ずっと、ずっと好きだった
1
茜咲恋夢が転校してきてから、早くも二か月近い時が過ぎた。
この期間、色々と色々なことがあった(本当に色々あった)。
五月半ばに起こったとある一件をキッカケに、恋愛研究部に相談すればどんな恋愛の悩みでも解決するという噂がまことしやかに囁かれ始め、恋愛研究部に持ち込まれる面倒な案件に限って恋夢が俺を強引に巻き込んで逃げ道を塞いできたため、この間の俺の苦労は尽きなかった。
しかしながら、何だかんだ面倒なトラブルが起こりつつも、収まるべき所に収まっていった感じがある。
だがしかし、一つの色恋沙汰が収束すれば、また新しい色恋沙汰が巻き起こるのだ。
茜咲恋夢という存在は、俺に言わせればトラブルメイカーであり、本人に言わせればラブコメイカーであるらしい。
どちらにせよ、そんな彼女の側に居る限り、面倒事は避けられない。
そしてきっと、茜咲恋夢からは絶対に逃れられないという運命が、朝比奈うつつには付き纏っている。
季節は梅雨。
ジメジメとした梅雨らしい日々が続く今日この頃、恋という火種に愛という燃料が注ぎ込まれ炎となった恋愛は、好きと嫌いの火花を散らしながら雨の中とて業々と燃え盛る――と、恋夢が言っていた。
大体そんな感じである。
〇〇〇
窓の外から、梅雨らしい雨音がザァザァと響いてくる。
狭苦しい文芸研究部の部室は蒸し暑く、熱と湿気が籠った空気を扇風機が気休め程度に掻き混ぜていた。
「…………」
俺はうちわ代わりの下敷きで自らを仰ぎながら、いじっていたスマホをスリープしてテーブルに置く。
顔を上げると、タブレットに視線を落としている空斗が視界に入る。
チラリと見えた画面から、空斗が眼で追っているのが小説らしき文字列だと分かった。
「空斗お前、またアイツの小説読んでるのか」
「ん……? あぁ、そうだよ。この前アップされたヤツを読み返してる」
「よくもまぁ、あんな甘ったるいもん何度も読めるよな……」
「そういううつつも、一回は読んでるんだろ?」
空斗は背もたれに深く背を預けて、微笑混じりに俺を見やった。
俺は自分の顔が苦々しく歪んだのを自覚する。
「だから……、俺はただ、アイツの書いてる話がやりすぎてないか確認してるだけだって」
恋夢が『茜糸』という名義でブログにアップしている小説やら漫画やらイラストやら曲やら。
恋夢がつくり出すそれらの作品は、基本的に現実で彼女が直に感じたモノを軸に生み出されているっぽい。
恋愛研究部に相談に来た者達の色恋事や、恋夢が勝手に首を突っ込んだ色恋沙汰。
恋夢はその中で見知った恋に悩む者達をモデルとしてキャラを生み出し、その一人一人を主人公として物語を描く。
現実で恋が実った者はその後に紆余曲折ありながらも、その中でお互いの間にある真実の愛を確かめていつまでもいつまでも幸せに暮らしましたと締めて、現実で恋が実らなかった者は、運命の悪戯に助けられつつも自分の想いを貫き通して意中の相手と劇的に結ばれて、その後はいつまでもいつまでも幸せに暮らしましたと締める。
恋夢の描く物語はその全てが、まるでどこまでも都合の良いおとぎ話にみたいに、完全無欠のハッピーエンドに行き着く。
――絶対に。
恋焦がれる運命の相手が親友と被ってしまった三角関係の恋愛は、必ず誰かが報われず不幸になってしまう。
恋夢はそういう物語でさえ、完全無欠のハッピーエンドに整える。
世界を分けるのだ。
現実で三角関係になってた三人の内、三人が三人とも幸せになれるように、世界を二つに、必要とあらば三つに分ける。
全員が必ずどこかの世界では永遠絶対の幸せを手に入れられるように、恋夢はいくらでも新しい世界を創り出す。
まるで神様だ。本人もラブコメ神だとか何とか自称してるけど。
「…………」
空斗が今読んでいた物語は、四日前にようやく片が付いた色恋沙汰を元に恋夢が描いたものだろう。
内容は、お互いがどうしても素直になれない不良一匹オオカミと真面目クラス委員長の両片想いラブコメ。
その二人をくっつける為に、俺が恋夢に引きずられながら裏で色々画策して死ぬほど面倒だった話は割愛するが、現実に起こったこの出来事を知っている俺からすれば、恋夢がネットにアップしたその小説の中に出て来る主人公とヒロインは、そのままこの学校に通っている彼と彼女にしか見えないのだ(余談だが、今朝その二人が相合傘で登校しているのを見かけた)。
で、それの何が問題かというと、恋夢はこの小説を当人たちに無許可で描いているのである。
別にそれで金を稼いでいる訳でもないし、恋夢はリアルとフィクションを絶妙に馴染ませているので、実際にその出来事に関わった人物でなければ、その小説を現実の当事者に結び付ける者もまぁいないだろう。
創作者が実際の知り合いをモデルにキャラを作るなんて話はザラに聞くし、恋夢が描いてる小説が何かの法的な問題に発展することはないと思うのだが……。
しかし、純粋な感情の問題として、その仕組みを知ってしまっている俺からすれば、『これ不味いんじゃね……?』と思わずにはいられないのである。
何かの間違いで恋夢のやってることが明るみに出たら、面倒な事になる気がしている。
そうなると、既成事実的に恋愛研究部の一員みたくなってしまっている俺にも被害が及ぶ可能性がある。
だから俺は、恋夢の創作が、現実をモデルにする以上は越えちゃいけない一線を越えていないかどうかチェックしているのだ。
本当にそれだけ。ただ、それだけである。
「でもうつつ、恋夢ちゃんのつくる話は面白いだろ?」
恋夢の小説が表示されたタブレットを片手にしながら、空斗が口の端を吊り上げる。
「……………………まぁ別に、つまらないってことは、ないが……」
「くくっ、どういう顔だよそれは。架空彼女とかいう物凄いウソは吐いてた癖に、変な所で素直だよね、うつつは」
思いっきり顔をしかめながら答えた俺に、空斗はくつくつと笑った。
読み物として、恋愛モノやラブコメと呼ばれるような作品に触れるのは、本当に小学四年生の時以来である。
キャラの思考の回りくどさには頭が痛くなるし、キャラ同士のバカみたいなすれ違いには神経を擦り減らされるし、誰か一人でも素直になれば全て解決する面倒事をいつまでも引っ張ることにはイライラするし、ひたすらイチャコラしてるシーンには砂糖を吐きそうになるしアイツどういう顔してこれ書いてんだよ……と思わずにはいられないし、ただでさえ現実でめんどくさい恋愛をフィクションの中でまで面倒に描く必要があるのかと疑問に思うが、物語としては別につまらない訳ではない。
恋夢のつくる話が、ネットで人気を博しているというのも、まぁ分からないではない。
どんなに身を切られるようなシリアスが起こっても、必ず最後にはハッピーエンドで終わることが約束されている安心感というのも、その人気に拍車をかけている気がする。
「そろそろ、うつつもラブコメの良さが分かってきたんじゃない?」
「お前まで恋夢みたいなこと言わんでくれ……」
「よかったら僕オススメのラブコメも読んでみないか」
空斗が背に並んでいる本棚から、ラノベと呼ばれるようなエンタメ小説を引っ張り出す。
「いらない。別に好き好んで読んでる訳じゃねぇんだよ」
「ふむ、要するにうつつが読む恋愛モノは恋夢ちゃんがつくったヤツだけってことか」
「殴られたいなら素直にそう言え」
「悪い悪い、冗談だって」
空斗は悪気も無そうにくつくつと笑う。
思わずため息を吐いた。……全く、どいつもこいつも。
「常昼さんはもうこれ読んだんだっけ?」
空斗は一冊の小説を片手にテーブルの下を覗き込んだ。常昼はこの蒸し暑い中でも変わらず寝袋にこもって好きなことをやっている。
暑くないのかよ……。
「……まだ読んでないからネタバレしたらころす」
「おっけい。読んだら感想教えてね」
「……ふん」
返事代わりに鼻を鳴らした常昼に、何とはなしに俺は声をかける。
「なぁ常昼さ、お前それ暑くないの?」
「しね」
答えになってない返事が即座に飛んで来る。
「…………」
話しかけるんじゃなかったと後悔して地味に傷付いていると、空斗が口を開く。
「でも、これからもっと暑くなりそうだし、この部屋にもクーラーとか欲しいよね」
「いや流石に無理だろ」
この学校に文化系クラブの部室がいくつあると思っているのか。
その全部に設置するのは現実的じゃないし、どこか一つを特別扱いする訳にもいかないだろう。
「あ、でも文芸部にはあるらしいよ。クーラー」
「は、マジ?」
「まぁポータブルクーラーだけどね。部費に合わせて部員でお金を出し合って安いヤツを買ったみたい」
「ポータブルか……。あれって、あんま涼しくないみたいなの聞いたことがあるけど」
「でも今よりは大分マシになると思うよ。この部屋は狭いしね」
「でもクーラーを買うつったってな……」
現状三人しかいないこの部活(実はあと二人幽霊的部員がいるが)でカンパをするには、一人当たりの負担が大きい。ウチは部費もほとんど貰ってないし。
「常昼さんはどう? クーラー欲しい?」
「………………………………ほしい」
テーブルの下からボソリと返事があった。
なんでこいつ空斗の質問にはちゃんと答えるんだよ……。ていうかやっぱ暑いんじゃねぇか。
「ふむ、じゃあちょっと考えてみようか。てきとうに理由をでっちあげて、それを買うための部費を増やしてもらうという方法もあるしね」
「…………」
空斗の滔々とした発言に不穏なものを感じていると、部屋の扉が勢いよく開いて二人分の人影が飛び込んできた。
扇風機の風を受け、赤い髪がなびく。
「――うつつくんに空斗にひなた! 一緒に大富豪をやりましょう!」
急に現れて唐突過ぎる提案をしたのは、三上白羽の手を引く恋夢だった。もう片方の手にはトランプを持っている。
本当に毎度毎度、こいつは……。
しかし、なぜ白羽までいるのだろうか。
白羽は恋夢と繋がれている自分の手を見下ろして顔を真っ赤にしていた。
俺が訝る目線を恋夢に向けると、彼女は威勢よく口を開く。
「さっきまで白羽の相談を受けていたんです。白羽に似合いそうな夏服のコーディネートとかの話をしてたのですが、その中で白羽が今まで一回も大富豪をやったことがないと判明したので、やりましょう」
「……」
一部話が飛躍しているが、恋夢の言いたいことは大まかに理解した。
「あ、いや、えっと、わたしは別に、無理にとは……、す、すみません……っ」
初対面に近い空斗の視線を気にして、白羽が委縮していた。
白羽はこの二か月で大分あか抜けており、おどおどした自信なさげな振る舞いも多少は改善されている。
クラスに友達も何人かできたと、この前言っていた。しかしながら、初対面の男の先輩の前だと流石に気が引けてしまうらしい。
対してこの状況を楽しんでいる空斗は、「いいよ、やろうか」とあっさり答えていた。
そのまま、テーブル下の常昼にも意向を問う。
「常昼さんはどうする?」
「やらない」
「それはダメです。ひなたもやりましょう」
「やらない」
「やりましょう」
「やらない」
「やりましょう」
「やらない」
「やりましょう」
この二か月の間にあった出来事を通して、恋夢は常昼を随分と気に入ったようである。
一方、常昼が恋夢の事を本気で苦手に思っているのは見てれば分かるが、その態度は俺や空斗に向けられるものほど刺々しくない。
というか、常昼は恋夢に強く出ることができないみたいだ。
恋夢が同性だからというのもありそうだが、一番大きな要因として、どうも常昼が『茜糸』の大ファンであるらしい――という要素が大きく影響していると思われる。
「やらない、やらない、ヒナはやらないから。絶対にやらない」
「この世に絶対なんてものは絶対にないんですよ、だからやりましょう」
恋夢が握っていた白羽の手を離して、常昼を寝袋ごとズルズルと引きずり出している。
「あ……っ」と、さっきまで恋夢と繋いでいた手を名残惜しそうに見つめる白羽。
「意味わかんない……」と、本気で嫌そうに呟きながら、恋夢に抵抗できず引きずり出されてくる常昼(寝袋入り)。
「はぁ……」
最初から拒否することを諦めている俺は、人が増えて余計暑苦しくなった空間に辟易しつつ、嘆息した。
〇〇〇
大富豪は地域によって大貧民と呼ばれることがあったり、ルールが大きく異なったりするトランプゲームである。ちなみに赤花高校スタンダードルールは、革命、スぺ3、7渡し、8切り、10捨て、イレブンバック、縛り、都落ちが有り、ジョーカーや2、8切りで上がるのが無し(革命時は3上がり無し)、階段も無し、と言った具合である。詳しくは赤花高校ボードゲーム研究会ツイッター公式アカウントを参照されたし(ボードゲームなのにカードゲームとかTRPGも研究してるらしい。遊んでるだけとも言う)。
「――ルールはそんな感じで、大富豪が4点、富豪が3点、平民が2点、貧民が1点、大貧民が0点として、五回勝負で勝敗を決めましょう。何も賭けないのは面白味に欠けるので、一位の人が最下位の人に何でも命令できるということにしましょうか♡」
お前はプロマジシャンかってツッコミたくなるくらい巧みに流麗なカードシャッフルを見せながら、恋夢がルール説明をして、ニッコリ微笑んだ。
そのまま文句が出る前にトランプを配ってゲームを開始しようとする恋夢に、俺が待ったをかける。
「おい待て恋夢」
「なんですか? うつつくん」
「何でもは無しだ」
こいつが一位になったら何を命令するか分かったもんじゃない。
あと常昼が一位になって俺が最下位の場合、俺が死ぬ可能性が出てくる。
「では、常識的な範囲で何でもにしましょう」
「お前常識が何か分かってんのか?」
ついキレ気味にツッコんでしまった。
「むぅ、分かってますよ。うつつくんは私を何だと思ってるんですか?」
わざとらしく頬に空気を溜めて、恋夢が俺をにらむ。
「とにかく、相手が本気で嫌がるようなことは無しだ。いいな?」
「もー、分かってますってば」
むふふっとご機嫌に微笑む恋夢。
ほんとに分かってんだろうなこいつ……。
テーブルに着いている他のメンバーを確認してみると、空斗は楽しげな笑みを湛え、嫌そうな顔で頬杖をついている常昼は俺と目が合うと舌打ちをかまし、白羽は俯いて「な、なんでも……?」と呟きながら恋夢をチラチラ見て耳を朱に染めていた。
これ、大丈夫か……?
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