第4話
教室に可憐な歌声の賛美歌が響く。院長先生の説教はいまいち理解できないものの、琴子はようやくこのキリスト教の礼拝というものに慣れてきた。
「では、天のお父様、今日も私たちを守り、導き、祝福が豊かにありますように導いてください。イエスさまの御名によってお祈りします。アーメン」
「アーメン」
礼拝が終わり、礼拝堂から教室に移動する途中にパタパタと靴を鳴らして万喜が琴子を追いかけてきた。
「ね、忘れていないわよね」
「ええ、万喜さん。昨日の今日よ」
「私と美鶴と琴子さんで、日曜は銀ブラですからね」
「はいはい」
日曜日の予定はこの間の洋装で、銀座でお出かけを楽しむことになっているのだ。
「それよりだよ……それよりだよ……」
その横で心底憂鬱そうにしているのが美鶴である。
「美鶴さん、何がそんなに心配なの?」
「……これから裁縫の授業じゃないか。今日は浴衣を縫うとか」
「そうね、そうだったわね」
「縫い物なんてミシンにやらせればいいのに。文明的じゃないよ」
「普通のご家庭にあるものではないでしょう。それに浴衣よ。簡単よ」
琴子がそう言うと、美鶴はキッと琴子を見た。切れ長のその目に射貫かれて琴子はひゃあと首をすくめた。
「それが出来ないから憂鬱なのさ。教師どもがそれみたことかと得意気に……」
「じゃあ、私。こっそり美鶴さんの分も縫うわ。私の運針とっても早いのよ」
「……うーん」
美鶴は琴子の提案にぐらぐらと心が動いたようだ。
「……やっぱり自分でやるよ」
「そうですか……」
「美鶴は少し怒られた方がいいわ」
美鶴は首をふって教師に怒られる決意をし、万喜はその横でクックックと笑っていた。そして教室に着いて、机から教科書を取り、家政科の教室に移動しようとした時である。
「……おや」
「どうしたんです?」
「琴子、万喜。私はどうせチクチク教師にしかられるくらいなら、景気よく雷をくらうことにするよ」
「ん?」
琴子が訳がわからないと首を傾げると、美鶴は机の中から出てきた封筒をひらひらとさせた。
「恋文だ」
「こっ……こっ……こっ……」
「あら琴子さん、鶏みたい」
「恋文ぃ!? むぐう」
琴子がすっとんきょうな大声を出すので万喜は琴子の口を塞いだ。
「しかたないさ……美しすぎる私が罪なのさ。真摯な思いには真摯に答えなければ。では!」
「ええっ」
美鶴は窓からひらりと恋文だけ持って教室を脱出していった。
「逃げた……」
「そうね、逃げたわね」
残された琴子は呆然とその開けっ放しの窓を見つめている。万喜がしょうがないな、とでもいうようにため息を漏らした。
「美鶴さんはどう思いに答えるつもりなのかしら」
「ちゃんと断るってことでしょ。別に男装してるからって女が好きな訳じゃないもの」
万喜は琴子の疑問に淡々と答えた。
「そうなんです?」
「そうよ。まあ、周りは勝手にお熱をあげるみたいだけど。……ねぇ、そろそろ私達も移動しないと遅刻じゃない?」
「あっ」
それから、慌てて教室に駆け込んで授業を受けていた琴子は美鶴の「真摯な答え」がなんなのか気になって三度も指を針でついたのだった。
「美鶴さん……」
「やあ」
そして授業を受け終わり教室に戻ると、美鶴は涼しい顔をして席で本を読んでいた。
「あの、その……真摯にお答えしたんですか」
「ああ。気持ちは嬉しいけど答えられない。けど、思い出として胸にしまっておくってね」
「そうですか……」
琴子はその返事を聞いて、それでいいのだろうかと思いつつ、そう答えるほかないだろうな、とも思う。
「ふふふ、でも私より万喜に思いを寄せた方が深刻だよ……」
「万喜さんに……!」
大人っぽく女らしい万喜に憧れる生徒も確かにいるだろう、と琴子は思った。通学の際にわっとやってくる下級生はそういうことなのか、と。
「万喜は自分の信望者には優しいけれど……ただちやほやしてくれる人間が多いのが好きみたいな感じだからね」
「ほう……」
言われればその通りである。
「琴子は上級生に好かれそうだけど……万喜ががっちり囲い込んでいるからなぁ」
「私、です?」
琴子が首を傾げたその時だった。遅れて教室に戻ってきた万喜がやってきた。
「あら、私は琴子さんを守っているのよ」
「へいへい」
「で、美鶴。放課後、職員室に来なさいだそうよ」
「へーい」
美鶴は生返事をして、興味のなさそうにあくびをした。
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