第1章 繊月

1話目 幽閉の姫君 ①





 ここ、ヴェネセティオ王国には建国以来、まことしやかに囁かれる言い伝えがある。


 北部の山岳地帯の麓にある禁足地とされた森の中に、衆目を忍ぶように造られた高い石の塔があり、そこには不老不死の姫君が幽閉されているというものだ。

 その姿は薔薇の如く美しく、同じように棘を持ち、だが、薔薇と違うのは手を触れずとも見た者を悩ませることが出来るのだというのに加えて、塔より漏れくる歌声を聴いたものは必ず命を落とす、というものもあった。

 


「……どうやら、あの塔のようだな。エリアス、言い伝えは本物だと思うか?」

 

 各々が片方の手で掲げた燈火あかりで闇を小さく照らし、蠢くようにも見える樹々の隙間を縫うようにしながら、その道なき夜道を馬に乗ってゆっくりと進む二人の男の影がある。

 そのうちのひとりが行手の闇の中、先の方に、ぼうっと白く朧に浮かんで見える石造りの塔を認め、密かな声を漏らしたのだった。

 馬を背後に並べ、僅かに覗く夜空に浮かんだ心細いほどの繊細な月を見上げていたエリアスと呼ばれた男が、静かな声で答える。


「不老不死だか幽鬼だか何だか分かりませんが、怖がって誰も近寄ろうとしないのですから、真偽のほどは確かではありませんね。しかし『言い伝え』とは元来が真実と信じられる物事、さらにはそれにまつわる話によることを殿下もご存知のはずですよ」


 丁寧ではあるが、どこか冷たく突き放すような物言いが、かえって二人の仲が単なる主従の関係に留まることのないことを窺わせた。


「まあな? だからこうして確かめてやろうと、わざわざこんな所まで来ているんじゃないか。それよりも……二人の時に『殿下』と呼ぶのも、その喋り方も禁止した筈だろう」


「その理由が乳兄弟だというのなら、言わせてもらいますが……。あー、レオネルらしいところではあるけど、殿下と呼ばれる人が良い歳にもなって、あまり気安いのも本気でどうかと思ってるんだよ。ということなので、ある程度は線を引かせてください」


「俺は、まだ二十二だ」


二十二なんですよ?」

 

 エリアスは、思わず呆れたような声を上げる。

 その上、新しく領地として拝領された北の領土の視察ついでとはいえ、護衛騎士さえも連れずに何がしたいのか、このような場所まで足を伸ばすとは、まったくもって酔狂なことだ、とエリアスは暗闇に紛れそっとため息を吐いた。

 夜目にも、吐く息が白いのが分かる。

 雪が降るまで、そう間もないだろう。

 王都を出たのは、汗ばむことすらある暖かな秋の始まりの季節であったというのに、早くも冬を感じさせる冷たい風が、黒い毛織りのケープの隙間から入り込む。


「何を今さらに。俺とお前の仲じゃないか」


「だからこそ、です。積もり積もって勘違いも甚だしく、私が驕慢に振る舞いだしたらどうします?」


「……くだらん。お前に限って、あるわけがない。だが、そうだな……確かに俺に対しては、すでに充分なほどに傲岸不遜な気もするよなあ」


 夜闇に紛れていても、声の調子でレオネルが笑っているのが分かる。


「それにしても……東の隣国とのいつもの小競り合いに過ぎなかったとはいえ、此度の戦いを収めた褒賞が、辺境の地の古城と、決して豊かとはいえない北の領地とは……陛下のお考えはどこにあると思います?」


「ははッ。さあな? だが、この地は直々に陛下が治めていた国防の要所の一つであるのも確かだ。とはいえ俺が北に追いやられたことで、王太子が第二王子異母弟に決まるのではないかと浮かれ騒いでいるのがいるらしいじゃないか。しかも、あの女が、俺になんと言ったか聞いていたか? 『由緒ある始まりの土地を授けられるなど、とても名誉なことですわね』だと」


「良いじゃないですか。王妃さまが非常に分かりやすい方で」


「まあ、何はともあれどんなに急いでも王都から馬を途中乗り継ぎ、休むことなく早駆けして五日半も掛かるんだ。王宮内のそこかしこに漂う、あの女の鼻につく香水を嗅がずに済むことを思えば有り難い」


 王宮内のどこにでもいる王妃の間諜かんちょうや取り巻きを揶揄するレオネルに、ただ有り難いだけで済めば良いが、とエリアスは前を向いたまま、僅かに顔を顰めた。

 王都から離れていることは利点ばかりではない。何か事が起きてからでは間に合わない距離に思えた。謀叛の罪を擦りつけるには充分な距離でもあるし、逆に、実際に此方側が謀叛を起こすために密かに手筈を整えるに足る充分な兵力も、距離もある。

 ……深読みしすぎだろうか。

 社交シーズンが終わってこの時期での拝領だ。予想違わず、いずれの場で陛下は王妃の望み通り、第二王子を王太子にすると宣言を下されるのかもしれない。早くて次のシーズンでなければ、遅くもその次のシーズンという可能性もある。

 第二王子もレオネル同様に、未だに妃を迎えることなく、十九歳になった。

 また、彼には幼い頃から内々に決められた婚約者候補が数名いるものの先は不透明であり、その上、レオネルには決まった候補者すらもいないのだから、王太子となる方に娘を嫁がせたいと画策し、化かし合いを続けている腹黒い貴族どもが、より一層の血眼になる様が見て取れるようだ。

 依然として、はっきりと王太子を名指しすることのないままでいる陛下の考えは、どこにあるのか……。

 このまま、王妃の一人勝ちとなって終わるようには思えなかった。

 

 エリアスは、主であると同時に、自身にとって大事な乳兄弟でもある第一王子をそっと盗み見た。

 緩く癖のある黒髪から覗く美しい切れ長の双眸に、整った鼻梁。皮肉げに歪められがちな形の良い唇。顎から首筋にかけての線。それら色香の溢れる精悍な美貌。さらには鍛え上げられ、しなやかな筋肉に覆われた無駄のない均整のとれた長身の体躯。

 戦場においての覇気は凄じく、黒い獅子と広く呼ばれ内外に恐れられている。

 また、レオネルの姿が、現在の豊かで平和な大国への基礎を築いた建国王であるロランド国王に酷似していることを、絵姿を見て知る人も少なくない。

 民心を惹きつけて止まないレオネルが『王と成るべく生まれたようだ』と事あるごとに人の口に上るのを耳にする度に、王妃が歯を軋ませる姿は見飽きたほどだ。

 しかし、レオネルは第一王子とはいえ出自の低い側室との間に生まれた子供だ。担ぎ出そうとする輩が居ない訳ではないが、未だ確たる後ろ楯もなく、王妃の子である第二王子を王太子に望む声の方が、遥かに大きい。

 だがそれよりも何よりも……と、エリアスは首を小さく横に振る。

 レオネル本人が、王位に関心がない。いや、違う。レオネルは、これまで他の何にだって執着を見せたことがないのだ。


「おい。エリアス、何を物思いに耽っている? また、余計なことでも考えていたんだろう。そうこうしているうちに、ほら。見ろ。どうやら着いたみたいだぞ」


 馬上から身体を捻るようにして、エリアスを振り返った。

 そのレオネルの顔に浮かぶ闊達な笑みを見返しながら、エリアスは思う。レオネルに、周囲を出し抜き王位を勝ちとろうとする野心があれば、自分はどんなことでもするだろう、と。両の手を血で濡らし、たとえひとり地の底に落ちても構わなかった。


「ただひと言、王座を望むと言ってくれたら私は……」


 エリアスの小さな呟きは、レオネルには届かない。

 

「ん? 何か言ったか?」


「いえ。何でもありません。欲深いのは、私だと思っただけです」


「ふうん? この塔に宝物ほうもつがあるとしたら独り占めしようとでも考えていたのか? 確かにを目にすれば、どのようなものが中にあるのか、気にならない方がおかしいかもしれん。奇妙な言い伝えからしても、よほど大事なものが隠されているんだろう」


 、と言いながらレオネルが指し示す方を見たエリアスは、それに気づいた途端に目を剥いた。

 石造りの塔の周りには野薔薇ノイバラに、アザミ、エニシダと棘や毒のある植物がまるで侵入者を拒むように蔓延っている。


「凄いことになっていますが、良く見ると自生している感じじゃないですよね。最初は手を加えていたのが長い年月を経て、勝手に増殖したと思って間違いなさそうですが……」


「そこじゃない……いや、それもそうだが塔を見ろ。気づいたか? 夜目では分かりづらいだろうが最上部に小さな明かり窓が、ひとつ。たった、ひとつだ。さらには鉄の扉の紋章。あれは建国王のもので間違いない。見えるか? しかもご丁寧に魔石まで嵌め込まれているんだからな」


「紋章と魔石で封じている……? つまり、あの扉を開けられるのは建国王だけ、ということになりますね。いったい、中に何があるんでしょう」


 思わず息を呑むエリアスにレオネルは、にやりと唇の端を持ち上げてみせた。


「ああ、よっぽどのものだろうな。……ははッ。ようやくお前も、その気になったようで嬉しいよ」


 ひらりと軽い動作で馬から降りると、レオネルは腰に吊っていた帯剣に手を掛け

「何よりまずは、塔までの道を作ろう」

と、言うが早いか剣を抜き荊棘の蔓を薙ぎ払い始めた。

 慌ててエリアスは馬から飛び降りると、レオネルを制し前に入ると剣を抜き、身体が通れるだけの道を作るため腕を動かす。


「頭の上まで荊棘の蔓があるとは、なかなかに、大変だな」


 早々に剣を収め、背後に続くレオネルの言葉にエリアスは苦笑で答えた。

 どうにか塔の扉の前まで来る頃には、エリアスの毛織りのケープは荊棘の蔓によって、見るも無惨な様相となっていたのである。


「さて。この先は、俺に任せろ」


「流石に考えがあるんですよね? 魔石が嵌っているとなれば、扉は本人にしか……この場合は、疾うに身罷られている建国王にしか開けられない筈です」


「果たして、そうかな? なに、簡単なことだ。エリアスが知らぬこともないだろう? 魔石が反応するのか」


 レオネルは剣を抜き、躊躇なく刃に指先を滑らせると、滲み出る液体を見下ろしながら不敵な笑みを浮かべた。


「血、だよ。つまり俺の中に脈々と流れる建国王の血がある限り、魔石が反応しない筈はないと思わないか?」


 赤く濡れた指先を、レオネルが魔石に塗りつけた瞬間、白い光が淡く扉を染める。

 そっと扉を押すような仕草をレオネルがした途端、扉はまるで水のヴェールのように左右に分かれ、気づけば、塔の内側の澱む闇にエリアスと共に包まれていたのだった。

 足元に下ろしていた燈火あかりを掲げる。


  ――上へと続く螺旋階段が、見えた。









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