恋愛研究部の部室に三上と戻ると、恋夢はノートパソコンと向き合ってリズミカルにキィを叩いていた。

 が、俺たちに気付いて顔を上げる。


「あ、二人ともお帰りなさい。思ったより早かったですね」


 品のある微笑みを浮かべる恋夢。傍らに置いた洒落たティーカップと相まって、なお上品に見えてくる。

 もう詐欺だろこれ。


 恋夢に微笑みかけられて赤くなった三上は、奮った表情で前に踏み出すと、勢いよく頭を下げた。


「――あの、茜咲先輩……っ」


「はい、なんですか?」


「い、いきなり飛び出したりして……すみませんでした。きょ、うは、ほんとうに、ありがとうございました……っ」


「いえいえ、どういたしましてです。白羽の悩みは解決しましたか?」


「……っ。はい……っ」


「では、もう一度だけ質問させてください。白羽の中にあるその想いは――、恋ですか?」


 恋夢の問いかけに、三上は顔を上げた。


 三上は恋夢を真っ直ぐ見て、頬を茜色に染めて、委縮することもなく静かに口を開いた。


「はい。この想いが、私の恋です」


「……そうですか」


 恋夢は、慈愛を含んだような微笑みを口元に湛える。


「白羽の恋を、私は応援しますよ。また何か相談したいことがあればいつでも来てください。私にできることなら力になります。あと、私のことはぜひ恋夢と呼んでくださいね」


「――っ、は、はひ。こ、こ、こ、恋夢、先輩」


「はい、白羽」


 ふふっと嬉しそうに笑う恋夢。


 その笑顔を見て、見えない何かにやられたようにのけ反った三上が、再度頭を下げる。


「そ、そ、その、あの、ほんとうにありがとうございました! ま、また、会いに来ます、わ、わ、わたし、が、がんばります……っ! お、おお、おつかれさまでしたぁ……っ」


 踵を返して部室を飛び出し、扉の手前で振り返って立ち止まり、もう一度頭を下げて扉を閉めてから逃げるように去っていく三上を見届けて、俺はふっとと息を吐き出した。


 本当に、慌ただしい女の子だった。


 三上白羽という少女の行く末にほんの少しばかり思いを巡らせて、意味のないことだと振り払う。

 彼女が歩む道は、彼女が選ぶのだから。


「面白くて、初々しくて、かわいい子でしたねー」


 椅子に座った恋夢が両手で両頬を包むように頬杖をついて、俺を見ていた。


「やっぱり恋する乙女はすてきですね。そう思いませんか? うつつくん」


 ご満悦の恋夢に、俺は淡々と言い返す。


「――なぁ恋夢……、お前、全部分かってたろ」


「なにがですか?」


「とぼけんなよ。お前は三上の気持ちに気付いた上で、俺に追いかけさせたんだろうが。あの時俺に送ったラインも、分かった上でやりがったな?」


「……ふむ」


 恋夢は、何かを推し量るように俺の目を見つめたまま、頬杖をやめて腕を組んだ。

 少し逡巡するように虚空を見やってから俺に視線を戻して、にんまり微笑む。


「バレましたか」


「結局何がしたかったんだ、お前は……」


「なにってそりゃ白羽が抱えてるお悩みの解決ですよ。ラインのあれはただうつつくんをからかっただけですけど。あそこで白羽を追いかけるのは私じゃダメだったでしょう?」


「それは、そうだが……、でもお前は、アイツの気持ちに応える気はないだろ」


「そうですね」


 一切の躊躇なく、恋夢はあっけらかんと頷く。


「白羽のことは可愛いと思いますし、恋に悩む一人の女の子としてはいじらしくて大好きですけど、でも、それとこれとは話が別ですね」


「そのくせして、応援するって言ったのか?」


「そうですけど?」


 首を傾げる恋夢。

 何か問題でもあるのか? という顔だ。


 恋夢は不意に表情を崩して、背もたれに背を預けながら「んー、そうですね」とこぼす。


「うつつくんの言いたいことは何となく分かりますよ。気持ちに応える気がないのに期待させるようなことをするのは、無責任だ、残酷だ、とでも思っているんでしょう」


「…………」


「そういうのがうつつくんなりの正しさなのは理解しますけど、私は違いますよ。私は、心から白羽の恋が成就すればいいと願っているんです。それを応援したいと思っているんです。でも今の所、私は白羽の気持ちに応えるつもりはありません。これは、たったそれだけの話なんです」


 恋夢はくすりと、慈しむように笑って、胸に手を添えた。


「この二つの気持ちは――大切な私の気持ちは、何も矛盾しません。私は私の気持ちに、どこまでもいつまでも素直でいてあげたいのです」


 滔々と語る恋夢は、「それに」と言葉を継ぐ。


「いつか、私が白羽との運命の恋に落ちて、白羽と永遠に想い合う日が来るかもしれないじゃないですか」


 まるでその日が来るのを望むように、希うように、恋夢は天井を眺めていた。


「お前は……何も変わってないんだな」


 苦い口調が漏れた。


「えぇ、そうですね」


 恋夢が屈託なく微笑む。


「でも、それはうつつくんもですよ」


「…………」


「さて、今日はもう誰も来そうにないので、帰りましょうか」


 恋夢は弾むように椅子から立ち上がると、いそいそとノートパソコンとティーセットを片付け始める。あっという間に帰り支度を整えると、俺の前にやって来ておもむろに手を振った。


「はい。じゃーんけん、ほい」


「…………」


「ふふ、それでは一緒に帰りましょうか。うつつくん♡」



  〇〇〇



「ねぇうつつくん。恋が、恋愛がすてきなものだって、思えそうですか?」

「……はっ、無理だな。あんなめんどくせぇもん」

「そのめんどくさいところがすてきだとは、思いませんか?」

「ないよ。ない」

「恋する乙女を間近で感じて、すてきな恋愛がしたいなぁとはなりませんでしたか?」

「ねぇよ」

「むー……。でもでも、白羽の恋心が尊いとは思いましたよね? あれは初恋ですよ、初恋。あー♡ やっぱり良いですよねぇ、あぁいうの。そう思いません?」

「さぁな」

「あ、ちょっとは認めるんですね? ねぇねぇ、ねぇねぇねぇうつつくん」

「うるせぇなぁ……。――ッ。ちょ、おま、どこ触ってんだお前は!」

「あたぁッ!? ちょっと! 叩かなくてもいいじゃないですかーっ」

「お前がふざけたことするからだろ……」

「ちょっとお腹さわっただけじゃないですか」

「触り方がおかしかっただろ!?」

「あ、代わりに私のもさわります?」

「触らない」

「にしてもちゃんと腹筋ありましたね。サッカーはもうやってないみたいですけど、何か運動はしてるんですか?」

「……」

「ねー、うつつくん」

「……ずっと体動かさないと頭痛くなってくるから、軽い運動してるだけだよ。筋トレとか、ランニングとか」

「頭が痛くなるんですか?」

「あぁ」

「運動をしないと、頭が痛くなるんですか??」

「そうだよ」

「へー、そういうこともあるんですね。いつやってるんですか?」

「朝とか夜とか」

「わっ、すごいですね。そのランニング私も一緒にやりたいです」

「絶対イヤだ。マジで無理だからな」

「あは♡」

「フリとかじゃねぇぞおい、分かってんのか?」

「分かってますってばー、ふふ、うつつくんがツンデレだってことは」

「……。はぁ…………」

「あ、ちょっとうつつくん、無視は一番ダメです。無視は。うつつくん、ねぇうつつくん」

「…………」

「ねぇうつつくん、ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねねぇねぇねぇ」

「……ッ」

「あたぁッ!?」

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