ハプニング三昧(3)
(ヤバイヤバイヤバイ、これはヤバイやつだ! このまま千鶴さんにリードされた状態であの唇がー!)
なんてドッキドキしている間に彼女は椅子からヒョイと降り、
「これからは部屋着で気軽に遊びに来てくださいね! それからお弁当覚めちゃいましたし、カレー作るのにもちょっと時間掛かるので、私の勤め先で一緒にお夕飯いかがですか? あ、まだ言ってなかったですよね。私、昼間は正社員として飲食チェーン店で働いているんです。重たい荷物を運んで頂いたお礼にご馳走させてください、社員価格で何を食べても半額なのでお財布にも優しいんです」
こちらは着替えて外行きの格好だし、食べに行くこと自体は何ら問題はない。隣へちょっと戻ってダウンジャケットを持ってくれば良いだろう。ミールのお世話もしてきたし、彼女がどんなところで働いているのか少し興味もある。
ふわりとスカートをひるがえしてテーブルの上に置いてあった自室の鍵と小さめのポシェットを右手で持った千鶴さんはいつの間にかあったかそうな白いコートを着て、左手は僕の右手を握って
「雄二さん、いこ!」
もうこれは
『おっふ』
以外に表現のしようがない。彼女に手をつながれたまま階段を降りてそのまま歩道を歩く。
ビジネススタイルであればかなり早歩きになるのだが、ここは女性に合わせて少しゆっくり目に。こういう経験があまりないのか、恥ずかしそうにうつむき加減で歩を進める彼女に対し、自分もこんな経験無いのだが精一杯虚勢を張って
『私は平気ですよ』
みたいな顔で不自然に無言な二人。
初めて千鶴さんにエレベーターホールで会ってからそんなに日数は立っていないものの、すごく親切にしてくれる優しいお隣さん。それもエレベーターに男性と二人きりになるのは不安だろうと階段で昇ったらお互い同じ階で、初日からピザを余分に貰ってしまったと持って来てくれたお隣さん。
僕の手をギュッと握って右側を照れ臭そうに歩いているこの女性は親切な女神様か、はたまた運命の人なのかもしれない。どこかチグハグで、それでいてどこか気の合うようなとても不思議な存在である事は間違いなく、お互いにその辺りは何となく感じ取っていることだろう。
『男性が手を握る』
もしくは
『女性が手を握られる』
というのは互いの信頼関係が成り立っている場合か、女性が自身に触れるのを許した場合であると考えている。今回の場合は
『僕が手を握られている』
状態なので、セクハラとまで騒がぬまでも断る事もできるのだが・・・心地よいのでこのままが、いいのだ。
「雄二さん、踏んじゃダメ!」
そう言って恐らく
『犬であろう飼い主の忘れ物』
の手前で急停止する、必然的に前に進もうとする僕の手は後ろに引っ張られる。無事踏まずに一歩踏み出した時お互いの手は、指を重ね合わせる恋人つなぎになっていた。
恋は盲目と言われるが、平然を装っていた僕の方がいかに周囲を見ていなかったのかが良く判ったのと同時に、恋人つなぎに発展させてくれるなんてきっとどこぞの飼い主が意図的にここに忘れ物を置いて行ったのだろう。
そんな浮かれた頭でポワンポワン歩いているから、会社であった嫌なことを忘れたいのか、スーツ姿の泥酔したタチの悪いヤカラに絡まれてしまうのであった。
「お、お? 仲良くオテテつないで~ってか? おめーらみたいなの見てると無性にぶん殴りたくなるんだけど、殴られてくれるよなぁ? ってゆうか、お前らチューしたのか? これからいい所に行くのか? ゲハハハハ! お姉ちゃんよ、こんなしょうもない男じゃなくてさ、俺たちと一緒に飲みに行こうぜ?」
(相手は四人。まあ武人である僕にとってはどうってことないが、かわいそうに隣で怖がっているだろうに)
と思った瞬間に後ろの男が彼女の右腕を掴(つか)んだ。その腕をバキバキに握りつぶしてやろうかと僕の中に怒りの炎が吹きあがったまさにその時、腕を掴んだ男の身体は宙を舞い、きれいな弧を描いて地面に叩きつけられた。
投げられた拍子に靴は反対車線まで飛んでいき、混雑する車に轢かれまくっている。速すぎて普通の人は見えなかったかもしれないが、僕の目はその瞬間をしっかりと見ていた。
掴まれた瞬間に僕とつないでいる手を放し、相手の袖と奥襟を持っての雷鳴が轟(とどろ)くが如く見事な一本背負い。受け身を取る余裕などなくコンクリートの歩道に背中から叩きつけられた男は、必死で息をしようともがき苦しんでいる。この速さと正確な体裁きは間違いなく教わる側ではなく教える側のレベルであろう、彼女よりも投げられた男の方がむしろ心配だ。
チラリと彼女の方に目をやるとそこにはまぎれもなく武人がおり、むしろ僕よりも闘争本能剥き出しの柔道家の姿がそこにはあった。こうなると不思議なもので残った男どもは彼女の方に向かって襲い掛かる、男が数人で女性を抑え込めば何とかなると思っているのか、僕のことなど目に入っていないのか。
私事ではあるが、僕の利き腕と利き足である右腕と右脚を使用して怪我をさせてしまうと武器の使用と同じ状況になってしまうので、できれば使用せずに腕力のみで何とかしようと一瞬考えたが全くその必要はなさそうだ。
僕の武は沖縄剛柔流空手、相手が殴り掛かってこようが蹴っ飛ばしに来ようが、こちらは全身凶器なのだから逆に加減が難しい。相手が振りかぶった手を払いのけただけで折ってしまいかねない古武術、東京でも何度か輩に絡まれたことがあり、その度にこちらが絡まれた側なのに何時間も事情聴取を受けなければならない面倒な目に遭ってきた。
どうやら今回はその心配もなさそうだ、肩に落ちてきた枯れ葉を払いのけるが如く次々に容赦なく投げていくその様は、一般人の目から見ても達人だ。ものの十数秒で酔っ払いの輩全員をきれいに投げ飛ばし、ニッコリ笑って
「雄二さん、いこ!」
と可愛らしい笑顔を見せて再び手をつなぐ。恐らく周囲の人が当局に通報しているだろうから、実況見分に対して
『襲われかけた女の子が全員投げました』
と言うだろうし、輩たちは恥ずかしい目にあうだろうが
『酒に酔っていたので覚えていない』
とせいぜいしらばっくれるがいい。エレベーターで男性と二人になると怖がるのではないかという僕の不毛な推測は全くもって必要なかったなどと考えつつも、あれがあったから現在僕の右手は再び優しい温もりに包まれている現実に気分はホッコリしている。
「最近ああいうの多いんだよね、まったくもう! お酒飲んで酔っ払ったら何やっても許されるみたいな風潮、私許せなくって。しかも失礼じゃない、二人で歩いているのに雄二さんのこと『しょうもない男』とか言ったんだよ? あったまきたから思いっきり投げてやったわ。あ、ごめんね・・・こんな乱暴な女の子でドン引きされちゃったかな」
「いや、爽快だったよ。僕は沖縄剛柔流空手師範だから手首を掴まれた瞬間の見事な投げ技を見てスッキリしたというか、同じ武術家で嬉しかったというか、とにかくドン引きとか全くないよ。師範っていっても道場とか持っていないけどね」
「沖縄空手ってあの全身凶器って言われる武術でしょ? それの師範ってすごいじゃない! 道理でアイツらが絡んできてもビクビクするどころか雄二さん堂々としていたものね。あれくらいの人数なんでもないよっていう余裕の表れだったのね、すごーい」
武術を知る者同士のそんな会話が互いの足取りを軽くさせ、気がつけば
「はい、到着でーす!」
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