第16話

 北原家の一件を終えて、父と兄は晩酌を続けている。琴子はその間に自分の部屋に戻って、箪笥の上の繭玉人形を見つめた。


「ゆうちゃん……」


 色が白くてせんの細い男の子だった。逆に琴子は日に焼けて、木登りばっかりしていたから泥だらけで……。またこうして会えるとは思わなかった。


「明日、万喜さんと美鶴さんにも報告しないとね」


 琴子は文机に座ると、帳面を開いた。東京に来てから起こったこと、それからこれから起こることを書き留めておこうと思ったのだ。


「まずは……梅野女学校、と……」


 そこで出会った変わり者だけど気のいい友達、それから銀座でのおでかけ。雄一との出会い……そして見合い騒ぎ。


「ひと月くらいの間にこんなに色んなことがあったのね」


 そしてこの先は雄一のことも一緒にここに綴られていくはずだ。


「万喜さんと美鶴さんと雄一さんとどこに行こう。ああ、忘れないように書いておこう」


 郊外にも行こうと雄一は言っていた。夏になったら山か海か、万喜が銀座で買った白い帽子は大活躍するだろう。


「楽しみね」


 琴子はこれからの日々に胸をときめかせながら帳面を閉じた。そして布団の中に潜り込む。


「お休みなさい……」


 昼間の疲れもあって、琴子はたちまち眠りに落ちていった。




***




「琴子さーん、良かったわー!」


「万喜さん、万喜さん、泣かないで」


 無事円満、丸く収まったことと、雄一が幼馴染みだったことを琴子は万喜と美鶴に報告した。


「美鶴さん、休日に悪かったわね」


「親友の為ならあれくらい」


 美鶴は手紙を渡した時に、雄一に日曜に家に来て欲しいと頼まれていたのだという。


「それより今度の日曜はどこに行く? 浅草?」


「そうね……あ、雄一さんも一緒でいいかしら」


「もちろん」


 美鶴が頷くと、万喜がひょっと首を突っ込んだ。


「あーら、デートのお邪魔じゃないかしら」


「デート!?」


「デートでしょう?」


「そそそ、そんな……」


 琴子のほっぺたがカーッと熱くなる。それを見て万喜と美鶴はニヤニヤしていた。


「それは悪いな。我々は遠慮しよう」


「美鶴さん!!」


「そうよね」


「万喜さんも! えーとじゃあこうしましょう、雄一さんもお友達を呼んで貰って……」


 琴子はそこまで言ってハッとなった。雄一の友人といえばあのいじわるな人たちではないか。


「いや、やめときましょう」


「いいわよ。別に」


「万喜さん?」


「ああいうのを屈服させるのが楽しいのよ……」


「万喜さん!?」


 万喜の不穏な発言に琴子は慌てた声を出す。それを見て美鶴は笑いを堪えている。


「美鶴さん、笑ってないで万喜さんを止めて!」


「あははは」


「はーい! 授業をはじめますよ、そこ! 席について!」


 三人の賑やかなやりとりは授業のベルで中断された。とにかくこのままでは不穏な集団デートになってしまいそうだ。どうしようか、と琴子は鉛筆を嚙んだ。


「琴子さん」


 こそりと前の席の万喜がこちらを向く。


「それより、帰りは三つ葉におしるこを食べにいかない?」


「うん、いいわ」


「ハーさんにご報告がいっぱいあるわね、ふふ」


 移り気で、騒がしく、柔らかな乙女。そんな琴子の乙女の日々はきっと人生の中ではほんの一瞬だろう。しかし今は、そんなことは構わずにこの日々を楽しもうと琴子は思うのだった。


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