名古屋、最高かよ(2)

 手間暇かけた土手煮はとても美味しいものであったし、大阪で


『二度付け禁止』


とうたわれる串カツもこの甘さの奥に広がる旨味たっぷりの味噌に付けたら美味しいこと美味しいこと! 他にもきしめんやらエビフライやら名古屋名物といえばいろいろ出てくると思うが、今回はこの辺にしておこうと思う。そして、この新たな味覚への出会いを一緒に喜ぶはずだったかおるさんを思い出そうにも、写真を撮ろうとすら言っていなかったことに思い当たる。この期に及んで、自分のシャイさを呪うことになるとは・・・。


 さて話を戻そう。新居にあたる中古の賃貸アパートに大家さんから事前に受け取っていた鍵を開けて入ると、きれいに詰まれた段ボールの他はガラーンとした味気ないフローリングの床、カーテンの付いていない窓が目に入った。あとは普段から使用しているベッドや座椅子、テーブルなども寄り添うように置かれていた。何はともあれこんな狭いところに押し込められてストレスマックスのミールを解放してやりたくてゲージを開けるも、なかなか出てこない。


「どしたー? 新しい場所だよ、僕も居るから大丈夫だよ」


と手を差し伸べても、指先の匂いをクンクンするだけでなかなか出てこず、相変わらず小さなゲージの中で縮こまっている。


(全く知らない匂いの場所だからそのうち出て来るだろう)


と一つずつ段ボールを開けていく。事前に下見をしていたので到着してすぐに準備装着しなければならない、カーテンとかトイレットペーパーなどにはダンボール箱にわかりやすく直接油性ペンで書いておいた。外から丸見えなのでまずはカーテンを付けてベッドやテーブル、座椅子などをいい感じの位置に配置する。


「最後のお一人様パック便はまだ到着していないので、キャットタワーはこの辺に置くとして、フローリングが傷だらけになるから安いカーペットを買ってこなきゃな。前の古いのは捨てちゃったし・・・」


 独り言をブツブツ言いながら新生活に向けた準備をしていると、ふと目を向けたゲージの中にミールが居ない。玄関も開けていないし窓も開けていないので外に出て行ってしまったという事は無いのだが、こんな狭い部屋の中で見失ってしまうほどまだ物を出していない。ベッドの下を覗き込んだり水気の無い浴槽を見てもその姿はない。


(どこにいったんだろう? まあ狭い家の中、そのうちどこからか出て来るだろう)


とクローゼットの中にスーツを掛けたり『フロ』と書かれた段ボールと開けてシャンプーやリンスを取り出したり、洗面台に歯ブラシと歯磨き粉を設置したりとクルクル動いている内に、大体三分の一くらいの段ボールの開封と中身の設置は終わった。


「おーい、ミール」


 呼んでも返事はない。再びゲージを覗き込むもそこに姿はなく、さすがにちょっと心配になってきて空になった段ボールを除けながら狭い六畳間を探していると、ひょいと持ち上がるはずの段ボールが重い。外側には『服・タオル』と書いてある箱の中に、ちょっと安心したであろう表情のミールが丸まって入っていた。無機質なものに比べて洋服やタオルの入っていたこの箱は、たんまり僕らの匂いがついていたであろうことで安心したのかもしれない・・・とはいえ、


「そうかそうか、かわいいなぁー」


と持ち上げると、極端に嫌そうな顔をして両前足で僕の顔を突っぱねる姿にツンデレなネコ好きとしてはたまらない感情を押し殺しながらも、普段通りの安心感を覚えながらそっと床に降ろしてみた。ホフク前進でもするかのように極端に低い姿勢でソロリソロリとあちこちの匂いを嗅いでは、自分が触れた空になった段ボール箱の音にびっくりして飛び上がる。


(ヤバイ、可愛くてタマンネエ! 何時間でも見ていられる。そういえば子どもの頃はそんなに動物好きじゃなかったのにな)


なんて思いながらしばらく見ていると、何やら様子がおかしい。ハッと気付いて臭いがしないように包んであったビニール袋を乱暴に破いてトイレを取り出し、新聞紙を二重に敷いた上にビリビリと割いた別の新聞紙をフワフワにしてトイレを完成させる。『匂いの気にならないネコトイレ用砂』なんてものも売っているが、僕は経済からスポーツまでネットとは別で新聞から情報を仕入れるので、我が家のネコトイレは最初からずっとこのスタイルでやっている。見慣れたものであろうに恐る恐る近寄っていき、匂いを嗅ぎまくった挙句にようやく安心したのか部屋中に強烈な香水を振りまいてくれた。


(そっか、慣れない環境でストレスと戦いながら我慢していたんだな)


 トイレを交換するのにこんなにも愛おしい気持ちになるものなのか、ゴミ袋を広げて新居第一発目を片付けて新しいトイレを作ったのと同時に次はアンモニア香水。何かの雑誌で読んだことがある、下の話でお食事中の方には申し訳ないが、尿と便を同時に排泄できるのは人間だけだそうだ。この二つの匂いが混ざり合い、何だかやっと我が家に返ってきたような不思議な感覚に僕もミールもなったに違いない。


 再びトイレを交換して出したばかりのハンドソープで手を洗おうとワンプッシュして蛇口をひねった時、前の家ではちゃんと大家さんに言って止めてもらったライフラインを、こちらでは何もしていないどころか大家さんに挨拶も行っていない事にミールのトイレで気が付いた。電気と水道は連絡すればいいとはいってもそんなすぐには水も出ないだろうし、ガスは恐らく立会いが居るだろう。大家さんへの挨拶は名古屋支社の仲間たちへ持ってきた東京土産を一つ持っていくとして、現在早急に解決しなければならない問題はこの左手にプッシュして出してしまったハンドソープをどうするかだ。ゲージと一緒に持ってきた小さめの旅行バッグに、半分飲みかけの緑茶があった・・・ひとまずそれで代用しようとこちらもセットしたてのトイレットペーパーで拭き取り、残った石鹸成分を最小限度の水分で流す。そして拭き終わったペーパーはトイレにポイとして流す、次の水が溜まらない・・・そして僕もトイレに行きたい。急いで靴を履いてカギを掛け、近所のコンビニに走って二リットルのミネラルウォーター六本とお茶を購入。そして


「お手洗いお借りします」


と爽やかに言ってトイレを済ませ店をあとにし、総重量十四キロほどの有料レジ袋二袋分の水分を五階の部屋に持って帰る。またこういう時に限ってエレベーターを待っている同じアパートに住んでいると思われる清楚な女性がいたものだから


「こんにちは!」


なんて挨拶しながら自分は外階段を昇ってきたら、五階なのにまさかのお隣さんだったっていうオチ。こんな流れからお隣さんに大家さんに取り次いでもらい、電気と水道は開通完了、ガスはオール電化のアパートなので必要なしということで、大家さんに渡す用のお土産をご挨拶として女性に渡して喜んでもらったはいいものの、結果会社に持っていくお土産が二個足りなくなってしまった。


(いいじゃないか・・・お隣さんとは顔見知りになれたし、ライフラインは開通したし、水は飲めばいいしお茶だって飲める。これでシャワーも浴びる事ができるし、お隣さんだって僕のような好青年が隣に引っ越してきたとなれば心強いだろう)


 知らぬ土地で少しホームシックになってしまいそうな気持を奮い立たせ、シャワーを浴びてドライヤーで髪を乾かしていると、コンコンとドアをノックする音。


(なんだよ、住居人が入ったという情報を聞きつけて早速受信料の取り立てか? ウチはまだテレビも箱から出してないし、いろいろあって大変だったんだぞ、コノヤロウ)


なんて昔の先輩気質が少し表情に現れながら不機嫌そうに扉を開けると、そこにはビックリちょっぴり背の小さい清楚なお隣さん。


「あ、ごめんなさい。突然お伺いしてご迷惑でしたよね、両手が塞がっていたものですからピンポン押さずにノックしちゃいました」


「いえ、滅相もございません。こちらこそしっかりとお礼もできずに大変失礼を致しまして申し訳ございません」


(またやっちゃたよ、女性を前にすると緊張して変な敬語になる癖・・・)


この変な言葉遣いにも大人の対応でクスッっと笑顔で答えてくれて、


「お夕飯食べられましたか? 私ピザを配達してもらったんですが、〝今日はピザの日です〟って配達員さんに言われて一枚しか注文してないのに、二枚貰っちゃったんです。こんなに食べられないのでよかったら食べていただけないかなって」


「おっふ!」


「おふ?」


「い、いえ。今日ミールと部屋に入って荷ほどきしていたところでまだ何も食べておりません。スマホに住所も登録していないのでまだ配達お願いできないですし、コンビニか駅弁でも買いに行こうかなって思っていましたので助かります」


「よかったです! ミールってねこちゃんですか? わんちゃんですか?」


「ね、ねこちゃんです」


 明らかに緊張して舞い上がっていたのが伝わったのだろう、清楚なお隣さんは両手で大事そうに持っていたピザの箱を僕に渡してペコリと会釈をし、素敵な残り香と共に隣の扉の中へ消えていった。

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