブルに読みしの物を置くのを見て、レオネルは自ら椅子を近くに持って来て腰を下ろした。

 レオネルの座るのを見届けたエリアスが、促される前に口を開く。


「結論から言いますと、あの女人に関する書物は、何も残されておりません。しかも、ここが以前レイズ王国であり、元を正せば、この図書室はレイズ王国の王宮だった頃から同じ場所にあるとされているのにも関わらず、系譜の巻紙も残っていない。落城時に燃やされて当然? まあ、そうなのかもしれません。しかし奇妙なのはレイズ王国に関して少しでも触れている書物が、言葉どおりないんです。作為を感じると思いませんか?」

「ほう。つまり?」

「それらの書物が意図的に、廃棄されているのは『何か』を隠したいのか、それとも『別の思惑』があるのかといったところですね。隠そうにも隠し通せる筈はありません。歴史上レイズ王国が存在したことは、近隣諸国も周知の事実です。それに、例えここには無くとも、これまでの国史を保管してある王宮へ行けば、レイズ王国に関しての書物も見つかる筈です。様々な歴史家が記したヴェネセティオ王国の史書に於いて、編年体であろうが紀伝体であろうと建国に際してレイズ王国への侵略があったことを避けて通れる訳がないのですから」

「であるなら、ヴァッサーレ城にだけ?」

「そう考えて間違いないでしょうね」

「……ならば、それを命じたのは建国王か」

 持て余し気味の長い脚を組み、レオネルは肘掛けに腕を置くと天井を仰いだ。

 城を陥落させただけでは飽き足らず、誰かからレイズ王国が存在したことすらも奪いたかったのだとすれば、それは誰だ?

 過去をも消し去りたいほどに、建国王が躍起になった訳は何だ?

 望まない答えは考えたくもないが、レオネルのすぐ近くにあると本能が告げている。目を逸らしたいだけで、もう既に分かっているようなものだった。

 先ほどの理由の分からない焦燥感も未だに治まりきれないレオネルだったが、このまま、その訳さえも何もかも、分からないままにしておきたいような気さえしていた。


「では、何も分からなかったのだな」


 だが――


「いえ、そうは言っておりません」


 そんなレオネルを、見透かすように白々しく言って退けたエリアスの秀麗な顔に、苦々しい流し目を送る。


「……だろうな。続けろ」

は、ありませんでしたが、個人の日誌らしきものを見つけました。とはいえ、完全なものといえない状態ですが」

「どういうことだ?」

「何冊かあるみたいなんですが、私が見つけることが出来たのは一冊。それも建国王の治世が始まって五十年ほど過ぎた頃の、最後の一冊です」


 テーブルの上に置かれたものに、エリアスの視線が動く。レオネルは羊皮紙で出来たそれを手に取り、一枚ずつ捲る。


「俺が読む前に、内容を端的に聞かせろ」


 静かな図書室に、レオネルがただ紙を捲るだけの音が響く。


「書かれていたのは、あの塔のことでした。そして、塔に閉じ込められている人物について心情が吐露されている部分がありました。

 惻隠の情を禁じ得ない。

 ……実に、お可哀想な姫君であると」


 日誌の中、塔について触れている箇所は少なく、たったの数行。

 塔の中に幽閉されている人物を不憫に思うことが綴られ、その人物が『年月を経ても以前と少しもお変わりにならない様子』の『お可哀想な姫君』であるということ。去り際のロランド国王の蛮行には、思わず目を覆ってしまったこと。


「この頃、王都は既に現在の場所へと遷都していました。歳を重ね病を得ていた建国王は、これを最後に再びヴァッサーレ城を訪れることもなく、また、日誌によれば塔に足を運んでから一年を待たずして身罷られています」

「……去り際の蛮行とは?」

「悍ましく、見るに耐えない行為だったとしか書かれていません」


 夥しい血の跡が残る塔の様子を思い出し、年老いて病を得ていた建国王がした目を覆いたくなるほどの悍ましい蛮行とやらが何であるのかを想像して、レオネルは背筋が寒くなるのだった。

 

「であれば、あの者はレイズ王国の姫君ということか?」

「私の記憶が間違いでなければ、レイズ王国の最後の国王には子女が七人、そのうち五人が王女で三人は国外に嫁ぎ、残る二人のうち一人は降嫁されたと」

「数え間違いでなければ、まだ一人残っているな?」

「おそらく、その方が年月を経ても少しも変わらない……」

「お可哀想な姫君、か」


 彼女は、塔の中に監禁されるほどの何をしたというのか。しかも、鎖で繋がれた上に、繰り返し行われたであろう建国王による蛮行。翻って考えてみれば、なんという執着心だろう。

 レオネルは両眼を閉じると、目蓋の裏に寝台に横たわっていた儚い姿と、美しい黄金に散る赤い色の瞳を思い浮かべた。


「……目を覚ましただろうか」


 無意識に吐息と共に溢れ落ちた微かな言葉を、並んで座るエリアスが拾い上げる。


「そこまで気になるのでしたら、すぐにでも見に行かれてはどうですか?」

「気に……? 俺が気にしていると?」

「ええ、そうです。殿下は気づいておられないのかもしれませんが、この部屋に入って来た時よりずっと、落ち着きがないようにお見受けします……いえ、昨夜からと言った方が良いでしょうね。周りが見えないほどに、あの者を気にしていらっしゃる」

「……何が、言いたい? エリヤ?」


 顔を歪め、痛みを堪えているようなエリアスに驚き、レオネルは幼少の頃の呼び名で問うた。真っ直ぐにレオネルへとエリアスは、向き直る。何かを探るように、じっと互いの目を覗き込んでいたが、やがて耐えきれなくなったように先に顔を背けたエリアスは、大きな溜息を吐きながら、両手で顔を覆った。


「分からない……戸惑っているんだよ。何かに興味を持つ君を見てみたかった。ずっと、ね。レオネル、君は母君を亡くされた幼い頃から、何もかも諦めてしまっているようだったから。そんな君を知っているからこそ、今の君を喜ぶべきなのに……だが、喜べないんだ。それがよりにもよって、建国王に隠されていた女人だなんて。どうして、別の人じゃ駄目だったんだろう。昨夜のことにしたって、そうだ。レオ。君がまるで君でなくなってしまうようで、怖いんだ」


 考え過ぎだ、と笑い飛ばそうとしたがレオネルには出来なかった。

 何故なら既に自分は、これまでに感じたことのない、未知の感情に支配されていることにレオネルは気づいていたからである。




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