4話目 ヴァッサーレ城塞 ②
…………。
夢、を見ていた。
繰り返し過去が視せる夢、を。
寝台の上に柔らかく沈められた軀の上、触れ合う素肌が、互いに熱を持っているのを感じる。
優しく首筋に押し付けられていた唇が開き、濡れた舌が咽喉元を這う。少しずつ移動しながら繰り返し軽く歯を立てられ、吸われ、耳の窪みまで来ると舌を差し込まれた。唇が柔く耳朶を喰むと、そのまま甘い声で囁かれる。
『……アデリー』
押し殺していた吐息が漏れる。
堪え切れずに手を伸ばし、頬を擽る美しい銀色の髪を震える指でまさぐると、耳元から顔が離れ、真っ直ぐに覗き込む菫色の瞳とぶつかった。その奥底に、なけなしの理性を焼き尽くさんばかりの欲情が燻っているのを見て、軀に震えが走る。
視線を絡ませたまま、先ほどから思わせぶりに脇腹を掠めるように触れていた手は背に向かい、尖らせた指先で、ゆっくりと輪郭をなぞるように撫で下ろされた。やがて呪いが刻み込まれた腰に辿り着くと、円を描くように焦らしながら、さらに深みへと降りてゆく。迫り上がる快感と満たされぬ渇望で、叫び出しそうになる。
縋るように手を伸ばし、名前を呼ぼうとしたところで――
ぽたり、と落ちる赤い雫が頬を濡らす。
……血、だ。
あ、と瞬きをする間もなく腕の中に、ごろりと
先ほどまで指を絡めていた柔らかな銀色の髪は所々血で固まり、梳くことも叶わない。菫色の瞳は凍りついたように、その燦爛とした輝きを失い濁っていた。熱く濡れた口づけを落とし『アデリー』と囁いた唇は、奇妙な形で開いたまま。
混乱し、恐怖から愛しい人の頭部を胸に掻き抱いたその時、嘲笑う低い声が聞こえ、その方へと視線を巡らせた。
『――束の間の幸せは、どうだった?』
突然現れた傲慢なほど美しい男に、目を見張る。緩く癖のある黒髪から覗く、冷酷な灰色の瞳を眇めていた。
……嗚呼、そうだ。
目の前が真っ黯に染まる。
この男が愛しい人の首を切り落としたのだ、と思い出すや否や胸に抱いていた頭部は、いつのまにか消え失せていた。
勢い伸し掛かる男の重みに、逃げようと軀を捩らせた時、手脚が拘束されていることに気づく。
軽く嘲るような笑いを浮かべ、見下ろす灰色の瞳は黯い欲望に染まり、これから起こることの悍ましさを思って血の気が引くのが分かった。
獰猛な獣を前に、為す術など何もない。
軀中を執拗に這い回る固く大きな手からは逃れることも出来なければ、隙間なく喰い千切らんばかりの強さで歯型を残してゆく痛みで、悲鳴を上げ咽喉は枯れて息も絶え絶えになる頃、無理矢理に抉じ開けられた唇から、厚い舌が差し込まれ蹂躙される。逃げ回る舌を吸われ絡め取られた途端、ぶつり、と大きな音が脳内に響く。痛みに絶叫し、噛みちぎられ溢れ出す自らの血で溺れそうになった。
寝台の上に血を撒き散らし、咳き込みながら息も絶え絶えに睨みつける。
その先には上体を起こし、乱れた黒い髪を掻き上げ、血で濡れた赤い唇を手の甲で乱雑に拭いながら薄く笑う壮絶なほどに美しい顔があった。
『……たとえ此処が、そなたにとっての地獄であろうと私を愛す
そなたが望む死を齎すことが出来るのは、誰であるのか、その美しく淫らな肢体に覚え込ませてやろう』
…………。
……。
はっ、と息を吐きだして目を開けた。
荒い呼吸を繰り返しながら、視界に広がる天蓋の意匠に焦点を合わせる。
軀中が汗で冷たく濡れていた。
寝台を囲う薄布の向こうが、明るい。
見覚えのない場所に、覚束ない記憶を辿ろうと両手を顔に押し当てたところで、指先が目蓋に触れた。塔であの男に抉り取られた眼玉が、元に戻っていることに気づく。そこで漸く、両腕が自由に動かせることを知って安堵する。
そうして不意に、思い出した。
最初に目を覚ました先にあった、顔。
俺はロランド王ではないと口にした時の、何処か沈痛に滲むようにも見えた眼差し。
――そう、ここは塔の中ではない。
だが……あの、顔。
忘れることは叶わないが、二度と目にすることもないと思っていた黯く翳りを帯びた灰色の瞳。
此処が何処で、あの者が誰かは分からない。だが、望もうが望むまいが永劫に渡ってあの男に囚われたまま、地獄から抜け出せないのは違いなかった。
囁く低い声が、聞こえる。
奈落の底に果てはないのだ、と。
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