「――これはマジだから」と、そう告げて、俺は三上の反応を見守る。


 三上はぽかーんと口を大きく開けて、目を皿のように丸くして、頭に疑問符を躍らせている。

 いや、まぁ、そういう反応になりますよね……。


 初めから全部説明するのは面倒だし、というか恥ずかしくて説明できない。


 自意識過剰の痛い勘違いをしていた自分のせいで既に羞恥で死ねそうなのに、さらに恥を上塗りする気にはなれない。

 いやもう何なんだよ俺……。


『三上白羽が好きな相手は、俺である――と』――過去の思考がフラッシュバックする。


 あ゛ぁ゛ぁぁああぁぁぁあっ!?!? やめてくれぇぇ!?


 穴があったら入りたいとはこのことか。

 しかしこれは俺の問題であり、三上には関係のない話だ。


「ど、どういう、こと、ですか……?」と困惑している三上に、俺は言葉を選びながら説明を重ねる。


「訳あって付き合ってるフリをしてる、ってのが一番近いのかな……。だから俺とアイツは恋人らしいことは何も――」


 屋上でのワンシーンが頭に過ぎるが、あれは無しだ。


「――……してない。だから安心してくれってのもちょっと違うんだが、まぁ、そんな感じ」


 もう少し機を見ようとは思っているが、別に今すぐアイツと別れたことにしても問題ないくらいなのだから。


「そ、それ……ほんとう、なんですか……?」


 信じられないという顔の三上。俺はそれに頷きを返す。


 一拍置いて、三上の顔がパァァと輝き、口元が緩んでいたが、その喜色はすぐに引っ込んだ。暗い顔で俯いて、三上がポツリと呟く。


「で、でも……だからと言って、茜咲先輩とわたしが釣り合う訳、ないですよね……。わ、わたしは、全然可愛くなくて……、わたしは女で……」


 三上の瞳に涙が溜まり始める。


 うわ出た!こういうのめんどくさ――とか思っちゃいけない……ですよね。

 いや普通にすこぶるめんどくさいんだけどさ。


「ご、ごめんなさい……、わ、わたし、こんな、めんどくさくて……。き、嫌いなんですよね、こういうの……っ」


「いや嫌いとは言ってない。ただ苦手で、死ぬほどめんどくさいと思ってるだけで」


「そ、それ、嫌いとは違うんですか……?」


「難しいとこだな……」


 言葉の意味は、人によって受け取り方が違う。

 この線引きは、あくまで俺のちっぽけな矜持を守るための自己満足みたいなものだ。

 こういう俺だって、どうしようもなくめんどくさい。だから、それを他人に押し付けようとは思わない。


「まぁどっちにしろ、さっき言ったように三上の気持ちを否定する気はないよ」


 とんでもなく難儀な恋をしてるな、とは思うけど。

 女性同士とかいう以上に、よりにもよってアイツとは……と思ってしまう。


「それに、三上はたぶんちょっと顔とか服とかいじれば全然可愛くなると思うぞ」


「え、え、せ、整形とか、ですか……?」


 三上が頬に手をやって、ほんのり赤面しながら言った。


「いやいやいや……、化粧とか髪型とか、服の着回しとかそういうのだって」


 三上の外見は、まるでおしゃれに頓着していない。

 俺も別にそこまで身だしなみにこだわるタイプじゃないが、それでも口出ししたくなる点がちらほらとある。


 姉さんに見せたら発狂するかもしれん。姉は家の中だとひっどい格好してるけど、外に行く時のこだわりは凄まじい。


 昔はよく、「アタシの弟がそんなてきとうな恰好で外行くのはあり得ねぇ」とか何とか言われて、無理やり身だしなみを整えさせられていた。


「あー。あと、恋夢はたぶん、同性とか異性とか、そういうのは気にしないと思う。……もはやそういう次元の問題じゃないというか…………」


「そ、そうなん、ですか……っ?」三上の声が弾んで、顔が赤く火照った。


 この様子だと、後半呟いた俺の台詞は聞いてないな。


「じゃ、じゃあ、わたしも……がんばれば、えっと、その……、茜咲先輩と、つ、つ、つ、付き合えたり、する可能性が、あるんで、しょうか……」


「…………どうだろうな」


 申し訳ないが、三上が期待しているであろう言葉を無責任にはかけられない。

 俺が三上に与えた情報はあくまで義理の範疇であって、最初に言い添えたように期待させる目的ではない。

 否定こそしないが、ハッキリ言って三上の恋を応援する気もない。


 三上のようないかにも普通の範疇を出ない女の子が相手にするには、あの茜咲恋夢という人間はあまりにも特殊過ぎる。


 俺の態度に芳しくないものを感じ取ったらしい三上はしかし、妙な勘違いをしたようで、


「せ、先輩が、茜咲先輩を好きっていうのは、ウソじゃないんですよね……?」


「いやそれもウソだ。アイツのことは好きじゃない」


 思わず即答してしまった。


「え、で、でも……」


「ホントにそういうのではない。アイツの恋人みたいになってしまってるのは、成り行きというか仕方がなかったというか。マジで違う」


「じゃ、じゃあ――っ」


 三上は決意を固めたような表情で、鋭く俺を見据えた。

 それまでの弱々しい姿勢とは何かが違った。その瞳には涙が浮いていたが、それでも力強かった。


 一瞬、気圧される。――この子、こういう顔もするのか……。


「わ、わたしが、茜咲先輩のこと、と、取っちゃっても、いいんですね……ッ!?」


 ヤケになったような大きな声。余すとこなく朱に染まった顔が、気付けばぐぃぃと目の前に近付けられていた。


 ちょ、近い……。


「い、いいんですね!?」


 そもそも俺のものじゃねぇ――と言いかけた台詞を呑み込んで、そっと三上の肩を押し返す。


「いちいち許可なんて取らんでいい、好きにしろよ。……その気持ちは、お前だけのもんだろ」


 うわ俺恥ずかしいなおい。

 真面目な顔で何言ってんだ……。マジで恋夢に毒されている気がする。


「は、はい! 好きにします!」


 三上はコクコクと頷いて、握った拳を胸に当てた。さっきまでとはまるで別人である。


「…………」


 つい、俺は微笑めいたものをこぼした。


 別に三上をバカにして嘲った訳でも、くだらないと冷笑した訳でもない。

 ただ、己の恋に向き合うと決めたそれ一つの理由だけで、ずっと弱気だった少女が様変わりしたのを目の前にして、素直に感心してしまった自分が可笑しかっただけだ。


 あぁ、きっとこの子は今日から変わるんだろうな――と、根拠もなくそう思った。


 月並みに言うなら恋の魔法、俺に言わせれば呪いとでも呼ぶべき何か。


 きっとそのよく分からない感情は、めんどくさければめんどくさいほど、得体の知れない力を有しているのだろう。


「あの、朝比奈先輩……っ」


 三上はベンチを降りて俺の前に立つと、丁寧に頭を下げる。


「おう」


「その……、本当に、ありがとうございました」


「あぁ。大した話もしてないけど、元気になったならよかったよ」


「は、はい……っ。あの、わたし、す、少しでも、茜咲先輩に、近づけるように、がんばってみようと、思います……っ」


「そうか」


「は、はいっ」


 三上の口元にぎこちない微笑みが浮かんだ。それを見て、俺もベンチから立ち上がる。


「俺は一回部室に戻る。三上はもう帰るのか?」


「え、あの、や、わ、わたしも、一緒に戻ります」


 唇を引き結んで、意を決したような顔の三上。


 戻って何をするつもりだろうか。おいまさか、いきなり恋夢に告白とかしないよな……。

 まぁ俺が口出しすることでもないか。 


 それから、俺と三上は並んで食堂裏から出たのだが――、


「あれー? うつつじゃーん」


 たった今食堂から出て来たばかりという様子で、女子二人男子二人のグループがこちらを見ていた。

 俺に声をかけたのは去年クラスメイトだった女子。

 その隣にいる男子も元クラスメイト。もう残りの男女二人は現クラスメイトである。


 四人とも小慣れた感じで身なりをアレンジしてる。

 着崩した制服に染めた髪、所々に個性を意識した装飾など、良く言えばおしゃれ、別の言い方をすればチャラい系のグループ。


 恐らく食堂でお茶でもしながら駄弁っていたのだろう。

 ウチの食堂は放課後になるとカフェっぽいメニューを出してくれる。

 学生のお財布にもやさしいお値段で。


 彼女らを見た途端、隣に居る三上に緊張が走ったのが分かった。

 顔が強張って、身が震えて、俺の背中に隠れがちになる。

 まぁ、三上とは真逆に近いタイプの四人だからな……。にしても、少し怯え過ぎな気もするけど。


「え、その子だれ? いま一緒に裏から出て来たよね」


 興味津々の顔つきで、彼女たちは三上を見ていた。

 きっと、三上の泣きはらした目元にも気付いたことだろう。


「うつつが泣かせたん? え、ちょっとやばサイテー。恋夢ちゃんはどうしたのー、うつつ。浮気ー?」


 口端を歪めて、にまにまと分かりやすい笑みを浮かべている。

 他三人も合わせるように笑っていた。


 俺がそれに軽く言葉を返そうとしたところで、後ろにいた三上が急に前に出てきた。


「――ち、ちがいますっ!」


 少し裏返った声を張り上げた三上に、四人が面食らったように目を丸くしていた。

「あ、朝比奈先輩は、そ、そんな人じゃありません! わ、わわ、わたしに優しくしてくれて、だ、だ、だから、浮気とかじゃ、っ、ありません!」


「……………………」


 静寂が満ちる。

 その静けさを破ったのは、ぐすっという鼻を鳴らす音だった。


 また泣きそうになっている三上を見た彼女たちが、ハッと何かに気付いたように慌て始める。


「ご、ごめんねーっ!? じょ、冗談っ、冗談だよ」


 先頭に立っていた彼女が三上に駆け寄って、よしよしと頭を撫でた。


「へ……?」


 今度は三上が目を丸くする番だった。


「うつつがそんな浮気なんかする奴じゃないの分かってるから。うつつ恥ずかしがって全然彼女のこと話してくれないけど、マジ一途だから。知ってるよーそれは」


 こぼれた三上の涙を少し余らせた袖で拭いながら、彼女が俺に目配せする。


「でしょ?」


「あ、あぁ……」


 俺は顔が苦々しくなりそうなのをどうにかこらえて、頷いた。


 彼女らの笑みには嫌味がなかったから冗談なのは分かっていたが、初対面の三上には分かりづらかったのだろう。

 三上はただ、俺の為に勇気を絞ってくれて、それが空回ってしまっただけだ。

 別に誰が悪いという話でもない。


「ちょっと相談に乗ってたんだよ」と俺が言うと、彼女が「え? 恋愛相談?」と返してくる。


 ホントに……、この恋愛脳め……。いや別に間違ってないけどさ。


「お、マジでそうなん? ねね、後輩ちゃん、名前なんて言うの? うつつとは仲良いの? どういう繋がり? あっ。あたしは春穂はるほね。で、この子が秋那あきなでー、アレがシュウでー、ソレがヒロね」


 春穂が側に寄っていた秋那を抱き寄せて、後ろにいた男子二人を雑に指差す。


 シュウが片手を挙げて三上に微笑みかけ、ソレと言われたヒロが「ソレって、ひでー」と笑っている。

 秋那は「よろしくね」と、三上に穏やかに声をかけていた。


 当の三上は春穂の勢いに圧倒され、目を回していた。


「え、え、え、わ、わたしは、三上……で」


「下の名前は!?」


「し、白羽、です……」


「おっけい白羽ちゃんね。なになに? 白羽ちゃん好きな奴いんの?」


「えぇ!? そ、それ、ぇ、は」


 ボッと真っ赤になる三上。

 逃げたり泣いたり赤くなったり勇んだりと、忙しい奴だな。


「きゃー、赤くなってかわいーっ。でもそんならもっと可愛くしないとダメよ白羽ちゃん」


 春穂が片手で三上の髪をさらさらと撫でて、もう片方の手で頬をふにふに触っている。


「せっかく肌も白いしきれーな真っ直ぐの髪になりそうなのに、もったいないなぁ。ちゃんとお手入れもしなきゃ。よーし、あたしが教えてやろう」


 そのまま三上を持ち帰って着せ替え人形にでもしそうな勢いの春穂に、俺は「待て待て待て」と制止をかける。


「三上はまだ用事あるっぽいから、また今度にしてやってくれ」


「あ、そうなの? じゃあ連絡先だけでも交換しとこか」


「え、え……、?」


 当惑する三上に、春穂が「ほらほら」と急かしを入れる。


 押し流されるままにラインの交換を済ませる三上。その頭から疑問符が噴き出している。


「じゃあまたねー」と手を振りながら側の本館に入っていく春穂たち。


 俺はそれに手を振り返したが、三上はスマホを手に持ったまま、何が起こったか分からないとでも言いたげに首を傾げていた。

 このまま待っていても再起動に時間がかかりそうなので、声をかける。


「じゃ、戻るか」


「……は、はい……。……?」

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