名古屋、最高かよ(3)

(何だよ、名古屋最高じゃねえかよ)


 こうして少なからずハプニングはあったものの、僕の初名古屋居住はとても素晴らしい一日として始まった。ウキウキしながらまだ温かい箱をテーブルに置いて蓋を開けようとした時、僕の脳が自分の手を止めさせた。


(違うだろ? ミールだって一日中我慢してたんだ、お水と美味しいご飯をあげて、一緒にお祝いするのが筋ってもんじゃねーのか?)


そそくさと箱の中から取り出した真空の柔らかい鰹パックと、さっき買ってきたミネラルウォーターを広げた段ボールの上に置き、二人仲良く名古屋上陸のお祝いをした。ミールも僕もご機嫌、ウキウキと膝の上に乗ってきたので、首の右後ろにある


『撫でてもらうと必ず喜んで喉を鳴らす場所』


を撫でながら一息ついていると


『ピンポン』


とチャイムが鳴った。


(ふっ。今日が会って初日だというのに、僕も罪な男だぜ)


なんてニヤニヤしながら


「はぁ~い!」


と扉を開けると、


「遅くなってすいません、『お一人パック』お持ちしました! キャットタワーはばらさずに包んでありますのでそのまま玄関から入れてもよろしいでしょうか?」


と日頃の仕事で鍛え上げられた丸太のような腕に、これまたいい具合に日焼けをした顔、そして真っ白な歯で爽やかに現れた爽やかな青年に


「はい、宜しくお願いします・・・」


 何とも言えない気恥ずかしさを感じながらも荷物を搬入してもらい、ミールにとっては全く知らない土地ながら居心地の良いキャットタワーの到着に、少し安心した様子でてっぺんまで駆け上がって僕を見降ろしている。僕はといえば、ミールを見上げながら荷物の搬入で少し冷たくなってしまったピザをモグモグしている。こんな時はトースターで軽く炙ってやると生地はサクサク、チーズはトロリで美味しいのだろうが、使い古して新天地で買えばいいやと不燃ごみに出してきてしまったのを少々後悔している。『じゃあ、電子レンジは?』という声が聞こえてきそうだが、男の一人住まいで温めはコンビニで済ませて持って帰って食べる生活を送っていたので、持っていないのだ。せっかく清楚なお隣さんから頂いた温かいピザは、食べていくうちに顎が疲れてくるし、トロトロだったチーズは何か違う固形物を食べているかのような食感と化しながらも胃袋の中に全部納まった。


「さてと・・・」


 そう独り言を呟いてゴミがなるべくたくさん入るようにピザの箱を細かくちぎり、洗面台に向かう。何かを食べたら歯を磨くというのが日常化しているので、ごく当たり前に歯を磨く。『待ってました!』とばかりにミールがキャットタワーのてっぺんからものすごい勢いで足元に走り寄ってくる光景は、前の住まいから変わらぬままだ。ネコ用の水はきれいにしてあるし、もちろん器にはなみなみと新鮮な水が入っているのだが、愛猫は僕が歯を磨き終わった後の洗面台に乗って残った水分を舐めるのが好きみたいだ。不思議な事にキッチンのシンクや風呂場などには全く興味を示さず、洗面台で手を洗うことにも全く興味を示さない。歯磨きをする時だけ跳んできて、口の中をきれいにして洗面台を流し終わるまで足元で尻尾をピンと立ててご機嫌にスリスリしている。それゆえに洗面台に髪の毛が落ちているとか歯磨き粉の塊がこびりついているなどという事は絶対にしない、ミールのお腹の中に異物が入ってしまっては大変だからだ。


(歯磨き粉の匂いが好きなのか? 話ができるならどの歯磨き粉が好みか聞いてみたいものだ・・・は、ニャンゴ!)


 色々あったので忘れていたがここでようやく思い出した僕は、そんなに多くないまでもまだ封を解いていない段ボールの塊に目をやる。自分の勘違いでネコの鳴き声を録音させなければならないところを一生懸命機械に向かって僕が語り掛け、認識されない苛立ちに初期不良と決めつけて押し入れに突っ込んでいた十五万円の機械。それでもコンビニのおかみさんから『ネコの声を録音させる』ことを気付かせてもらった時にはもう、どの箱に入っているのか全く分からない状態だった。夕飯も済ませてお腹も膨れた事だし、


(あれだけ放置していたのだから恐らくまた二十四時間充電が必要になるだろう)


なんて吞気に考えながら一箱ずつ開封していく。これには入っていないじゃあこの箱か? いや、じゃあ次の箱・・・と十数箱の開封をすべて完了したがニャンゴは見つからない。そんなに大きな機械でもないし、箱を開けてごそごそしたくらいでは見つからなかったのかもしれないと、片付けながら次々と段ボール箱を空っぽにしていくもなかなか見つからない。


 名古屋の空はうっすらと明るくなってきて腕時計に目をやると午前四時半、そして今日は名古屋支社に初出勤する日でもある。もう寝るのは諦めた、こうなったら出勤時間までに探し出して充電した状態で会社に行こうと決めた僕は、その後全ての段ボールを解体した後でとてつもない疲労感と虚無感に襲われることになる。


(全部開けたぞ? 中身を確認しながら徹夜で片付け、空っぽになった箱はまとめてビニールヒモで縛るところまで完了した。何で無いんだ? 俺はどこに何と一緒に入れたんだ?)


時間は無情にも過ぎてゆく、深い溜息をつきながらスーツに袖を通し髪を整え靴を履いてショボンとドアを開けると、身軽な恰好で自分の部屋を施錠している清楚なお隣さんとまたしても遭遇した。


「おはようございます! 慣れない土地でお疲れですよね、目に下にクマさんがいらっしゃいます。お土産ありがとうございました、美味しかったです! 今からご出勤ですか?」


「お、おはようございます! こちらこそごちそうさまでした。はい、今から出勤です。それでは失礼します!」


「はい。荷解きとか、人手が要るときにはお手伝いしますから、声かけてくださいね。いってらっしゃい!」


(何だよ、名古屋最高じゃねえかよ)


 男っていう生き物は単純なもので、女性から


『いってらっしゃい』


なんて言われただけでそれまでのイライラやらモヤモヤから嘘みたいに解放されて、足取り軽く階段なんて昇っているのか降りているのかわからないくらいの調子で名古屋支社へ初出勤するのであった。


 どこの会社でもある異動、これといって珍しい事は何もなく当たり障りなく挨拶させられて案内された係長のデスクに座る。僕が来る前に誰かが使っていたであろうこのデスクは一見掃除されているように見えるが、引き出しを開けてすぐに視界に飛び込んできた縮毛一本。百歩譲って丁寧に掃除をしてくれた人のものでない事は、さすがの僕にもわかる、その瞬間にテンションは激落ちである。


 常に持ち歩いている携帯用ウエットティッシュでつまんでゴミ箱に入れ、引き出しの中を拭いてから書類を入れていく。そんなに自分自身を買いかぶっているつもりはないが、仕事のできる人間とできない人間はデスクを見れば大体わかる。このデスクの元の持ち主は恐らく仕事のできない人間だったのだろう・・・何となく雰囲気でわかるのだ。長と名の付く役職の席から見える景色は今までのそれとは大違いで、良くも悪くも人の流れというものが見えてくる。この会社に入ってから営業成績が未達成だったことは一度もないことから、今回の異動が『係長として名古屋支社を立ち直らせて来い』という意味であるのはうすうす感じていたが・・・ここまで酷いとは。

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