ハプニング三昧(2)

「神崎さん、なんで無言・・・キャ! ごめんなさい」


 片脚を通し、もう片方の足を上げてまさに今からもう片方の脚を通そうとしていたその時だった。僕のお気に入り、可愛い犬のキャラクターがプリントされている水色のトランクスを初めて女性に見られてしまった瞬間だった。


 バタンと扉は閉められ小走りに自分の部屋に入っていく彼女の足音を聞きながら、着掛けていたスウェットを脱いでジーンズとポロシャツに着替え、履きなれた玄関用サンダルではなく遊びに行く時に履くスポーツシューズを履いて部屋を出る。大きく深呼吸してまるで何事もなかったかのようにお隣さんのインターホンを押すも返答ナシ、もう一度押してみる。確実に中からピンポンという音は聞こえてくるものの返答ナシ。


(もう一度押してみて反応が無かったら帰ろう、しかし何をあんなに慌てていたんだろう?)


と人差し指がインターホンに触れた瞬間、扉が開いて涙でクシャクシャになった千鶴さんが出てきたかと思うと、いきなり僕の胸に飛び込んできて彼女はワーンと泣いた。


 状況はこうだ、玄関先で僕は靴を履いており、彼女はスリッパのまま。僕は廊下におり、彼女は一段高い玄関にいる。僕の左手は閉まろうとする扉を止めて右手はインターホン付近にある。その僕の胸に彼女はしがみ付くようにして肩を震わせて泣いている・・・なかなかカオスな光景だ。二軒先の奥様が出ていらっしゃって


「どうしたの? 警察呼ぼうか?」


と言われた一言で彼女はハッと我に返り、


「お騒がせしてすいません、でっかいゴキブリが出たのでびっくりしちゃって!」


と涙を拭きながら笑顔で答え、僕を自身の部屋に入るように招き入れた。


 彼女と一緒に部屋に入り、僕は手を引っ張られるようにして彼女の部屋に招かれた。さっきはあまりの余裕の無さに何も見ていなかったが、女の子らしいかわいいお部屋だ。ピンクの遮光カーテンに整頓された室内、ほんのりどこかいい香りのする居心地の良い場所。僕の手を握ったままくるりと振り返った彼女の瞳には、今にも零れ落ちそうな涙が溜まっており下唇を噛んで泣き出しそうなのを堪えているのがわかる。


「ごめんなさい。あんな重い荷物をずっと持たせたまま、長い時間待たせてしまって。運んでもらって後ろを向けなんて、あまりにも思いやりのない私の態度に怒られるのも当然だと思います。私・・・いつもそう。カレーの材料買いに行ったのに安かったからって一人で運べないくらい買ってしまうし、助けていただいたのにお礼を言う前に自分の都合を優先してしまって神崎さん怒らせてしまうし。こんな抜けている女でごめんなさい、でも仲良くしていただきたいんです。これもご迷惑かもしれませんが、いつもコンビニ弁当ばかりの神崎さんに温かいカレーを食べてほしくて作ろうと買い物に行ったんです。私も一人なので一緒に食べられたら嬉しいなって、それなのに黙って荷物を置いてお部屋に帰ってしまうくらい怒らせてしまった。私って・・・」


 堪えていた瞳から涙がポロポロと零れ落ちる。僕はごく自然に彼女を抱き寄せて、ゆっくりと落ち着かせるように語った。


「千鶴さん。そこまで僕の事を考えてくれてありがとう、凄く嬉しいよ。君は怒らせたり傷つけたりするようなことは何もしていないよ? 僕が言葉を掛ける余裕もないくらいに、自分の都合で勝手に急いで部屋に帰っただけのこと。だから君が心を痛める事は何もないし、荷物だって僕が格好つけて貴女に『格好いい!』と思ってほしくて勝手に運んだんだよ。自己都合とはいえ何も声を掛けずに戻った事は逆に僕の方が謝らなきゃいけないくらいだと思ってる、そして一人暮らしの女の子が自分の家に男性を招き入れる怖さや不安も、男性である僕がもっと考えてあげなきゃいけないとも思ってる。だからさっき一瞬見えた汚らしい部屋着ではなくちゃんと着替えてきたんだよ、インターホン越しに見える姿が怪しくないように、少しでも安心して貰えるように。そして夕食まで考えてくれてありがとう、一緒に食べられたらきっと楽しいよね。ものすごく楽しみだよ」


 落ち着かせるつもりが余計に泣かせてしまったが、僕の胸から離れた彼女には笑みがみられ、自戒の涙ではないことが分かったのでほっとした。


(手をつなぎ胸で泣かせてあげた後には頭を撫でている、もはやどこから見てもこの構図は恋人同士ではないか! おっふ、急接近なう・・・)


なんて思いながらも一生懸命冷静に優しい男性の表情を作り、優しく彼女の頭をポンポンした。安心したのか嬉しそうな彼女の表情は、今まで見た中で一番可愛らしい。


「素直に真っ直ぐに答えてくださってありがとうございます。神崎さんは頼もしくって優しいし、お隣さん同士仲良くというか、ずっと一緒に仲良しで居てくれたらいいなって思ってます・・・ヤダ、私何言ってるんだろう。恥ずかしい!」


赤面してうつむいているその可愛らしい姿と言葉に、思わず彼女の唇を見つめてしまう。こんなシチュエーションで彼女が顔を上げて目を閉じたなら・・・キャー! おっふ流星群である(意味不明)。


それは妄想、現実は現実。もじもじしながらゆっくりと顔を上げ、その柔らかそうな唇から発せられた言葉は


「私が持っていた神崎さんのお弁当を受け取る事もなく、あんなに急いで帰られるなんて・・・もし差し支えなかったらその急用を教えて頂けませんか? お隣同士ですし困った時には互いに助け合えるかもしれませんから」


だった。にっこり微笑んでいる彼女の顔に癒されるのと同時に、なかなか本当のことは言いづらいのが現実。でも嘘はつきたくないし、だからといってせっかくここまでいい雰囲気になったのを壊したくもないし、なにより


『困った時にはお互い助け合えるかも』


なんて言ってくれてはいるが、じゃあ


『代わりにトイレ行ってくれますか? 』 


なんて小学生みたいなことは言えない。


何と言ったら納得してくれるだろうか、どのように言えば嫌われずに済むだろうかなどと試行錯誤していると、横にあった椅子の上におもむろに乗ったかと思うと僕を見降ろす形で千鶴さんは両手で僕の頬を優しく挟み、おでことおでこをくっつける形で


「雄二さん、なにがあったんです? 私は雄二さんの力になりたいのです。本当のことを言ってくれないと力になれませんし、私からも何かお願いしたいときにお願いしにくくなってしまいます。大切な人の心の器に注ぎ続けた優しさは、いっぱいになった時にお互い必ず自分に返って来るんですよ。だから教えてください・・・」


彼女の息が直に伝わる、今にも唇が触れそうな距離。そして温かくも優しい手、いい香りと心の奥まで覗き込まれているかのような瞳。僕はすっかりノックアウトされてしまい、勢いよく吐露した。



「ひゃい! おしっこが漏れそうで、初めて女の子の部屋に入れてもらったのにトイレ貸してくださいって言えずに急いで帰りました!」



これを聞いた彼女はたいして驚く素振りも見せず、頬を両手で優しく挟んだまま


「気遣ってくれてたんだね、ありがとう。これからは自分の部屋のように使ってくれていいから、無言で帰らないでね・・・寂しいから」


その瞬間、僕のおでこに彼女の唇が触れた!

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