閑話 冬の日①
その日は朝からどんよりとした曇り空だった。
芯まで染み入るように寒い。
琴子は厚手の綿入れに毛織物のショールをしているというのに、寒くて寒くて仕方が無かった。
「わぁ、琴子。見てご覧よ」
美鶴が空を指さす。
すると羽虫のような軽くて小さい雪が空から降ってきている。
「あら、ずいぶんと早い。どうりで寒い訳ね」
琴子は、はーっと息を手に吐きかけてこすり合わせた。
「万喜は遅いね……」
もう来ていい時間なのに、万喜の姿がない。
美鶴はつま先立ちになって通りの向こうをのぞき込んだ。
「あ、来た」
「お待たせしたわ」
その万喜の出で立ちを見て、琴子と万喜はぎょっとした。
何故なら万喜は毛皮のコートと帽子を被って、これまた毛皮のマフに手を突っ込んで現れたからだ。
「万喜……すごい格好だね」
「だって寒いんだもの」
さすがにこの格好は「あまりに華美である」として、教師から指導をもらうことになった。
授業を受けている最中も、はらはらと雪が降り続けている。
「積もりそうねぇ」
チラチラと大きくなった雪を見ながら、琴子が呟く。
「琴子さんの郷里は雪降るの」
「ええ、寒いし結構ふるわ」
「じゃあ東京の雪なんてどうってことないね」
美鶴がそう言うと、琴子は首を傾げた。
「そうなのかしら。東京の冬は初めてだからよく分からないわ」
「ね、それよりも」
つんつんと万喜が二人の袖を引っ張る。
「……三つ葉に行かない?」
「えっ、雪模様なのに?」
早く帰らないと、と言う美鶴に万喜は何を年寄りみたいなことを、と言った。
「だからじゃないの。冷えているとこにあったか~いおしるこ、絶対美味しいわよ」
「う……それはいいわね」
体に染み渡るおしるこの味を琴子は想像した。
「琴子ったら」
「あら、美鶴さんは行かないの?」
「……行くよ!」
こうして放課後になると、三人は仲良く三つ葉へと向かった。
「ハーさん! おしるこ三つね」
三つ葉ののれんをくぐるなり、万喜は駆け込むように注文した。
「あんたたち、こんな天気なのに来たの?」
「そうよ、あったかいおしるこ食べにきたの」
「若いって怖い物知らずね。まあいいわ。待ってて」
やがて、三人の前にほかほかのおしるこが運ばれてくる。
「おいしそうね、万喜さん」
ふうふうと息を吹きかけながら啜ると、とろっとしたあんこの甘みが胃の腑に染み渡る。
ハーさんがくつくつと毎日煮るあんこは、控えめな甘さが上品な味だ。
「はぁ、あったまるね二人とも」
「美鶴、あんこが口の周りについてますことよ」
万喜にハンカチを手渡されて、美鶴は照れくさそうに口を拭う。
そうして暖かな室内で、口いっぱいに広がる甘みを楽しみながらおしるこを平らげた。
「ふう。冬の醍醐味を味わったって感じね」
「でしょう? 来てよかったでしょう琴子さん」
「しかし、帰りはどうしようかね」
美鶴が窓の外を見て呟いた。
外はもう真っ白で、雪の勢いも随分強くなって来ている。
「その時はその時よ」
心配そうな美鶴を、万喜が笑い飛ばす。
琴子はまぁたいつものが始まった、と微笑みながらお茶を啜っていた。
「あら? ハーさん編み物してるの」
「そうなの。久しぶりだから時間かかっちゃって」
この雪で、客は三人だけ。
手の空いたハーさんは毛糸玉を取りだしてセーターを編んでるらしかった。
「編み物はね、役者の頃から趣味なのよ」
琴子はじっとハーさんの手元のセーターを見つめた。
色味は渋い茶色で、肩幅も大きい。
「これ、男性用ね」
「ああ。うん、そうよ」
「でもハーさんのじゃないわね」
「えっ、違うわよあたしのよ」
いきなり慌てて取り繕うような素振りをしたハーさんの様子を見て、琴子はにんまり笑う。
「いいのよ、ハーさんはもっとはっきりした色が好きじゃない」
「……ええ?」
みるみるうちにハーさんの顔が真っ赤に染まる。
「いやねぇ……変でしょ、おじさんがこんな」
ハーさんが恥ずかしそうにうつむく。
「そんなことないわよ!」
そこに割って入ったのは万喜だった。
「誰かを思うことは尊い、でしょ」
美鶴も万喜の言葉に頷いた。
「そうだよ。そんな風に隠さないで」
「うん、でも……これは渡さないつもりだから」
ハーさんがそう言うと、三人は「えっ」と声を漏らした。
「こんなにしっかり編めているのに?」
「コトちゃん、そういうことじゃないのよ」
「もったいないよ……ね、美鶴さん」
「そうだね。私なんかちっとも編めないからね」
するとしばらく琴子は美鶴をじーっと見つめて口を開いた。
「じゃあこうしましょう。私たちも編み物をするから、無事完成したらハーさんもできたセーターをプレゼントしましょ?」
「ええ……?」
「大変よ。なにしろこっちには裁縫は万年赤点の美鶴さんがいるんだから」
「ぷ……なにそれ」
堪えきれなくなったハーさんがとうとう吹き出した。
「あら、私たちは本気よ。ねぇ、万喜さん」
「ええ、その通り。それにね、ハーさん。私はハーさんに誰にも着て貰えないセーターを編むなんて、寂しいことを言って欲しくないわ」
ね、約束。と万喜はハーさんに小指を差し出した。
「あんたたちは強引ね……。いいわ、わかった。あたしの負けよ」
「わぁい」
こうして三人も編み物をすることになった。
「どうするの……私、ほんとにてんで駄目なんだから」
美鶴はため息を吐いている。
「あら、いいのよ。ぐちゃぐちゃでもお兄様は嬉しいと思うわ」
「琴子、どうして清太郎さんにあげるって決まっているの」
「違うの? 美鶴のお兄様たちでもあげる」
美鶴はそれを聞いてハアともっと大きなため息を吐いた。
「あの二人に私の拙い編み物なんかあげたらどんな嫌みが飛んでくるやら。いいよ、清太郎さんにあげます」
「そうこなくちゃ」
「と、いうことは琴子は雄一さんにあげるんだよね」
「そうなるわね」
「万喜はどうするんだい」
美鶴が聞くと、彼女は口をとがらせて顔をしかめた。
「穣にでも……」
「そんなの駄目よぉ」
「琴子、でも他にいないし」
万喜が困ったようにそう答えると、琴子は人差し指を万喜に突きつけた。
「ジョニーさんは?」
「ジ、ジョニー?」
「夏からずっと文通しているんでしょう?」
「それは……。でもジョニーはお友達だから」
「クリスマスの贈り物だって言えばいいじゃない!」
「それは間に合わないんじゃ……わかったわよ」
万喜が諦めたように答えると、琴子は満足そうに頷いた。
「私はハーさんと同じでセーターにするわ。万喜は?」
「そうね、手袋にしようかしら」
琴子と万喜の視線が美鶴に集まる。
「私は……ううん」
「美鶴さんはマフラーにしたらどうかしら」
「そうね、一番簡単だし」
「そ……そうする」
三人、それぞれ何を作るか決まったところで、ハーさんが声をかけた。
「あんたたち、雪がすごくなってきたわ。おうちに文句言われるわよ。もうかえんなさい」
「はぁい」
「ハーさん、出来映え勝負しましょうね」
「それじゃあまた」
真っ白になった通りを身を寄せ合って、三人は家へと帰っていった。
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