ハプニング三昧(1)

(仲良くしてくださるとはいえ、狭いエレベーター内に男性がいるというのは怖いものだ。階段で昇ろう)


などと考えながらふと彼女に目をやると、大きなビニール袋に入った十キロのお米と、もう一つは二リットルのミネラルウォーターが五本入った袋が足元の置いてあり、痛そうに自分の手を揉んでいる。米と水で単純計算二〇キロだ、普通の女性ならかなり重いだろう。そんな時、僕の気配に気づいたのか半身振り返りニッコリ微笑むお隣さん。


「お疲れ様です、今お帰りですか?」


何とも健気で爽やかで可愛らしい。


「はい、いつものように会社帰りにコンビニに寄ってきました」


そう言って温めてもらった唐揚げ弁当の入った袋を彼女の顔付近まで持ち上げてみせる。


「いい香りですね、お腹すいちゃいます! 私もスーパーに買い物に行ってきたんですけど、あちらにはカートがあるからいいものの、トランクから部屋までは運ばなきゃいけないからもう大変!」


と可愛らしいえくぼを頬に浮かべながら答える。


「お米とお水、女性一人でそんなに買い込んで、ここまで運ぶのも大変だったでしょう」


「はい。いつもはレンジでチンのご飯にレトルトカレーなんですが、せっかく仲良くしてくださる男性がお隣にいらっしゃったし、大きなお鍋で実家の味の特製カレーを作ろうと思いまして。新聞の勧誘とかセールスが来るだけでも女の一人暮らしって怖いものなのですが、お隣に優しい男性がいてくれると思うとなんだかとても安心で」


 こ、これは! まぎれもなく僕のためにカレーを作ってくれようとしているじゃないか、心臓が張りきって全身に血液を送っているのがわかるくらいドキドキしてしまっている僕がいる。


「あ、そういえばお互いお隣さんって変ですよね。一人暮らしなので表札は掲げていないのですが私、神原千鶴っていいます。これからも仲良くしてください!」


いやいや、仲良くしてほしいのはむしろこちらの方だ。僕は胸のポケットから名刺を取り出し丁寧に両手を添えて頭を下げ、


「ひゃい! ワ、じゃない僕は神崎雄二と申します! よ、宜しくお願いいたしまふ!」



ひゃいって・・・やっちまった、好意を持つ女性に対しての極端な照れモード。さすがにこれはドン引かれたに違いないと一瞬で思考が回ったその瞬間、



「あはははは、雄二さんカワイイ! ひゃいって、ふふふふふ」


とお腹を抱えて笑いながら、目に溜まった笑い涙を小指でそっと拭いている。どうやら悪い方には思われていないようだ、ちょっと安心。一つ深呼吸して今度はおちついて彼女に話しかける。


「神原さん、カレーを作られるという事はお米と水だけではなくて他にも野菜とかお肉とか買ってこられたのですか?」


「神原さんなんて、千鶴でいいですよ。はい、安かったので結構たくさん買っちゃって、スーパーにあった段ボールに入れた状態でトランクにあります」


ここは好印象のチャンス、男らしいところを見せなければ!


「チ、千鶴さん。よかったら一緒に運びますから車まで案内してください、お隣同士困った時はお互い様でいきましょう!」


 そう思いっきり爽やかぶって水と米はエレベーターホールに置いたまま一緒に車まで行き彼女がトランクを開けると、これまた大きな段ボールにたくさんの食材。格好をつけて肩の上にヒョイと担ぎ、一緒にエレベーターホールに戻ってもう片方の手で米と水を一気に持つ。


「これくらい全く問題ありません、千鶴さんは僕のコンビニ袋をお願いします」


なんて言いながら頼れる男らしさの演出に必死だ。その甲斐あってか、彼女の僕を見る目はどこかウットリしているように見える。気のせいかもしれないが・・・。


 僕の左肩の上に食材段ボール、右手には推定約二〇キロの米と水。そして彼女はコンビニ袋を両手で優しく持ってくれている、なんだか夫婦で買い物に行ったように見えるんじゃないのか? なんて頭の片隅でやましい事を考えながらも会社でのイライラなど吹っ飛んでしまうような楽しい会話のひと時。ちょっと腕に疲労感を感じ、素直な思考が頭をよぎった。


(エレベーター降りてこないな・・・)


扉に目をやると『明朝五時まで点検につきご使用になれません。ご迷惑をお掛け致します』という管理会社の文字。


「千鶴さん、エレベーター点検中ですって。僕このまま運びますから階段で行きましょう」


とスカート姿の彼女を気遣い僕が前になって先に階段を昇っていく、そこそこ時間が経った後だけにこの重さはかなりの筋トレ効果になりそうだ。申し訳なさそうな空気感を彼女から感じながらも、僕にとってその感覚は悪いものではない。むしろ


『神崎さん、頼もしい!』


と勝手に脳内変換しながら五階の踊り場までたどり着いた時に僕と千鶴さんのポジションは入れ替わる。彼女は自室のドアを開けに早歩きで進み鍵を開けてドアを全開にして、


「神崎さん重いのにずっと持たせちゃってごめんなさい! どうぞそのままお入りください。降ろすの大変でしょうからキッチンの机の上に置いちゃってください」


両手が塞がっていてシビレて感覚がなくなってきただけにこの言葉は非常にありがたいのだが、僕の頭の中は



(う、うおっふ! 彼女の部屋に入れてもらえるだと? 荷物様ありがとう! それでは遠慮なく、おじゃまし・・・)



「ちょっと待って! ごめんなさい、そのまま後ろ向いてください!」


 目の前にようやく荷物を置く事ができるテーブルがあるというのに、手の痺れも上腕二頭筋の乳酸も限界にきている。でも、彼女がそういうのだからそうするしかない。くるりと後ろを向き彼女からOKの声が掛かるまでの時間にするとわずか一分ほどの間に僕の頭の中ではさまざまな感情と思考が入り混じっていた。


(お願いだから床でもいいから荷物置かせてくれないかな、実はお子さんがいらっしゃって隠しているのかな、お子さんじゃなくて彼氏が座っているのを見られたくないからとりあえずベランダに出したのかな、ヤバイおしっこしたい、自分の部屋なら荷物置いてすぐにトイレいけるのに、コンビニ弁当冷めちゃったな、やっぱりおしっこしたい・・・)


「ごめんなさい、もう大丈夫です。外に下着が干せないので部屋の中に干してあったのをとりあえずクローゼットに突っ込みました。重いのに申し訳ないです、どうぞ置いてください」


 その声を聞いた途端にホッとしたのだろう、僕の尿意は一気に限界近くまで達した・・・とはいえいきなり女性の部屋に来てお手洗いを借りるわけにもいかず、無言で荷物を降ろしてビジネスシューズをつま先で引っかけるように履き、何も言わずに大急ぎで隣の自室に入ってピンチを脱した。


ベルトが引っ掛かったりボタンを開けるのに手間取って二秒遅れたら、いい大人が大惨事を起こすところだった。こんな事を読者の方は別に知りたくないと思うが、僕は男性ながらお手洗いは必ず座る派だ。汚したくないしなるべく掃除もしたくない、便器自体の掃除はタンクにポンと入れるだけの便利な洗剤が水を流す度にやってくれるのだが、床やら壁やら掃除するのが嫌いなのだ。


 そのくせ、ミールのトイレに関してはいつもきれいな状態に保ってあげたいという思いからこまめに掃除をしている。なので自分がすっきりしたからハイソレデオシマイではなく、愛猫のトイレもきれいに掃除して水もきれいなものに交換してカリカリを入れる。尻尾をピンと立ててご機嫌に寄ってきて足元でスリスリしながら僕の顔を見上げ、ニャオンと鳴いてから食べ始めるかわいい奴だ。食べている背中を優しく撫でてからいつものようにスーツを掛け、スウェットの上着を頭からかぶるように乱暴に着用して下を履こうとしたその瞬間、突然玄関の扉が開いた。

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