東京での日常(3)

「おい、先輩に挨拶はよ?」


 ギャーギャー騒いでいたが僕がタバコに火をつけて発したこの言葉にガキどもは声を無くし、二人ともさっきまでの威勢はどこへやらガタガタ震えて地面に正座して座り込んでしまった。


 僕もバカをやっていた若かりし頃があって、


『先輩のいう事は絶対』


ルールの中で生きてきたので、先輩からこの言葉を言われる意味は学んできたし、ガキ共もわかったのだろう。一概には言えないが、少なくとも我々の間では後輩が先に先輩を見つけて挨拶するのが何よりも大切なルールだ。逆に先輩から先に何かを言われた時というのは制裁が待ち受けているとわかっていたから、どこを歩くにしても常にアンテナはバリバリに立てていたものだ。そう、目の前の二人の頭の中には


『制裁』


の二文字がとてつもない恐怖として浮かんでいたからこそ、震え上がって座り込んでしまったのだ。


「まったく情けねえ、お前らそれが男のやる事かよ? しかも後ろの先輩に気付かずに女や子どもに怒鳴り散らすとは何事だ? こいつぁお前らが悪いんじゃねえ、お前らを教育していない先輩が悪いんだ・・・先輩呼び出せや」


 これを聞いて二人はさらに震えだし、


「申し訳ありません、勘弁してください! 俺らボコボコにされちゃいますから・・・」


と泣き叫んでいたが、こいつらのやった事は明らかに立場の弱い店員に対して、そして自分たちよりも弱い女性に対して男が絶対にやってはならない恥ずべき行為であり、許されるものではない。


 その時駐車場に一台の高級セダンが停まり、男が一人出てきて僕に向かってまっしぐらに歩いてきた。


「オス、先輩お疲れ様です! タバコ買いに行かせてなかなか戻らないので何かあったのかと来てみたら雄二先輩に何か失礼がありましたでしょうか」


 うん、後輩はこうでなくてはならない。


「おい。おまえら自分の口から正直に言うか、オレがお前らの先輩にケジメつけるか選べ」


※『ケジメをつける』とは先輩として後輩を叱る、すなわち様子を見に来たガキどもの先輩を教育不足であると制裁を加えること


 これを聞いた後輩は後ろ手に腕を組み、どっしりと構えて自ら


「教育お願いします!」


と声を発した・・・とはいえ、こちらは会社員で暴力事件を起こしていいはずがない。


「こいつらは任せる、教育の代わりにお前がカウンターの姉ちゃんにキッチリわび入れてこい。そしてこいつら二度とこのコンビニに来させるな」


 これを聞いた後輩はダッシュで店内に入り、それは穏やかな表情で決して女性を怖がらせることなくカウンターの前で深々とお辞儀をして謝罪した。僕は外からガラス越しにこの様子を見ていたが、彼女の表情も笑顔に変わり落ち着きを見せたので安心し、ガキどもを外に正座させたまま店内に戻って女性に話しかけた。


「ごめんなさいね、怖かったでしょう? これから何かあったら僕たち近所に住んでいますので、僕の携帯番号書いておきますのでレジのところに貼っておいてください。そしていつでも呼んでください、助けに来ますよ」


 女性が会計を笑顔で終わらせて僕がお釣りを受け取るまで、後輩はニコニコと横にいて一緒に店外に出た。そして・・・


「オス、雄二先輩ありがとうございました! こいつらの教育は再度しっかり致します、このご恩はいつか必ずお返しさせてください」


と深々と頭を下げ、ガキどもを車に詰め込んだ。僕は後輩に、


「軽めにしてやれ」


と言い残して帰路に就いたことがあった。


 その後彼らがどうなったのかはわからないままいつもと変わらない日常を過ごしていた時、コンビニから電話が鳴った。音が鳴った場所はあと一駅で自宅近くの駅に着く、ここから電車に乗っている時間も含めて大体七分くらいというところだろう。マナーモードに設定していたおかげで着信音が車内に鳴り響くことは無かったが、着信を受けて


「大至急行きます」


と小声でつぶやき電話を切った。電車内でベラベラ話をするわけにはいかないので先方が何を言ったのかなんてわからないが、こちらから一方的にそう伝えてスマホをポケットに押し込んだのだ。


 停車後、扉が空いたら猛ダッシュで走るつもりだったが、扉の前には先端が赤い白杖を持ったご婦人がいらっしゃった、ソワソワしている様子から僕と同じ駅で降りるのだろうと察しはついた。


「お手伝いしましょうか?」


そう穏やかに正面から声を掛けて彼女の手を自分の肩に乗せ、改札まで誘導する。そんな暇はないというのはわかっているのだが、コンビニも目の前の女性もどちらも困っている事に変わりはないのだから放っておくのはお門違いだ。


「ありがとうございました」


ニッコリ笑って言われた僕は


「どういたしまして」


とスマートに返し、ネクタイを緩めながらコンビニまでダッシュで走り、自動ドアが追い付かない速度で店内に飛び込んだ。


「ハァハァ・・・大丈夫ですか?」

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