第8話

 牧場は別荘から三十分ほど歩いたところにある。


 一同はそこまで散歩がてらに林の中を歩いて行くことにした。


 三人娘は用意してきた学校のブルマーを着ている。


「ねぇねぇ、美鶴さんは乗馬をしたことある?」


 琴子がわくわくを抑えきれない顔で聞くと、美鶴は笑いながら顔を振った。


「いいや。私もはじめてだよ」


「学校の皆がみたらきっとキャアキャア言うわよ。王子さまが来た! とかなんとか言って」


「万喜、からかわないで」


 そんな風にいつもの調子でじゃれ合いながら道を歩いていると、牧場にはあっという間についた。


「やあ、東雲のお嬢ちゃん」


「お久しぶりです!」


 万喜の姿を見ると、恰幅のいい男性が出迎えてくれた。


「こちら佐々木さん。ここの牧場の経営者なの」


「やぁ、乗馬がしたいのはこの方々かな? いや、嬉しいね。馬は農耕や軍馬に役立つ良い動物だよ」


 佐々木さんは未来の日本を支える若者に、是非馬に触れて欲しいのだ、と語った。


 そして馬のいる厩舎に万喜たちを案内してくれる。


「先日、雑誌社が取材にきてね。お嬢さん方と同じ年頃の令嬢の乗馬姿を取材していったよ」


「わぁ、本当ですか」


 佐々木さんの言葉に、琴子がキラキラした声を出した。


「ああ、華族のご令嬢でね。それは見事に馬を操るんだ。ほら、これだよ」


 目の前に広げられた雑誌を、万喜たちは食い入るように見つめた。


「はぁ、素敵ね。万喜さん」


「こんな乗馬服を着てみたいわ」


 琴子はうっとりとため息をつき、万喜は外国の貴族のような乗馬スタイルが大層気に入った。


「佐々木さん、こんな風に乗れますか」


 美鶴が佐々木さんにそう聞くと、彼は大きなお腹を揺らして笑った。


「それはさすがに無理かなぁ。このご令嬢は何年も練習しているからね。でも今日一日で速歩、少し早歩きくらいはできるようになると思うよ」


「本当ですか。わぁ楽しみ」


 楽しそうな三人の様子を、清太郎と雄一は微笑みながら脇で見守っていた。


「お姉様は学校であんな風なんですかね。なんだか変な感じ」


「穣くんの前では違うのかい」


 複雑そうな顔をしている穣に、清太郎が問いかけると、穣はうーんとしばし迷った後にこう答えた。


「父が姉をはために見てもも溺愛していまして。上のきょうだいも他にいないので、なんでもわがままが通るんです。だから姉にはあんまり友達がいなかったのになって」


「うちの妹……琴子が梅野女学校に編入した時、一番最初に声をかけてくれたのが万喜さんだそうだよ。それから仲良くしてもらってる。万喜さんには感謝してるよ」


「そうですか……」


 今日は佐々木さんと、もう一人の従業員が手伝いで入って皆に乗馬を教えてくれるという。


「今日みんなに乗って貰う、黒雲号と白雪号だよ」


 佐々木さんが連れてきた二頭の馬は、つやつやとした黒い馬と、桃色の鼻先が可愛らしい白い馬だった。


「どちらもおとなしくて賢い馬だ」


 皆、わぁっと馬に近寄った。


 黒くてくりくりの目をした馬は、佐々木さんの言うように賢そうで知性を感じさせる。


「触っても大丈夫ですか?」


 特に美鶴は馬に興味津々のようだ。


「ああ、馬の後ろに立たないように注意して、蹴られるからね。それから急に高い位置から触らないこと。声をかけてゆっくりと、まず手の臭いを嗅がせて首の辺りを触ってごらん」


「はい……」


 美鶴は言われた通りに馬の横に立つと優しく声をかけて、馬に触ってみる。


「すべすべですね」


 初めて馬を撫でた美鶴は気持ちのいい感触に思わず笑みを浮かべる。


 撫でられている黒雲号も目を細めて、まるで笑っているように見えた。


「それでは三人ずつに分かれて、それぞれ説明をしよう」


 佐々木さんの言葉に、万喜は一同を見渡した。


「それじゃあ、ちょうど六人いるから男女で別れましょう」


 グループに分かれたみんなはそこから馬の乗り方や姿勢の取り方、馬の歩かせ方などの説明を受けた。


 万喜は何度か馬に乗ったことがあるので、まず見本として馬に跨がった。


「こんな風に背筋を伸ばして。足はがに股にならないように」


「すごいわ、万喜さん。とってもエレガント。さすがだわ」


「琴子さんは運動が得意ですもの、こんなのすぐよ」


 さ、次に乗ってみて。と万喜は琴子に馬を譲った。


 次の順番になった琴子は最初こそ戸惑っていたものの、すぐにこつを掴んだようだ。


「わ……筋肉を使うのね。なるほど……これはスポーツだわ」


 次は美鶴の番だ。


「結構高いね」


「怖い?」


 万喜と琴子がくすくす笑いながらそう聞くと、美鶴はいいやと首を振る。


「むしろ気持ちいいよ。君たちを見下ろすのは」


 本当は少し怖かったが、美鶴は気丈にそう答えた。


「ねぇねぇ、万喜さん。美鶴さんってアレみたいだわ……ジャンヌ・ダルク」


「ああそうねぇ。美鶴さん、とってもりりしいわよ」


「からかわないで」


 フランスの救国の乙女に例えられた美鶴は気恥ずかしい表情で馬から下りた。


「それじゃあ、休憩にしようか」


「はぁい、佐々木さん」


 佐々木さんは万喜たちの為に昼食を用意してくれていた。


 おにぎりと漬物、それから淹れたての緑茶。


「こっちは茶どころだからね」


「とっても美味しいわ」


 万喜たちのいる東屋からは厩舎が見えて、沢山の馬がいるのが見える。


 佐々木さんはこの馬たちを健康で逞しい、立派な馬にするためにいかに苦労しているかを語り、馬がいかに人間の相棒として素晴らしいか万喜たちに話してみせた。


「私は馬車くらいでしか馬をみたことなかったよ。琴子さんは?」


 なんだかんだ都会っ子の美鶴はこんなに近くで馬に触れあうのは初めてのようだ。


「うちの方は田舎だから、農家や運搬用に馬がいたわ。いいわよね、馬って働き者だし、こうやって見ると目がつぶらでとってもかわいい」


 琴子がそう言うと、佐々木さんはまるで自分が褒められているかのように恥ずかしそうに笑った。


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