閑話 男たち
閑話 男達
カランカランとドアベルの音がなる。
そのドアを開けたのは武者人形のように凜々しい顔立ちの青年……北原雄一だ。
ピシッと襟元の決まった学ラン姿の彼は、きょろきょろと店内を見渡した。
「おおい、ここだよ」
手を振っているのは清太郎だ。
雄一は一回軽いため息を吐いて、清太郎のもとに向かった。
「遅れました」
「いいや、先に来ていたのはこっちの方だから」
清太郎に促されて、雄一は革張りのソファーに座った。
ここは銀座のとあるカフェー。
学生のたむろする居酒屋や安定食屋とは雰囲気からして違う。
白いエプロンにおしろいの女給が薄暗い店内で微笑んでいるのが見える。
「僕の馴染みの店だ」
「清太郎さん、こういうところにも行くんですね」
「ああ来るよ。僕だって男だしね。カフェーやバーも。仕事の関係でお座敷に向かうこともある」
なんとなく清太郎はそういうところとは疎遠だと思っていた雄一は、目の前で女給にビールを注がれながら寛いでいる清太郎の姿が落ち着かない。
「ねぇ、セイさん。そちらの坊ちゃんは何をお召し上がりになるのかしら」
青地に赤い椿の派手な銘仙の女給がしなだれかかるようにして、清太郎に声をかけた。
「ああ、そうだね。何を飲む? ビールでいいかい」
「あ、いいえ……帰ったら課題があるので」
「ちょっとぐらい良いだろう」
義兄となるこの人からそう言われたら無碍には出来ない。
雄一は仕方なくビールを頼んだ。
「大学はどうだい。しっかり勉強しているかな」
「はい」
「雄一くんは真面目だな。たまには遊ばなきゃ駄目だよ」
「はい」
いけない。会話がうまく弾まない。
雄一はどうしようもなく緊張していた。
「あの……今日はなんの用で呼んだんでしょうか」
恐る恐るそう聞き出すと、清太郎はああ、と手を打った。
「言ってなかったっけ。いや、これから親族になるのだから親交を深めようかと」
「は、そうですか」
雄一はそれで少し肩の力を抜くことができたが、次の清太郎の言葉に再び硬直した。
「琴子に何か不満はあるかい?」
「え、ええと……」
それはさすがに兄の清太郎に向かって直接は言いづらい。
雄一は口ごもってしまった。
「ああ、じゃあ琴子のどこが好きなんだい」
「ぶっ……」
今度は雄一はビールを吹き出しそうになる。
この義兄は前々からそうじゃないかと思っていたが、やはり人が悪い。
雄一は内心「参ったな」と思いながら、一見柔和な表情の清太郎を見つめた。
「なに、これはありませんって訳ないだろう?」
「そ、そうですね……あの……」
清太郎の絶対逃げたら許さないぞ、という圧力が雄一にも伝わってくる。
「両親から伺っているかもしれませんが……俺は小さい頃体が弱くてですね」
「うちの近くで療養していたそうだね」
「はい。そこで琴子さんに出合って。琴子さんみたいな子と両親に言ったら本人が婚約者になったのは驚きましたが、やっぱり琴子さんでよかったと思ってます。琴子さんは明るいし、元気もあって」
雄一がそう言うと、清太郎はちょっとため息をついた。
「それがありすぎるから困ってるんだよね」
清太郎の立場からするとそうなのかもしれない。
琴子は割となんでもハキハキものを言うし、行動力もある。
「それは年齢を重ねるうちに収まってくるのではないかと……」
「はぁ……雄一くんは理解があるね」
「琴子さんの芯の強さを俺は信じています」
「そっか」
清太郎は手酌でビールをつぎ足すと、それをぐっと飲み干した。
「済みません、気が利かなくて」
雄一はその空になったグラスにビールを注ぎ込む。
「いや本当に雄一くんは真面目だね」
「そうですかね」
「嫌になったりしないの。若者らしい反抗心を抱くときとか」
「ええ、まあそういう時もありますけど。それを言うなら清太郎さんだって真面目に家業を継いでいるじゃないですか。あの東京支店も事業移転のための足がかりでしょう? そんな大事な物を任せられて……」
雄一がそう言うと、清太郎はハハハと笑って前髪をなでつけた。
「その通り、親の期待がうっとしい時もあったさ。でも僕は雄一くんほどイイコじゃなかったんでね。そういうのは心の中で舌を出して、こういうとこでたまに羽目を外しているのさ。ねぇ?」
清太郎が横に座った女給に声をかけると、女給はハイマッタクソノトオリ、と空虚な返事をした。
「俺にも羽目を外せとおっしゃいですか?」
「琴子を泣かせたりしなきゃかまわんよ。嫌ね、僕は怖いのよ。雄一くんみたいな一本気な男は、つまみ食いの遊びを知らずに一足飛びに女に走るんじゃないかってね」
まだ結婚もしていないのに、なんという心配をしているんだ。と雄一は思った。
「清太郎さんは……かなり妹思いが過ぎるというか」
「それは……んん、まあ」
雄一が、これまでの意趣返しよろしくそう切り込むと、清太郎は口ごもった。
「そう言ってもね、琴子が嫁いだら頼れるのは雄一くんだけになるのだからね。……よろしく頼みます」
清太郎はバッと頭を下げた。
「や、やめてくださいよ! 大げさです。東京府に清太郎さんもいらっしゃるじゃないですか」
「いや、でもそんなしょっちゅう帰ってこられたら困るよ」
「今からそんな心配してもしょうがないですって」
しょうもないことで雄一と清太郎が揉め合っているのを見て、女給がクスクス笑っている。
「セイさぁん、はっきり言ってやんなさいよぉ。妹さんが嫁ぎ先でうまくやってくれなきゃ、自分とこの所帯も落ち着かないって」
「あ、ちょっと! 末さん」
そう言われて清太郎は焦りだした。
そんな清太郎をぽかんと見つめて、雄一は今日呼び出された訳をようやく理解したのだった。
「清太郎さん、美鶴さんと上手くいってないんですか?」
「馬鹿! そんな訳あるか」
「違うのよ、セイさんはもっと奥さまとナ・カ・ヨ・ク、したいのよね」
「末さん!」
ナカヨク……と雄一は女給の言葉を反芻して、その直後に耳を赤くした。
「清太郎さん……」
「そこは、ほら、夫婦だもの」
清太郎はそう言って、ごほっと大きな咳払いをした。
「あの……その、はい善処します」
雄一は赤い顔のままで、そう答えた。
「えっと、美鶴さんはお元気ですか」
「ああ。馴れないながらよくやってくれてるよ。今朝もね、僕の好きな甘い卵焼きを作ろうとして焦がしてしまってね」
その時の大慌ての新妻の顔を思い出して、清太郎はくっくっと笑った。
「幸せですか?」
「ぐっ」
清太郎は雄一の直球の問いかけに、ビールを喉に詰まらせそうになった。
「し……幸せだよ。彼女を幸せにする為に僕は結婚したのだからね」
「しかし、清太郎さんが美鶴さんに結婚を申し込むとは少し意外でした」
初めて雄一が清太郎に会った時の第一印象は、押しの強そうな父と比べて細面の繊細そうな男というものだった。
いかにも明治の男、という雁之助に振り回されて、苦労していそうだなと思った。
「反対はされなかったんですか」
「そりゃあ、されたさ!」
清太郎は大変だったと首をふり、雄一は天野の家のあの父はそうするだろうなと思った。
「恋愛結婚なんて言語道断と言われたしね。それに今でこそ断髪は流行っているけれど、その時は珍しかったから、そりゃもう大反対さ」
「それでどうしたんですか」
「はっきりと父に言ったよ。美鶴さんと結婚できないなら一生誰とも結婚しません、ってね。それが初めてじゃないかな、反抗らしいことをしたの。それはもう驚いてね」
そのまま無理に話をつけた、と言って清太郎は笑った。
「その、美鶴さんのどこにそこまで惹かれたんですか」
「ん?」
「いや、その……俺は琴子さんから結婚のことを伝え聞いただけでしたから」
清太郎はんー、と言いながら顎に手をやって考えた。
「そうだね、はじめは琴子には風変わりな友達がいるなってだけだったね。でもね、見た目からは考えられないくらいに彼女は繊細で、この花が綺麗に咲くために、僕は手助けをしなければならないのだと思ったのだよ」
恋というものは人を詩人にするのだなぁと思って雄一は話を聞いていた。
「一生をかけて守ってやらなきゃってね。雄一くんはどうなんだい」
「俺は……小さい頃のコトちゃん……琴子さんの印象が強くて。琴子さんは俺の行き先を照らしてくれるように思えるんです。それで、一緒に人生を歩いて行けたらなって」
人のことをあれこれ言えないな、と思いながら雄一はそう答えた。
「なんかこっぱずかしいですね」
「それはまあ……酒の所為ってことにしておこうよ」
清太郎がもう一本ビールを頼んだ。
「そうだ、腹は減ってないかい。ここは食事も美味いよ。僕は下手なものを食わせる店には通わないからね」
「あ……それではいただきます」
雄一は世間の若い男が大抵そうであるように、いつでも腹を減らしていた。
湯気の立つビーフシチューが運ばれてくるとみるみるうちにそれを平らげた。
「うまいです」
「そうだろう。どうだい雄一くん。時々こんな風にして集まらないか」
「は……はあ」
「二人して善きハズバンドになるべく模索しようじゃないか」
そう言って、清太郎はにやっと笑った。
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