「――という訳なんだが、俺はどうしたらいい?」


「言ったはずだよ、僕は愚痴を聞くだけで、どうこうするつもりは微塵もないって。てか、うつつが言ったんじゃないか、僕に話したとこでどうにもならないってさ」


 斜陽が差し込む狭苦しい部室。涼やかな風がカーテンを揺らす向こうでは、運動部の張り切った掛けが響いている。

 反対側、廊下に面する壁の向こうからは、軽音や吹奏楽が奏でる音色が聞こえてくる。


 ――学校の放課後。


 俺は、今日という日に起こった絶望的な不幸を空斗に愚痴り終えた。

 彼は元から俺の色恋に対する苦手意識と、架空彼女について知っていたので、話はスムーズに進んだ。


 まぁ、こいつに話を理解してもらった所で、何一つ救いが訪れないのは今の会話の通りなのだが。


「はぁ……」


 今日何度目か分からないため息がこぼれる。

 放課後になった途端、恋夢は用事があるからと教室を飛び出して行った。


 一体、今何をやっているのか。不安で仕方ない。近くに居ても居なくても俺の精神を削る奴だ。


「いいじゃないか、別に」と、空斗が肩をすくめる。


「なにが」


「事情はどうあれ、噂の美少女転校生とお付き合いできるんだからさ。僕も昼にちらっとだけ見たけど、本当に美人だったねあの子。スタイルも良いし、きっとみんなうつつを羨ましがるよ」


「だから……俺はそういうのがイヤなんだって……」


 明らかに分かってからかっている空斗を俺は睨む。


「じゃあお前、俺と代われよ」


 恋夢の言い分を思い返すに、彼女が欲しがっているのは、自分の夢を手伝ってくれる顔の良い誰かだ。

 空斗だって、性格はさて置き見てくれは悪くないのだし、こいつをアレに突き出せば俺は解放されるかもしれない。


「悪くない提案だけど、うつつの話を聞く限り茜咲さんは僕の手には余りそうだから遠慮しておく」


「俺だって持て余してんだよッ!」


 俺がそう叫んだ時、


「――……ほんと、つまんない話。くだらない」


 真下からくぐもった声がして、テーブルの下から一人の人物がイモムシのように這い出てきた。

 全身を寝袋に包み、覗かせた顔をこちらに向ける。

 首にパステルカラーのヘッドホンを掛け、専用の穴から出した片手でスマホを握っている。

 寝袋からはみ出したボサボサの長い髪が床に付いているのに、少しも気にしている様子がない。


「常昼、聞いてたのか……」


 じっとりとした半目で、床に寝ころんだまま俺を見上げる気怠げな少女――常昼とこひるひなた。

 俺と同じクラスで、この文芸研究部の部員の一人である。


 ずっとヘッドホンを付けてスマホをいじっていたので、てっきり聞いていないと思っていたのだが……。 


「お前の声がでかいだけ。うるさいんだよ。くだんない話をぐちぐちと、自慢ならヨソでやれ」


 ケッと吐き捨てんばかりの口調である。相変わらず刺々しい奴だ。


「俺の話をどう聞いたら自慢に聞こえるんだ」


「うるさい。そういうのほんとマジでキモい。吐きそう。結局お前が言ってたことは、自分の顔が良くてモテ過ぎてあー困ってる(笑)ってことだろ。恋愛が嫌いだとかどうとか調子に乗ったこと言いやがって、どうせお前の自業自得だろ。被害者面すんなしね」


 平常時ならまだしも、精神的疲労が溜まってる時にこうも遠慮なく刺されると流石にクるものがある。

 自業自得なのは間違っちゃいないが、できればブラートに包んで頂きたい。


「あのさ……、ずっと気になってたんだけど、なんでお前ってそんな俺への当たりキツイの?」


 俺が常昼と初めてまともに顔を合わせたのは昨年の秋だが、彼女の俺に対する態度は初めから尖っていた。

 空斗への態度もそこそこキツイが俺ほどではない。

 

 この部室以外で彼女が誰かと喋っている場面はほとんど見ないので、他の人への態度は知りようもないのだが……。


 常昼が俺を睨む。


「ヒナはな、顔が良い奴と陽キャが死ぬほど嫌いなんだよ」


「…………なるほど」


 別に俺は、そもそもの気質として、いわゆる陽キャと呼ばれるような人種ではないのだが、それを言うと倍にして反撃されそうなので口をつぐむ。


 細かい事情は知らないが、彼女にも彼女なりの理由があったらしい。

 何気に初めて知った。

 それはそれとして、俺を口撃するのはやめて欲しいんだが……。


「あと恋人持ちもしんでほしいくらい大嫌い」


「いや、俺のアレは――」


「うるさい黙れリア充。もうヒナに話しかけんなしね」


 常昼は吐き捨てるや否や、顔を引っ込めてテーブルの下に戻っていく。


 お前から話しかけてきたんだろうが……っ!

 

 思わず握った拳を解いて、ガリガリと頭を掻いた。

 もう諸々がめんどくさい。


 そんな俺と常昼のやり取りを、くつくつと笑みを堪えながら眺めていた空斗が言う。


「うつつが常昼さんと仲良くするには、だいぶ時間がかかりそうだね」


「時間の問題か? これ」


 常昼とは単に時間をかけた所で分かり合えそうにない。


「まぁ、他人が抱える悩みや感情を真に理解するのなんて不可能だからね。何なら自分のことですらよく分からないくらい」


 その通りだ。

 自分のことですらよく分からないのに、自分ではない他者の気持ちなんて正確に理解できるはずがない。


「だというのに人は人と関わらずに生きてけない。そりゃ、面倒くさくもなるさ」


「……まったくだな」


 俺はうんざりと呟く。

 そしてどこか楽しげな空斗を見て、あることに気付いた。


 空斗と恋夢は、少し似ているところがある。

 目の前にあるものが面倒な何かであっても、それを厭わず楽しんでしまう所だ。そりゃもちろん、場合にもよるんだろうけど。


 しかしそういう共通点を持ちながら、恋夢は積極的で、空斗は受け身がちなのだ。


 そんなことを考えていると、コンコンとノックが響いた。


「どうぞー」


 空斗が声をかけると、バーンと勢いよく扉が開け放たれる。

 茜色の斜陽を受けて、つやつやと艶めく赤い長髪が覗いた。


 それを視界に入れた瞬間、俺は頭を抱える。


「お邪魔します。うつつくんは――って、あは♡ いるじゃないですかぁ」


 俺を捉えた恋夢の瞳が楽しげに光る。

 恋夢は我が家に帰宅するかのような遠慮のない足取りで、ずけずけと部室に入ってきた。


「うつつくん捜しましたよ。連絡入れたのに全然反応してくれないし、もう」


 わざとらしくむくれる恋夢。

 彼女のライン通知やら着信には気付いていたが、全部未読のまま無視していた。


 俺は恋夢の視線から逃れるように顔を逸らす。


「君が茜咲さんだね」


 空斗が興味深げに恋夢を見た。


「はい、私が茜咲恋夢です。あなたは、二年生ですよね?」


「うん。僕の名前は囲夜空斗。一応、ここの部活の部長って立場かな」


「部長っ。それは素敵ですね」


 恋夢は笑って両手を合わせる。


「ここ、文芸研究部って書いてありましたけど、文芸部とは違うんですか? この学校って文芸部もありますよね?」


「あぁ、それは色々事情があってね。元々一つの部活だったんだけど、分裂したらしいんだよ」


「何か違いがあるんですか?」


「あっちは文芸を生み出すけど、こっちは文芸を研究する。身も蓋もなく言ってしまえば、文芸部の方は真面目に創作活動してるけど、ここはただの読書好きが遊んでるだけ」


 本当に身も蓋もなく言いやがった……。

 実際その通りだし、何ならずっと読書もせず寝袋に籠ってスマホゲームやってる奴もいる。


 机の下を覗くと、イヤホンを装着した常昼が死んだ目でスマホを高速タップしていた。


「じゃあ空斗は小説書かないんですか?」


「書いてた時期もあるけどね。茜咲さんは興味あるの? 小説とか」


「はいっ。私は今も書いてますよ、小説を」と、ピースサインを突き出す恋夢。


「へぇ」


 空斗が少し驚いたように目を見張った。


「どんなの書いてるの?」


「そりゃあもう、ラブコメです! 私はその内、世界で一番のラブコメを生み出すので、期待しておいてください」


 堂々と言い切った恋夢に、空斗が「それはすごい。書けた時は是非読ませてよ」と、社交辞令的に当たり障りのない反応を返す。

 それと同時に、机の下から「はっ」と鼻で嘲るような音が聞こえてきた。


「もちろんです。あ、でもまだ世界で一番とは言い難いですけど、最高に面白いラブコメは既に色々書いたり描いたりしてるので、今度時間がある時に見てください。ネットで『茜糸あかねいと』と検索すれば、私のブログが出てくるので」


 恋夢がそう言った瞬間、空斗の眉が大きく上がった。

 テーブル下の寝袋がビクンと震えて、ガシャンとスマホが床に落ちる音が響いた。


 え、なに、あかねいと……?


「……それ、ほんと?」


 驚きと疑いが混ざった表情を浮かべる空斗。


「本当ですよ。私こそが、ラブコメ神の『茜糸』です」

 

 豊かな胸を大きく張って、ふふんとふんぞり返る恋夢。

 

 なんだよその最高に頭が悪そうな神は……。


「これが証拠です」


 恋夢が取り出したスマホの画面を空斗に突き付ける。

 俺からは見えないが、それを見た空斗がほうっと感心の息を吐いた。


「これは凄い。いや、本当に驚いたな」


「何がそんなに凄いの?」


 空斗がここまで驚いているのは珍しいので、純粋に気になった。


「うつつはそういうのに興味ないもんね。簡単に言うと、茜咲さんがネットで有名なラブコメイカーだった、ていう話」


 ラブコメイカーってなに……。いや意味は分かるんだけどさ。

 妙な造語を当たり前のように使うな。


「そんなにすごいの? こいつが?」


 恋夢が得体の知れないパワーを持っていることは確かだが、こいつの創作がまともな人気を得ているイメージが湧かない。


「すごいよ。小説とか漫画とかイラストとか、作詞作曲もたまにやってるし、自作のショートアニメに自分で声を吹き込んだりもしてる。ネット上ではかなり有名」


 実物を知らないから実感は得られないが、聞く限りとんでもなさそうではある。


「ふふん。まぁただの趣味ですけどね」


「趣味でそこまでやってるのがすごいんだけどね」


「その通り、超絶すごいんですよ私は」


 鼻高々の恋夢だったが、しかしそういう類いに一切関心が無い俺は『そうか、凄いんだな』以上の感想が出てこない。


「ですが、いくら天賦の才に恵まれたラブコメイカーの私であっても、そう簡単に世界一のラブコメは生み出せません。だからこそ、小説より奇なる現実を取材する必要があるのです」


 舞うように両手を広げた恋夢が、その場でくるりとターンを決めた。

 謎のドヤ顔。


 短いスカートの裾が、下着の見えないギリギリの高さまでなびき上がる。


 俺は、勝手に脳内に浮かんだ昼間の記憶を全力で蹴り出した。


「そのための活動拠点として、私は一つの部活を作ってきました。名を『恋愛研究部』と言います。合縁奇縁なことに、ちょうど部室はここの隣です。運よく空き室だったんです」


 くすっと歪められた悪魔の笑みが、俺に向けられる。嫌な予感がした。


「――ということなので、空斗、うつつくんを部員として貰っていいですか?」


「うんいいよ」


 ノータイムで答える空斗。

 その時にはもう、俺の腕は恋夢にガッシリと奪われていた。


「あはっ♡」

「おまっ! ふざけんな!?」


 愉悦の顔でひらひらと手を振る空斗と、テーブル下で『二度と帰って来るな』と言わんばかりに俺を睨んでいる常昼。

 一瞬俺に中指を立てているように見えたが、よく見ると上に突き上げているのは人差し指だった。

 どういう意味だよそれは……。


 そんな光景を最後に、凄まじい力で部室の外へ引きずり出される俺。


 抵抗した俺が倒れ込んでも、そのまま引っ張られる。

 茜色に照った廊下を雑巾ばりに全身で磨きながら恋夢を見上げると、悪魔が可愛く見えるレベルのにやぁっとした笑みがあった。


「あ、うつつくんまた私のパンツ見て。エッチですねーっ」


「お前いい加減殴るぞ!?」


「あっはぁっ♡ 楽しくなりそうですね! うつつくん!」


「ぁぁぁあああぁぁぁぁぁ――……」


 桜色に染まる出会いの季節が遠ざかり、気の早い夏の足音が聞こえ始める今日この頃。


 ――こうして俺は、世界で一番めんどくさいヒロインと再会したのだ。


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