大正乙女ノスタルヂイ~嗚呼、お嬢様がたはかく語れり~
高井うしお
プロローグ
汽車は定刻通りに上野の駅に着いた。一緒についてきた女中のタマはあまりの人の多さに度肝を抜かれたようで、おろおろと琴子の袖を引っ張った。
「すんごい人だべ……。お嬢様、はぐれないでくださいまし」
「タマ、あんまりキョロキョロすんでねぇ。田舎者だとバカにされんべ」
そう気丈に言い返した琴子だったが、不安なのはタマと一緒である。荷物をぎゅっと握り、なんとか人混みを抜けて改札を出る。
「お兄様が迎えにきてくれているはずだけんどのぉ」
改札も大変な人混みで、どこに兄がいるのかわからない。琴子とタマは、しばらくどうしていいかわからずそこに佇んだ。
「おおーい、ああ居た」
ようやっと姿を見つけた兄の清太郎が帽子を掲げてブンブンと振っている。
「お坊ちゃま!」
「お兄様、おそいべ。汽車はちゃんと時間通りについたのに」
「この人混みだもの。琴子がちんまいから分かんなかったんだ」
「ちんまいっていわねぇで! これから伸びるんだから!」
久々に会った兄に劣等感に感じている身長のことをからかわれた琴子は、草履でぎゅむっと清太郎の靴を踏みつけた。
「痛いっ……お前ねぇ、その短気は直さなきゃいけないよ。ま、無事についてなによりだ。早く家に行こうか」
琴子とタマは清太郎に連れられて、これから新生活を歩む家に向かった。
まずは上野から電車に乗り換える。窓の外の町並みを見ると、琴子の胸は否応なく高鳴っていく。
「大きな建物がいくつも。これが東京市……うふふ」
けれどもやっぱりここも人が多くて、琴子はもうぐったり、家に着く前にうとうと寝てしまいそうになる。
「琴子、後は俥で家に向かうだけだから」
清太郎に鞄を一つ持って貰いながら、琴子はひいひい言って人力車に乗った。
「さぁて、あと少しだよ」
「心底疲れました、お兄様」
がたがたと俥に揺られながら、琴子がか細く答えるのを聞いて、先ほどまでの威勢はどうしたのだ、と清太郎は笑った。
「ははは、これでは明日の学校はどうなるかね」
「もちろん行きます!」
急にハキハキと琴子は答える。
「頼むよ、しっかり勉学に励むように。それから、お友達とも仲良くな。学生の時というのは琴子が思っている以上に早く過ぎちまうものなんだから」
言われなくてもそのつもりだ、と琴子は思う。せっかく高等女学校に行かせて貰っているのだもの、と。
その時、すうっと俥が停まった。どうやら家に着いたようだ。だが琴子はその建物を見て、あまりに想像と違かったので声が出てしまった。
「はあー。洋館……?」
「いやいや、イマドキの和洋折衷の文化住宅さ。琴子の部屋は和室だから安心しな」
兄の言葉通り、洋風なのは外側と居間と応接間くらいで、琴子の部屋は和室であった。それでも田舎の古い家で育った琴子にはなんだか落ち着かない。しかし、ここから琴子の新生活は始まるのだ。
「しっかりしなきゃ、お父様にしっかり頼まれたんだから」
琴子は故郷を離れる前日、父に言い含められた言葉を思い出す。
『いいか、琴子。きょうだいの中でもお前はしっかりしているから任せるんだ。清太郎が都会で遊びや女にうつつを抜かさぬようにちゃあんと見張っておくんだぞ』
『はいお父様』
父の製糸業が軌道に乗り、この東京の支店を任されたのが兄の清太郎である。明るく人好きのする性格の兄だが、この都会で悪い人間に騙されるかもしれない。
「でも、おかげで私は東京の女学校に通える……うふふ」
地元の女学校の友人達との別れは悲しかったし、父の見栄もあるだろうが、東京で学校に通えるなんて、なんて幸運だと琴子は思った。
琴子、十五歳。花の大東京での短き乙女の日々がはじまろうとしていた。
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