8話目 王宮へ ⑤



 揺れる馬上で目を覚ましたアデライードは、自身がレオネルに抱え込まれていることに気づくまでに、瞬き二つ分と少しの遅れをとった。


「油断したな」


 見上げると灰色の双眸は前を向いたままに、意識を取り戻したことを知ったレオネルの、低く静かな声がアデライードに落ちてくる。

 実に耳に痛い、言葉だった。

 加えて、アデライードに向けたものではなかったが『自分は死なないと思っていたんじゃねえの?』というフィトの言葉までもが蘇り、鈍い痛みの残る身体と併せて思わず顔を顰めた。

 久しぶりの戦闘だったというのは、逃げ口上に過ぎない。不死であるという驕りがアデライードにあったのは、間違いなかった。


「……もう傷は」


 塞がったと掠れた声で、もたれていた身体を起こそうとしたアデライードを、レオネルは手綱を操る振りをして制する。

 肩に矢を刺したまま、あれだけ派手に剣で貫かれ気を失った後では、さすがに軽傷だったと誤魔化すのは到底無理な話だった。

 今になって、何事もなかったように身体を起こされては、アデライードの秘密を周囲に曝露するようなものである。


「しかし……」


 この格好は如何なものか、とレオネルのマントに大事そうに包まれたままのアデライードが、小さく抗議の声を上げようとするも、


「それこそ今更だ。誰を気にすることもあるまい」


 そう言って、未だアデライードに一度も視線を寄越すこともなく、相変わらず前を向いたままのレオネルは、常の如く唇の端を持ち上げるだけだ。だが、その顔が、何処か強張って見えるのは、抱えられている所為に違いないとアデライードは思いたかった。

 

「良いから大人しくそのまま目を閉じていろ。間もなく宿場に着く」


 身体が揺れる度に、吐き気が込み上げる。目眩も酷かった。流れた出た血は、アデライードが考えるよりも多かったらしい。

 この場は言われるがままに目を閉じようとして、そっと周囲の気配を窺えば、アデライードとフィトを含め十二人居たはずの護衛騎士の数が、半分にも満たない数に減っていることに気づき、思わずアデライードが息を呑み込んだ。

 その音を、耳聡くレオネルが拾い上げる。


「なにせ相手は数が多かったからな。幸いなことに負傷した者は多かったが、命を落とした者はいない。その者たちは、縄につけた土産を持たせて城へ帰した」


 何を考えていたのか、こうも容易く気付かれてしまうのも気不味いものがある。アデライードは、ただひと言「……そうか」とだけ言って後は大人しく目を瞑った。


 余り間を置かず、胸の中に抱え込んでいるアデライードから規則正しい息遣いが聞こえ始めたことで、レオネルは安堵の溜め息を漏らす。

 抱え直す振りをすることでレオネルが、その存在を確かめるように、いま一度、アデライードを強く胸に引き寄せたことに気付いたのは、エリアスだけだった。


 



 「……アデライード、服を脱げ」


 ウエストコートも着ずに柔らかなシャツ一枚という軽装になったレオネルが、肘掛け椅子にゆったりと腰を掛け、長い脚を優雅に組んだ格好でアデライードを見た。


 宿に着いたレオネルの部屋には、当然の如く従者であるアデライードの控えの部屋が備えられていた。レオネルが居るのは、アデライードの寝室となる、窓もないその小さな部屋である。


「……アデライード?」


 脚を組んだまま肘掛けに腕を掛け、促すように小首を傾げた。ついで頬杖を突く。


「服を……脱ぐ、とは?」

「矢尻が刺さったまま、塞がってしまっている。そのまま抜くことは出来ない。切開が必要だが、服を着ていては無理だ」


 手伝ってやるというレオネルの言い分は、最もであると分かっていても、アデライードは思わず躊躇してしまう。


「俺が脱がせても良いなら、脱がせるが? それとも無理矢理に引き裂かれる方が、好きならそうしよう」


 ぎょっとした顔になったアデライードに、レオネルの唇が弧を描く。

 揶揄われたと知ってアデライードは、半ばやけになりながら手を服に置いた。

 シャツの裾を出し、いちばん上の組紐を解き二つだけあるボタンを外す。乾いた血で固まり、汚く変色した被りのシャツは、酷いところは素肌に張り付いてしまっている。

 潔く頭からひと息に脱ごうと襟ぐりに手を掛けたところで、脱ごうにも服の上から飛び出ている短く折られた矢柄と、身体の深くにある矢尻が邪魔をし片方の腕は途中までしか上がらず、シャツなど到底脱ぐことが叶わないことに気づく。

 片肘を突いたままのレオネルは、その場に固まってしまったアデライードに向かって片方の眉を上げてみせた。


「どうした? 続けないのか?」


 どうあっても脱げそうにない。

 いっそ服を破れば事足りるのではないかと、アデライードがはだけた胸元に指を掛けたとき、眺めているだけだったレオネルの灰色の瞳に、束の間、何かが過ぎるのが見えた。

 

「片手では裂けないだろう」


 レオネルは組んでいた脚を解くと、腰に下げていた短剣を手に取り、アデライードに向かって掲げて見せる。

 警戒しながら近づいて来たアデライードの腰に、素早く手を当てたレオネルは、自分の脚の間に引き寄せた。

 身動みじろぐアデライードの腰に片方の手添えたまま、短剣の鞘を歯で抜き払う。

 唇の端が、鞘を咥えたまま少しだけ持ち上がる。笑みを浮かべたのだとアデライードが気づいたときには、灰色の視線に絡め取られ動くことはもう叶わなかった。

 互いの瞳を覗き込んだまま、レオネルは鞘を床に落とすと腰に添えた手を離した。シャツの裾を握り、刃を当てる。ぶつっと布を断つ音の後に、レオネルの手が、アデライードのシャツを裾から上に向かって引き裂いた。

 いまやレオネルの目の前にあるのは、アデライードのくびれた細い腰と臍だった。その少し上には、血で赤黒く固まる胸に巻いたさらしが、露わになっている。


「不死と知ってはいても、目の前で刺された時にはアデライードを喪うかと、一瞬、酷く恐ろしくなった。……ああ、なるほど。この目で見るまでは信じられなかったが……お前が言ったように、既に傷口は塞がっているな……」


 鎖骨の下、剣尖が突き出ていた箇所には赤く引き攣れ、盛り上がる傷痕があった。

 手を伸ばしたレオネルの指先がそっと肌に触れた。灰色の瞳を細め、柔く傷をなぞる。

 ざらついた指先の感触に、アデライードの身体が不意に快感を拾い、腰に甘い震えが走った。足元が崩れでもしたように、膝に力を入れられない。見透かされたように、レオネルに身体を引き寄せられ、気づけばアデライードは膝の上に横抱きに座らされていた。

 持っていた短剣を床に放るとその手を腰に回し、もう一方のレオネルの指先は、アデライードの鎖骨を撫で上げる。まるで何かを焦らすように首筋を下から上に、ゆっくりとなぞりながら髪を耳に掛けた。


「この先は自分で脱げ、アデライード」


 耳元で低い声で促される。

 レオネルの熱い吐息と唇が耳介を掠め、続いて濡れた舌の感触がしたと思った次の瞬間には、先を尖らせた舌で耳の後ろを舐められていた。

 ぞくぞくとした感覚が背筋を這い上がる。アデライードは、小さく息を呑むと声を上げてしまわないように唇を噛み締めた。

 レオネルの指先は、シャツの内側に入り込み、背中から腰に向かって少しずつ確かめるように辿っている。

 アデライードの肢体が思わず、びく、と跳ねる箇所を探し当てては、触れるか触れないかの加減で焦らすように離れては、また近づく。


「触れることに赦しはいらぬと言ったのは、アデライードの方だ。……俺を欲しがるまで待つとも言ったが、何もしないとは言っていない。それに何もしなければ、アデライードの方から俺を欲しがることもないだろう?」


 耳元に戻ったレオネルの唇が、掠れた声で囁いたあと、音を立てて耳を吸った。

 一瞬で耳の奥から身体の芯まで溶けるような痺れが、アデライードを蹂躙する。


「……っ、あ」


 堪えきれずに小さく声を漏らしたアデライードを覗き込むレオネルの灰色の瞳は、欲望で黯く翳っているのが見えた。


「……残念だが、ここまでだ。肩に深く刺さった矢尻を取り出さないことには……」


 変わらず灰色の瞳は黯く翳ったままだというのに、言ってレオネルは少し、悪戯そうな笑みを見せた。

 そのままアデライードを抱え上げると、優しく寝台の上に横たえる。

 切ない痛みに、思わず胸を押さえようとしたところでアデライードは、持ち上げようとも出来ない腕に気づく。


「どうした?」


 黄金の瞳が揺れるのを見て、怪訝そうに首を傾げたレオネルに、アデライードは思わず目を逸らした。


「……自分では脱げぬ」


 脱がして欲しいのだと口にする前に、唇に笑みを浮かべたレオネルによって、邪魔なシャツは優しく取り払われ、肩が剥き出しになった。

 矢の刺さった部分を注視しながら、肩の滑らかな感触を楽しむようにレオネルは手を触れて来る。

 温かな掌はアデライードを苦しくさせた。


「切開をし、肉に喰い込む矢尻を取り出す痛みは相当なものがある。歯を喰い縛ると、歯が砕けてしまうのは分かるな?」


 横たわったまま大人しく頷くアデライードの顔の上に、レオネルは自分の腕を差し出す。


「身体の上に乗り上げ、動かないように頭と胴体を押さえつける。その間、俺の腕を噛んで凌げ。矢尻をその場で直ぐに抜けなかったのは俺の失態でもある。アデライードになら喰い千切られても構わない」

「そんなことには、ならぬ。私が、あの男ロランドに、どれほど痛めつけられたか。死ぬほどの痛みを知らぬとでも?」

「…………そうだったな」


 レオネルの大きな身体が、アデライードに伸し掛かる。柔らかなシャツからレオネルの肌が覗き、甘い麝香の香りの奥に少しの汗の匂いが混じったものがアデライードの鼻腔を擽った。

 しっかりとした胸板、筋肉に包まれた肩の厚み、男の身体の重さが恐ろしいほど甘やかな苦しさを齎す。

 アデライードは、もう随分と忘れ掛けていたことを思い出した。逃げ出すことの無いように、胸の中に閉じ込められる悦びも。

 額にかかる癖のある緩い黒髪が、アデライードの首筋に触れ、肩に唇が落とされる。

 乾いた唇が、滑らかな感触を愉しむように、柔らかく蠢いた。

 アデライードは、痺れるような甘い痛みに苛まれ、きつく目を瞑る。動けないよう、腰に体重を乗せられた。


「口を開けろ。歯を喰い縛るなよ」


 レオネルの低い声と共に、アデライードは腕で口を塞がれる。

 矢の刺さった箇所が切り開かれる。容赦のない痛みは、終わらない。レオネルの太い指が、ぬるとした血で溢れる肉を掻き分け、奥の矢尻を取り出す頃には、アデライードは痛みで気を失っていた。

 

 消毒を施し、清潔な布を当てる。暫くする頃には、早くも傷口が塞がる様相を見せ始めていた。やがて完全に傷が塞がり、滑らかな肌を取り戻すのをレオネルは驚嘆の思いで見つめた後、気を失ったままのアデライードの青白い顔に視線を移す。

 汗で額に髪が張り付いているのを、そっと指で払ったとき、微かに睫毛が揺れた。

 

「…………」


 想いを告げようとした囁きは、声にはならずレオネルの胸の中に消える。

 アデライードの額に柔らかく唇を落とすとレオネルは寝台に背を向け、部屋を後にしたのだった。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る