アオハルだなぁー(2)

「そんな冷静にできるわけないでしょ」


と言われることが多々あるが、怖いと思うから目を閉じてしまって怪我したり動けなくなってしまうのであって、自分が刺されるなんてこれっぽっちも考えていない人間には怖くないのでちゃんと動きを見ているのだ。


 その結果、瓦どころか木製バットやレンガを粉砕してきた空手家の鍛練されて固く握られた右こぶしが、効率的に発動する。後頭部が地面に着いた状態でメキメキと色々なものが折れる音を立てながら顔面にめり込む。


前歯はもちろん、鼻や頬骨も完全に折れている感触を感じながら立ち上がって彼女の方に歩き出した。これでも手加減したのだが、あれをまともに受けて立ち上がれないことは長年の経験からわかっていた。


「終わったよ、ニャンコの具合どう?」


「肋骨折れてるみたい、肺に刺さってなければいいけれど。この子首輪しているし片脚かわいそうなことになっているから、獣医さんに連れて行って私が面倒見ようと思う」


 彼女に預けていた上着に黒猫を包んで我々の居住地から近い獣医さんの元に走ろうとした時、後ろから延びる手の気配を感じた。


「雄二さん、危ない!」


瞬時に振り返って目に飛び込んできたものは、イカツそうなスーツ姿の男性が彼女の一本背負いで地面に叩きつけられている光景だった。


「イテテ、投げられてわかったわ。相変わらず見事な背負いだな、チーさん。寸分の隙もねえ」


「わぁ、亀山さんじゃないですか! ゴメンナサイ・・・」


二人の会話に接点が見つからず、状況が把握できていない僕がポカンとしていると


「雄二さん、こちら警視庁暴力団対策本部の亀山さんです。とっさの事だったので体が勝手に動いてしまって投げてしまいました・・・」


「なんか公園でカップルが襲われてるって聞いたから来てみりゃあ、ガキどもが返り討ちに合ったと見える。しかも顔面がめり込んでいるコイツを見るに・・・空手だな、それも相当の使いだ。ひょっとして商店街で酔っ払いをぶん投げたってのはチーさんかい?」


「あ、はい。絡まれたので投げちゃいました。えっと雄二さん訳わかんないですよね、何から説明したらいいでしょう」


 スーツに着いた砂埃をパンパンと払い、僕よりも体格の良いその男性は先ほどの酔っぱらいたちとは違って何事も無かったかのように立ち上がる。僕の目にも投げられて着地の瞬間に、しっかりと受け身を取っているのが見えていた。


「ワシから話そう、警視庁暴力団対策本部の亀山だ。チーさんには警察本部で柔道の稽古をお願いしているってわけだ、状況はわかったからあとのことはこちらで引き受ける。動物病院行くんだろう? 早く行ってあげなさい」


 刑事さんの粋な計らいにより、僕たちはこの小さな命を救けてもらうべく行動ができる。幸いなことに彼女は柔道家で僕は空手家、多少全力で走り続けたところで心肺機能に問題なく、まさにシャッターを下ろそうとしている獣医さんに滑り込みセーフでたどり着いた。状況説明をすると


「すぐに診ましょう」


と中に入れてくれて我々はそこから一時間ほど待合室で待つことになった。何を話すでもなくただお互いの手を固く握りあって、運び込んだネコの命がつながる事だけを願って過ごした時間。やがて診察室から出てきた獣医さんは話し始めた。


「恐らく交通事故だと思われますが、ケガをしている右後ろ脚は破傷風を引き起こす可能性があるので付け根から切断となります。肋骨は折れていますが肺にまでは到達していません、これから回復させるためにしばらく入院させて手術を行った後に点滴治療となりますが、このネコの所有権はどうされますか? お話を伺ったところ『公園にいたノラ猫』との事ですが、治療費や回復後のお引き取りを考えると・・・」


彼女がサッと手を上げて一歩前に出た。


「治療から避妊まで全ての処置をお願いします、治療費は私がお支払いしますし里親にもなります。私の名前は神原千鶴、警察庁で柔道の師範をしておりますのでお問い合わせくださっても結構です!」


あまりの意気込みに獣医さんも少し困惑していたが、彼女の


(どうしても助けてほしい)


という思いがこの勢いを生んだのだろう。ひとまずネコは入院するということで、我々は随分遠回りな帰り道をようやく終える事となった。互いの玄関前に到着した時、


「雄二さん、よろしければ少しお時間いただけませんか? というより、お話を聞いていただけませんか?」


と言われたので


「はい、わかりました」


と答えると、


「ありがとうございます、どうぞ」


と玄関の扉を彼女が開け放った。


(そっち? この時間から女性と二人きりで、しかも彼女の部屋で・・・)


なんていつものように軽くパニックを起こしていると、


「大丈夫です、おトイレ使ってください」


とにっこり微笑まれたことで緊張も解け、お邪魔して話を聞く事となった。柔らかないい香りのするお部屋に入り、


『ここに座ってね』


と言わんばかりに準備されたクッションに座る。紅茶を入れて僕の前に置き、座った彼女の表情は先ほどとは打って変わって暗く、うつむいた姿勢のまま彼女はぽつりぽつりと話し始める。


「私、家族と仲が良くなくて疎遠ですって言いましたよね。実は両親からも妹からも存在を認めてもらえなくて改名しているんです、雄二さんには嘘をつきたくなくて・・・ごめんなさい。昔の苗字は奥山なんです」


 ポロポロと涙を流しながら絞り出すように彼女が打ち明けた言葉の真意はわからないが、家族という大切な居場所が無くて改名までしている心の辛さは何となく理解した。ここで理由を聞いて傷口に塩を塗るほどデリカシーの無い僕ではない、今回はちゃんと彼女にハンカチを渡して落ち着いた声で返答する。


「千鶴さん、打ち明けてくれてありがとう。君が僕に話してくれたのは、固く閉ざした心の扉を僕にだけ開いて見せてくれた、すなわち信用してくれたんだって思ってるよ。謝ることなんてないさ、人間生きていれば悩みや苦しみなんていくらでもあるし、世の中は不条理で不合理で不平等なものだ。君が生きてくれている、そして縁あって僕に出会ってくれた、美味しい手料理を振る舞ってくれた・・・それでいいじゃない? 大切にしたい女性だって思ってます」

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