サヨナラ・・・モウムリ(3)

 引っ越しは男一人分なので女性に比べると荷物もかなり少ない方だとは思うのだが、かおるさんが部屋に来た時に恥ずかしくないように揃えた備品たちを段ボールに詰めながらこみ上げてくる感情をぐっと堪えて、それでも荷造りに一週間は要した。


この時とばかりに日頃着ない洋服や使わないものは徹底的に処分し、


(新天地で必要な物は新しく買い替えればいいや)


半ばヤケクソになりながら作業を進めていく中で、どうするか最後まで迷ったのが


『ニャンゴ』


だ。


 返品もできずコールセンターにもつながらず、役に立たずに押し入れの奥に突っ込んであったこの十数万する機械を中古品として売りに出すところまで覚悟はできずに・・・段ボールの中にいいかげんに包んで突っ込んだ。


 ご近所さんや管理人さんへの挨拶も終わり、荷物は先に名古屋へと旅立たせて、


(なにより一番お世話になったであろうコンビニのおかみさんだけにはしっかりと挨拶をしておかなければならない)


と最後に挨拶に行った。


「あらそう、それって栄転じゃない! おめでとう。また昇進したら帰って来るんでしょう? なんだか寂しくなるけどたまにはこっちに来たときには顔を出してちょうだいね。独身とはいってもあの機械があるから寂しくはないでしょう、ウチはたくさんいるからうるさくて電源切ってあるけれど、飼い猫一匹ならそこまでうるさくないだろうから『おかえり』くらいは言ってくれるでしょう」


「あー、それについて教えてもらおうと思ってたんですけれど、何だかいろいろありすぎて忘れていました。声を認識させるために何回もチャレンジしたんですけど全然ダメで、コールセンターに電話しても一向につながらないし返品もできないわで、押し入れの中に突っ込んであったんですよ。いっそ捨ててしまおうかとも思ったんですが十五万もしたので、一応段ボールに突っ込んで先に名古屋へ送っちゃいましたが、おかみさんのところってどんな声を出したら認識してくれました?」


「どんな声って、録音ボタン押してほったらかしにしてあっただけよ。人間なら自分のタイミングで録音できるけど、ネコなんて静かな時は静かだし、ちょうどよく鳴き声を録音しろって言われても『鳴け』っていって鳴くものでもないし。え、じゃああの機械一回も使ってないの?」


 ・・・・・・おわかりいただけただろうか、穴が空くまで説明書を読んだ僕が犯した重大なミスを。


 最初の『ご使用前に二十四時間充電してください』なんてかわいい失敗だったのだ。


 恥を忍んで改めて書くと、ネコの鳴き声を収録しなければならない所を僕は一週間ずっと自分の名前を


「こんにちは神崎雄二です」


を声色を使い分けながら機械に向かって語り掛け、


「ニンシキデキマセン、モウイチドオネガイシマス」


と機械に言われ続けて文句を言おうとコールセンターに何度も電話をし、つながらないからとふてくされて押し入れの奥に突っ込んであったのだ。もしコールセンターにつながっていたら・・・と考えるとゾッとするような恥ずかしい間違いである。これらが走馬灯のように頭の中を駆け巡り、


「え、ええ。なんだか仕事が忙しくてなかなか使いこなせなくって。でも名古屋に行ったらもう一度録音ボタン押しっぱなしでチャレンジしてみようと思います! また寄りますね」


という意味不明な決意表明をおかみさんに言って丁寧にコンビニを出た後に猛ダッシュで家に帰り、


『最後の最後に入れるもの箱』


の中にあの機械を入れたのではないかという淡い期待にまんまと騙される羽目になった。


 こうなると、名古屋で荷ほどきしてもどの箱に入っているのか全く分からない。でもそんなことなどどうでもいい!どこかの箱には必ず入っているはずだし、一週間掛けて自分の声を認識させようと失敗したのもどうでもいい。


 ミールの声を録音させさえすれば、スマホの購入ボタンを押す時にドキドキワクワクしたあの感覚を実現できるのだ! 嬉しいときも寂しいときも、先日背中で泣かせてくれた愛猫がどんなことを考えて何を訴えようとしてくれているのかがやっとわかる! 


 テレビで見たインディアンダンスのような奇妙な動きをしている主人を、キャットタワーの上からシラーっとした目で見て再び丸くなったミールに喜びのあまり抱きしめようかと思ったが、人間の動きがネコの瞬発力に敵うはずもなくあっさりと逃げられてしまった。こんなことがあったからかその晩は僕の布団に寄り付きもせずにタワーの頂きから降りてこなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る