2話目 幽閉の姫君 ②



 燈火あかりを掲げ、縁が欠け脆くなった石の螺旋階段を、一段また一段と踏みしめるように上る。


 狭い階段の壁に片手を触れながら、それぞれの燈火あかりで幾重にも重なるようにして大きく歪に映し出される二人の影は、いざなうように手を伸ばす黒く禍々しい亡霊にも見えた。夜陰に沈む不気味な塔の中、次々と谺になり反響する足音が、靴底で礫が粉々になる感触が、レオネルとエリアスの背筋をぞわりと伝い、耳の奥までをも震わせる。

 果てがないようにも思えた頃、ようやく長い階段の先に、闇に沈む鉄の扉が見えた。


「ここで階段は終わりのようですね」

「……さて。何があると思う?」


 誰に潜める必要もない筈であるのに、レオネルが耳元に寄せて囁いた言葉にエリアスは片方の眉を上げ不遜な態度で答えて見せた。

 そのまま二人で息を殺し、扉の向こうを窺うように耳を立ててみるが、音という音が闇に吸い込まれしまったかのように、どれだけ待とうとも、あるのは耳に痛いほどの静寂ばかりである。

 漏れ聞こえてくるものなど何もなさそうだと、互いに顔を見合わせたのは、しばらく経って後のことだった。


「扉の向こうは何もない、と言いたいところですが……」

「やれやれ、お互い莫迦らしい事をしたものだ。そもそも隠しているものが財宝であるなら、音などする筈もないのだからな」

「まあ、そうですけど……言い伝えの件がありますからね。扉の向こうには穏やかに歌う美姫でも居るかと、知らず期待していたのかもしれません」

「ははッ。確かに。有り得ないと思っていながらも、言い伝えに踊らされたか。とはいえ中に何があるにしろ、このままでは埒が明かない。建国王が厳重なまでに隠していたものを確かめるには、潔く扉を開けて然りだな」


 腕を伸ばし、扉に手を掛けようとしたレオネルを、エリアスが押し留める。


「私が開けます。罠があるかも」

「ここまで来て? いや、無いだろう」

「……何故、そう言い切れると?」

「あの扉を開けられるのが建国王だけならば、ここまで来ることが出来るのも、平明に彼だけとなる」


 尤もだと思いつつも何か掴みきれない漠然とした不安を隠しきれないエリアスが、伸ばされた手を引き留める間もなく「故に罠などある筈もない」と言いながら、力を込め錆びつく重い扉を躊躇なく開けたレオネルだったが、燈火あかりを掲げ、闇の向こうにあるものをしっかりと目が捉えるまで要したその一拍。やがて、その背中が強張り、ぐっと息を呑む音が聞こえた。


「どうしまし……た……?」


 強張るレオネルの背中越しに、扉の中を不審そうに覗き込んだエリアスもまた、部屋の中の光景に同じく息を呑む。


「……これは」


 何より先に、悪臭が鼻についた。

 そして遅れること僅か、枯れ枝にも似た骨と皮ばかりの地面に伏すものが、人であると気づく。

 その、人らしきものの両手首は枷と鎖に繋がれ、首と片足の鉄輪の先には、逃げるのを赦さないとばかりに繋がれた長い鎖でもって石の床にくびきを打たれているのが見えた。

 さらに目が暗闇に慣れて来る頃には、汚れでもつれ、あげく奇妙な塊となった元の色すらも分からない長い髪が。身体を覆っていた粗末な服らしきものは最早その形を留めておらず、朽ちて石の床に僅かな繊維が残るばかりであるのが、見て取れたのだった。

 目が拾うものは、それだけではない。

 害獣の細かな糞、死骸の欠片らしきもの。だが、何よりも悍ましいのは、石の壁や床の上に一際、黒く滲みになっている部分だ。飛沫や溜まりの痕。果たしてそれが、何であるのかに気づいた途端に、背筋が寒くなる。


「まさか生きて……いや、だ? 不老不死の人間は、実在していたというのか?」


 レオネルの茫然とした声に、エリアスは我に返った。


「確かめますか? それとも……」

「いや……見なかったことには、出来ない」


 このまま捨て置くかと、エリアスが暗に仄めかしたことにレオネルは、小さく首を横に振った。

 主君の意を汲んだエリアスは、酷い臭いに顔を顰めながらも地面に伏したまま微塵も動かない身体に近づくと、石の床に片膝を突き、片手に持つ燈火あかりを掲げ、恐るおそる覗き込んだ。

 ひび割れた唇、閉じた目蓋、浮き出た肋骨に手足は長く、人間の皮膚を張りつけただけの醜い作り物のようだ。

 ゆっくりと、もう一方の手を伸ばす。強く触れたら、脆く崩れてしまうのではないかと思いながら、首筋に指先をそっと落とした。

 ……ある。

 僅かだが脈と、微かな温もりが。

 あまりの驚きに軽く目を見張りながらエリアスは、勢いよく振り返るとレオネルに向かって小さく頷いてみせた。


「そうか……言い伝えは真実だったとはな」


 この人物が誰であるのかは分からないが、幽閉していたのは建国王その本人である。

 罪人の如く塔の中で鎖に繋がれ、死ぬことも叶わず、およそ二百三十年。罪人であるのなら、どのような罪を犯したのだろうとレオネルは微かに眉を顰めた。

 だが、言い伝えでは罪人であると云われてはいない。『不老不死の姫君』『薔薇のように美しい』それから『漏れくる歌声を聴いたものは必ず死ぬ』とだけ。

 ――死ぬ。

 高貴な人物なのか、美しいかどうかも分からないが、肢体は女のものである。部屋の有様を思えば、漏れていたのは歌声ではあるまい。

 ……おそらく、悲鳴。

 不老不死の女が塔に閉じ込められており、繰り返し嬲られ漏れ聞こえる叫び声で、あるいは嬌声で、その存在を知った者は、口封じに殺されたのだと考えて間違いないだろう。

 それでも人の口に戸は立てられぬ。

 華やかで苛烈な逸話の残る建国王ロランドと、その自らの手で隠されるように塔に閉じ込められていた大罪人のような扱いを受けるこの人物は、どのような関係だったのか。

 何事にもあまり興味を覚えることのない自分が、面白い、と知らず唇の端に笑みさえも浮かべていたことに気づいて、レオネルは他人事のように驚きを感じた。


 すらりと腰に佩いた剣をレオネルが抜く金属の擦れる音が、塔の中に冷たく響いた。


「……試しますか?」


 主君の動きを追ってエリアスが口にした言葉に、不快げにレオネルの肩が揺れる。それを目の端で捉えたエリアスは、失言だったと遅まきながら気づいた。


「試す? 何を試す? よもや殺してみるかと尋ねているのではないだろうな? 剣を刺したところで死ぬとは到底思えないが」


 床に染み込んだ夥しい黒い血の痕に目を落としながら低い声で答えたレオネルは、鎖に剣先を当て大きく振りかぶり、突いた。

 何を……とエリアスが思う間もなく、脳天に刺さるかと思うほどの金属の打つかり合う音が、塔の中に響き渡る。

 同じ動作を何度か繰り返すと年月を経て腐食していた鎖は脆く、壊れた。


「この者に興味を持った。連れ帰る。エリアス……? 何か言いたそうだな?」

「いえ……仰せのままに」


 エリアスは、慌てて顔を伏せる。

 興味……とは。レオネルらしからぬ言葉を聞いて、エリアスの咽喉の奥が奇妙な音を立てた。

 毛織りのケープを脱ぐとエリアスは、石の床に跪き、意識のない身体をそれに包んで抱き上げる。驚くほど軽い。吐き気が込み上げるほどの臭いに、顔を顰めまいとしながらレオネルに向き直ると「城の者に聞かれたら、何と言い訳を?」と尋ねた。

 聞かれるようなことがあればな、とレオネルの形の良い唇が、皮肉げに歪む。


「森で拾った、で良いだろう。嘘ではない」




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