世界一めんどくさい私は言いました。あなたのことが、好きなのです

『恋愛研究部~恋愛絡みの相談 何でも受け付けます♡ どんな恋でも恋愛マスター茜咲恋夢にお任せあれ!~』


 リアル調の美男美女たちが目を引くイラスト付きの張り紙が、校内の至る所を彩っていた。

 淡く切なげでありながらも鮮やかな色遣いで、いかにも『アオハル』という雰囲気だ。


 そのイラストには、視界に入れば自然と足を止めてしまう謎の魔力があった。

 悔しくも、恋夢の技量を認めざるを得ない仕上がりである。


 そんなイラストに惹かれた生徒らは、色恋事のお悩み相談を受け付ける旨の文面と、新設された恋愛研究部の部室の所在を確かめることになる。


「――とにかくあの張り紙を全部はがしてきなさい。今すぐに」


 昼下がりの職員室、俺と恋夢は担任の十色先生に叱られていた。

 頭痛がするのか、十色先生はこめかみを押さえて深いため息を吐く。

 俺も頭が痛い。


 昨日の放課後、新設恋愛研究部の殺風景な部室に積み上げられ塔を成していた張り紙を、校内中の掲示板やら廊下やら、果ては教室内やトイレの中まで、ありとあらゆる場所に張っ付けるのを俺は手伝わされた。

 その間、バカなことをやってる俺と恋夢を見咎めた風紀委員たちとの、悶着的おにごっこのような何かが繰り広げられたのだが、思い出したくもないので詳細は割愛しておく。


 そして、全力で学校を休みたい気持ちを理性で抑えつけ登校した今朝のこと、校内中に張り巡らされた張り紙の宣伝効果は凄まじく、既に茜咲恋夢という存在は校内中の話題の中心であった。

 それに合わせ、恋夢の恋人ということになってしまった俺の話まで滞りなく噂されている。

 

 もはやこの赤花高校内部において、俺と恋夢はセット扱いであり、その存在を知らぬ者などいないだろう。 


 昨日の放課後に俺と恋夢が無断で張り紙を張りまくった事実は当たり前のように先生たちにも知らされており、昼休みに呼び出された俺たちは、叱られると同時に張り紙の撤去を命じられていた。


 言い訳などできる訳もなく、俺は「本当にすみませんでした。今すぐ剝がしてきます」と真っ当に謝罪。

 俺の隣にいる恋夢も、存外素直に「申し訳ありませんでした、先生。ちゃんと全部剥がしてきます」と頭を下げていた。


 素直に謝った俺たちに、十色先生も小言を上乗せすることもできず、少々納得いかなそうな顔をしつつもすぐに開放してくれそうだった。


 ――と、思ったのだが。


「茜咲さんはもう行って大丈夫よ。ほんとに、転校早々これ以上の問題を起こすのはやめてちょうだいね」


「はい、善処させて頂きます」


 にっこりと良い笑みを浮かべる恋夢。


 一見、優等生じみた笑顔だが、絶対また何かやらかすぞコイツ……。


 それよりも、俺は十色先生の『茜咲さんは』という発言に引っかかる。

 『は』とは……?


「朝比奈くんはちょっと残ってね。話はすぐ終わるから」


「……はい」


 項垂れるように頷く俺。え、なに、怖い……。


「茜咲さんは、もう出ていってもらっていいのよ?」


 俺の隣から動こうとしない恋夢に、十色先生が言う。


「私が聞くとダメな話ですか?」


「そうね。朝比奈くんと二人きりで話したいことかな」


「分かりました。ですがうつつくんは私の彼氏なので、うつつくんがいくらカッコよくても変なことしちゃダメですよ♡」


 お茶目っぽいウインクを残して恋夢が出ていく。

 十色先生はため息まじりに頭を抱えている。


 心中お察しします……。


「……朝比奈くんがあの子と付き合ってるっていうのは、本当なの?」


「…………」


 肯定も否定もしない。

 肯定はしたくないが、否定するとあとが怖い。


「あぁ、ごめんね。こういうのは先生には答えにくいよね。まぁどうであれ、しっかりと節度を守ってるなら私から言うことは何もないんだけど……」


 悩ましげにこめかみを押さえる十色先生。


「たぶんあの張り紙の件は、朝比奈くんが茜咲さんに無理やり付き合わされただけだと思うんだけど……」


「分かってくれるんですか、先生……っ」


 俺は感動していた。

 何一つ言い訳してないのに察してくれるなんて。流石生徒からの人望も厚い十色先生だ。良い人。


「まぁ、これでも君のことは去年から知ってるからね。その上で私が言いたいのは茜咲さんのこと」


 俺の顔が全力でしかめられる。

 それを見て何を察したのか、やわらげに破願する先生。


「茜咲さんのことは、前にいた学校からも色々聞いてるんだけど、分かりやすく言うとあの子は問題児らしかったのね」


 非常に分かりやすい評価である。異論は皆無だ。


「だから、茜咲さんと仲がいい朝比奈くんにお願いしたいことがあるの」


 違う、待って……。違う……。仲がいい訳が無い。

 あえて言うなら暴君と奴隷だ。


 察しが良い先生かと思いきや、勝手に間違った解釈をされている。


「と言っても全然大したことじゃなくてね。出来る限りでいいから、茜咲さんのことを色々フォローしてあげて欲しいの。確かに茜咲さんはちょっと風変わりな子もしれないけど、それでも転校してきたばかりで不安もあると思うから」


 不安を抱えてる奴は、転校初日から部活を新設して校内を張り紙だらけにしないと思うのですが。


「あの先生、一つ聞いていいですか?」


「うん、なに?」


「アイツが作った部活って、本当にちゃんとした部活なんですか……?」


 あんな訳の分からない部活がまともに許可されるとは思えない。

 仮に許可されていたとしても、早速こんな問題を起こしてるんだから潰してもいいと思うんだが。ていうか潰せ。


「そうね。私も細かいことは聞いてないけど、ちゃんと承認されてるみたいね」


 マジか……。昨日の放課後の短い間で一体何をどうやったんだアイツ。

 誰がアレの顧問になったんだよ……。聞くのもなんか怖いので、確かめようとは思わないけど。

 



 職員室を出ると、廊下の壁に背を預けている恋夢と目が合った。

 気分よさげにハミングをしている。

 『愛は勝つ』。昔の名曲だった。


「あ、うつつくん。早かったですね」


「何やってんだよお前は。早く張り紙剥がしに行け」


 この職員室前の廊下においても、例の張り紙が主張しまくっている。


「まぁまぁ、今日の放課後までに全部剥がせばいいらしいので、のんびりやりましょう。それにせっかく張ったんですから、少しでも多くの人の目に入れたいですし」


 こいつ、微塵も反省してねぇ……。


「……でも、意外だな」


「何がです?」


「お前があんな簡単に謝って、剥がすのを認めるとは思ってなかった」


 なにせ、風紀委員たちと完全下校時刻ギリギリまでバトルして張り付けた張り紙たちだ。


「怒られるのは分かってましたからね。だからこそ、短い間で校内の話題にするためにこんなに張ったんです」


「要するに悪気はあったんだな」


「悪気とはちょっと違いますかね。確かに悪いことをした自覚はありますけど、悪意はないですから」


「何がどう違うんだよ……」


「どちらにせよ、私は自分の為になることなら何でもやりますよ」


 後ろ手を組んで俺を覗き込み、「ふふっ」と笑みをこぼす恋夢。

 隣を通りがかった一年生が、恋夢の笑みに視線を奪われていた。

 人を惹きつけ引きずり込む悪魔の微笑だ。


 漏れかけたため息を呑み込む。


「……とにかく、剥がしにいくぞ」


「お昼ご飯はどうします?」


「んなもん後回しだ」


「えー。でも昼休みだけじゃ、絶対に終わらないですよこれ」


「そんなに張ったお前が悪い」


「ふふ、うつつくんも張ったくせにー」


「お前がやらせたんだろ!?」


 思わず怒鳴ると、「きゃーっ♡」と叫びながら恋夢が駆けていく。

 俺はそれと逆方向に進む。


「……じゃあ俺はこっちから剥がしてくから」


 その後、「ここで私を追いかけないのは恋人失格ですよ」とか言いながら付き纏ってくる恋夢を黙殺しながら無心で張り紙を剥がし続けた。


 ……マジで本当に疲れる。

 


 

 放課後、俺は一人で淡々と張り紙を剥がしていた。


 途中までは恋夢と一緒に剥がしていたのだが、恋夢が「あっ、私たちが部室を空けていると、恋のお悩み相談者が来た時に対応できる人がいません」と騒いだので、張り紙は俺が剥がしておくからと部室に行かせた。


 大きな話題にはなれども、あんな胡散臭い張り紙を見て真面目な相談をしにくる者はいないと思うが、少しでも恋夢から離れる時間が欲しかった。

 精神衛生上ね。


 恋夢はどうも、恋に悩む生徒たちに直に触れることで、小説より奇なる現実の恋愛を研究し、世界一のラブコメを生み出すための糧とする――というような目的であの張り紙を張ったみたいなのだが、仮に相談者が来たとしても、あんな奴にまともなお悩み相談ができるのだろうか。


 もうなんか色々と不安でしかない……。


 恋夢がどうなろうと知ったことじゃないが、今のままだと間違いなく俺も巻きまれる。

 ひとまず保身のために降伏している俺だが、どうにかしてアレの魔手から逃れる手立てはないものだろうか。

 



 結局、そこそこ急いで剥がしていったのに、校内中に散っていた張り紙を全て剥がす(恋夢が女子トイレに張り付けたもの以外)までかなり時間がかかった。

 あと十五分もすれば完全下校時刻である十九時だ。

 ちなみに山のような張り紙は全部職員室前の古紙回収ボックスに突っ込んでおいた。


 窓の外を見ると、薄い瑠璃色に染まっていく空が見えた。

 既に日は沈んだあとである。


 恋夢はもう帰ったのだろうか。

 スマホを見ると、『うつつくん、遅いです。早く来てください』という身勝手極まりないラインがひとつ、一時間ほど前に届いていた。


 煩わしいが、このまま黙って帰るのもばつが悪い。


 ひっそり閑とした校内を昇降口に向かって歩きながら、『全部剥がしたから帰る』と恋夢にラインした。


 ――その直後、ウ゛ゥっとスマホが震える。


『部室に来てください』


「……………………ったく」


 見てしまった以上無視も出来ない。


 やむを得ず、渋々、仕方なしに、俺は恋夢がつくったアホみたいな部活――『恋愛研究部』の部室へ足を運ぶ。 


 部室の扉を開くと、殺風景な室内の中央に置かれた横長のテーブルが目に入った。恋夢はパイプ椅子に腰を降ろし、そのテーブルにぐでーっと両手を伸ばして突っ伏していた。


「うつつくん、遅いです……」


 不満そうにむくれた顔を上げて、恨めしげな視線を送ってくる恋夢。その視線を受け流して、俺は言う。


「相談者は来たのか?」


「……」


 ふいっと顔を逸らされる。

 

 まるで物事が自分の思い通りに行かず拗ねている子どもだ。


「そろそろ帰らないとまた昨日みたいに怒られるぞ」


「……いやです。恋する誰か来るまで動きません」


「アホか。来る訳ないだろ。みんな帰ってるつうの」


「絶対来ます」


「こねぇって」


「来ますー。来るんですー」


「ガキかお前は……」


 テーブルの縁をがっしり握って、意地でも動かないという意志を見せる恋夢。


「はぁ……、好きにしろ」


 俺が踵を返して部室を出ると、背中から「あーっ。私を見捨てるんですか!? うつつくんのばか! どうなっても知りませんからねーっ」という脅し文句が飛んできたが、無視した。

 



 五分ほど置いて部室に戻ると、まだ恋夢はテーブルに突っ伏していじけていた。

 恋夢は部屋に入って来た俺をチラッと見て、一瞬目を丸くしたが、すぐにむくれる。


「…………」


 無言で非難の念を送ってくる恋夢の前に、俺は校内自販機で買って来た紙パックのジュースを置く。


「ほら、帰るぞ」


「………………私がコレ好きなの、覚えててくれたんですか……?」


「てきとうに選んだだけだ。いいから早く立てって。また俺もまとめて叱られるだろうが」


 恋夢はジュースの紙パックを手に包むように取ると、ニマニマと笑みをこぼした。


「……ふふ、まったくもー、うつつくんがこんなにあざといとは思いませんでした。んふふふ」


 勘違いするなよ、とそう言いかけて、その台詞を呑み込んだ。

 どうせこいつは自分に都合よく解釈するだろうから。


 まったく、やりにくい。


 扉横に掛けてあったカギを手に取って、俺は部室から出る。


「カギ掛けるから出てこい」


「はいはーい」


 カバンを手に取って弾むように飛び出してくる恋夢。

 

 俺が扉を施錠していると、背伸びした恋夢が耳元で囁く。


「一つ、聞かせてください」


「なに」


「うつつくんは、私のことが好きじゃないんですよね」


「そうだよ」


「なるほど、つまり、うつつくんは好きじゃない子にも平気でこういうことをするんですね」


「……恋夢さ」


 心底呆れた。こいつは何も分かっていない。


「はい?」


「自分が俺を脅してる立場だって分かってる?」


 思った以上にキツイ口調になった。

 言わずにおこうと思ったが、勝手に言葉がこぼれる。


「今のはただ、恋夢の機嫌を取っただけだよ。お前に変な噂流されたらたまんねぇからな」


「…………」


 俺を見上げる恋夢が、きょとんと目を丸くしていた。


「じゃあやめます」


「は?」


「うつつくんを脅すの、やめます。うつつくんが好きなようにしても、うつつくんの弱みを利用して脅すことはしません。まぁ、それ以外に関しては私も好きなようにしますけど」


「は? いや、だってお前、昨日……」


「昨日は確かにああ言いましたけど、今、やっぱり違うなぁって思いました。だからやめます」


「…………」


 頭痛がした。やっぱり掴めない。

 だが、こいつが自分でそう言うなら、これ以上俺が無理に付き合う必要はない。

 きっと、それはこいつの本心なのだから。


「そうかよ」


 俺は恋夢に背を向けて、足早に廊下を行く。


 ――が、背後から足音が付いてくる。


「どこ行くんですか?」


「カギ返しにいくんだよ」


「ちゃんと返しに行ってくれるんですね。恋愛研究部には残ってくれるんですか?」


「やめる」


「えぇっ! それじゃあ私、ひとりになっちゃいますよ」


 マジで何なんだこの女。意味が分からない。何を考えているのか、本当に分からない。

 こいつのことを考えると頭が痛くなる。……だから、考えるだけ無駄だ。


 俺は勝手に回る思考を強引に打ち切って、歩調を早めた。


「あ、待ってくださいうつつくん」


「ついてくんな」


「でも私はうつつくんと一緒に帰りたいです」


「俺は帰りたくない」


「ふむ、意見が分かれましたね? こういう時はじゃけんで決めましょう。昔みたいに」


「…………」


「はい。じゃーんけん、ほい」


「………………」


「私の勝ちですね。それでは一緒に帰りましょうか。ふふ。うつつくん♡」

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