12話目 むかしむかし、あるところに ……

 

 それはむかし、そらの上に住まう翼を持つ者たちによって世界は造られたばかりの、大地のその半分が氷に閉ざされていた頃の話だ。

 


 ……神話なら知っているって?


 そうだね。

 神話であるならば、もちろん僕も良く知っている。

 そのなかでも、そらから落ちて来た翼のげた男を娘が助け、やがて二人は愛し合うようになった、と云う話は?


 ……うん。

 この世界の人々が僅かながらも魔力を持っているのは、翼のげた男とそれを助けた娘の子孫であるからとされている話だよね。



 ――まあ、神話は次のような話だった。



 鬱蒼とした森の中、湖の傍にある粗末な小屋に娘がたったひとり住んでいました。

 何故ならその娘は、周囲と余りにも掛け離れた醜い容貌をしていた為に疎まれ、家族からも忌み嫌われ、誰の目にも触れることのないようにと隠れるようにして森の中で暮らしていたからです。

 また、その娘は人との関わりが少ないために、話す言葉も不自由でありました。

 それでも娘の心は輝く月や透き通る湖の如く、言葉は不自由でも歌う声は暖かな陽射しを思わせるものでした。


 ある月のない寒い夜のことです。

 凍りついた湖にそらから眼も眩むような一条の光が落ちるのを見た娘が小屋の外に出ると、片翼のげた異様な姿の男が倒れているのを見つけました。

 恐るおそる近寄り覗き込んでみれば、青白い顔で眼を閉じ、人とは違う翼のある背から血を流す異様な姿。それでも光を溶かしたような神々しい迄の光を纏う美しさに娘は声もないほどに驚きました。

 翼があることからしても、人ではありません。恐ろしく思いつつも捥げた翼のあまりにも痛々しい様子に、娘は放って置くことなど出来ず、瀕死の男を小屋へ連れ帰ることにしたのです。

 男を介抱する間、娘は考えました。

 自らの醜い姿で、男を驚かせてしまわぬようにと頭巾で隠し、決して顔を見せることはないようにしよう。

 やがて娘の懸命な介抱によって男の傷は癒え、息を吹き返しました。

 ところが傷は癒えても片方の翼は捥げたまま、男の背中には片翼が残るだけ。大きく広げ羽ばたいたところで、そらまで舞い上がることはありません。

 それでもそらへ還りたいのでしょう。

 男は日毎夜毎、美しい顔を涙で濡らします。

 そのうちに男は夜になると青く凍りついた湖の上で、そらを眺めるようになりました。

 娘は、黯く美しい男の横顔に見惚れるばかりで、どうしたら良いのか分かりません。

 言葉の不自由な娘でありましたが、悲しみに暮れる男をどうにか慰めるうち、人の言葉を必要としない男と言葉の不自由な娘はやがて、心で会話をすることを覚えました。

 そして娘は知ったのです。

 男がそらから落ちて来た理由を。

 罪を犯した男は、翼を持つ仲間たちの居る場所から落とされたからなのだ、と。

 地上にて罪を償えば、そらへと還ることが出来ると言われてはいたものの、片方だけになってしまった翼では、もうそらへ還ることも出来ず、かと言って人里に降りることも出来ないと男は嘆きます。

 男は醜い顔を頭巾で隠す娘と二人、粗末な小屋で暮らすしかありません。

 娘は思いました。

 このような寂しい場所で醜い顔の娘と二人で暮らさなくてはならないとは、それが罪を犯した翼を持つ美しい男への罰なのだろうか。であるのなら可哀想な男を不快にさせぬように、せめて頭巾を被っていよう。

 

 片翼の美しい男は、人にはない不思議な力がありました。

 醜い娘がひとり暮らしていた頃には日々の食べることにも苦労していましたが、男の持つ不思議な力で少しずつ暮らしは豊かに変わっていったのです。

 また共に暮らすうちに、男は頭巾を被ったままの娘の心の清らかさや温かさに触れ、安らぎを覚えるようになりました。それまで孤独だった娘もまた、男との暮らしで初めて幸せというものを知ります。

 共にいるうちに娘を愛するようになった男は、頭巾の中の顔がどれほど醜くても構わないと思うようになりました。しかし娘は決して頭巾を脱ぐことはありません。

 自らの醜い容貌は誰からも忌み嫌われると知っていた娘は、男の心変わりを恐れ幸せを失うことに耐えられず、素顔を見たいと懇願されても首を横に振るばかり。

 男の方はといえば、頑なに隠されれば隠されるほど、頭巾の中の顔をひと目見てみたいと思うようになります。どれほど醜かろうと気持ちは揺るぎないものであると、男も自らの想いを確かめたかったのかもしれません。


 ある月の明るい夜です。

 男はこれ以上は耐えられないと、寝ている娘の頭巾をそっと脱がしました。

 頭巾を脱がされた娘は、明るい光を感じ朝が来たのだと眼を覚ましました。

 ゆっくりと身体を起こし、月明かりに照らされた娘の顔を見て驚いたのは男です。

 柔らかく細い銀色の髪に、恥ずかしげに伏せらた菫色の瞳。白い肌に赤く膨らんだ唇。

 醜いと忌み嫌われていた娘の姿は、男から見れば実に美しいものでありました。

 男は改めて娘と恋に堕ち、やがて二人に良く似た子供が沢山生まれます。

 子供たちの不思議な力は氷で閉ざされた大地を溶かし、新しい世界が始まりました。



 ――これが、君たちの知る神話だ。


 だけどね? 『僕』からすれば君たちの神話は、長い年月を経て事実が歪められた話に過ぎないんだよ。

 何故なら『僕』こそが、君たちの知る神話に出て来る『翼のげた男』だから。

 彼女との出会いは確かに青く凍りついた湖の上だったけれど、そもそも『僕』の翼はそらから落ちてげたのではないんだ。


 そらから地上を眺めているうちに『僕』は、ひとりの娘に恋をしてしまった。

 人の娘に恋をするのは、そらの上では大罪のひとつと知っていても『僕』は彼女を諦めることは出来なかった。全てを失っても、彼女と共に居ることを『僕』は選んだ。


 翼を持つ人ではない『僕』が、地上で人と共に生きるためにはどうすれば良いのか知っているかい?

 『僕』の魂は人とは違う。

 地上に暮らす為には『僕』の魂を彼女の魂に結びつける必要があったんだ。『僕』は翼と引き換えに、魂を彼女に結びつけた。

 そうして翼を手放すことで、そらの上では当然の永遠の命も失った。

 『僕』の罪は人と恋に堕ちたこと。

 もちろん『僕』に与えられた罰は翼と共に永遠の命を手放しただけじゃない。

 『僕』が記憶を繋ぎ何度でも生まれ変わるのも。『僕』の外見が恋に堕ちた彼女の姿と同じであるのも。最愛の人が生まれ変わっても『僕』のことを、何ひとつ覚えていないのも。全ては僕に課せられた罰だ。


 ……でもね? アデリー。


 何度でも『僕』が繰り返し生まれ変わり、記憶を繋ぎ、魂の片割れである最愛の人を探さずにいられないのは罰だからじゃない。


 遥か昔から君を、『僕』は君だけをずっと愛しているからなんだ。

 

 







 








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