初心者の白羽のために三回ほどエキシビションマッチを行ってから開始された五回勝負は、壮絶な戦いの末に恋夢が優勝して、常昼が最下位と相成った。


「――では、ひなたにはコスプレをしてもらいます」


 恋夢が手に持っているのは、とあるお悩み相談を受けた時に彼女が仕入れて、それ以降ずっと恋愛研究部の部室で飾られていたフリフリのロリータ系メイド服だ。

 歓喜の笑みを咲かせている恋夢に、常昼は自分の体を抱きしめながら部屋の隅へと逃げる。


「いや、絶対にいや。やらない。ヒナはやらない。絶対やらない」


 それを追い詰める恋夢。

 恋夢が手にしているメイド服を見て、常昼が絶望の表情を浮かべていた。流石に見てて可哀そうになってくる。


「おい恋夢、本気で嫌がってるからやめてやれって」


「しね! しねしね! もうほんとしねよお前ぇ! マジしね!」


 顔を真っ赤にした常昼からの罵声が、何故か俺に飛んでくる。


「僕は見たいけどな、常昼さんのメイド服」と、空斗。


「しねっ!」


 俺と空斗に向けられる罵声の度合いに明らかな差があった。

 好感度の差が見て取れる。もうこれ以上刺激するのはやめよう。


 白羽は常昼の荒れ具合にビビって、逆側の隅に避難していた。


「ダメですよひなた、ルールなんですから。それに、ひなたなら絶対可愛く着こなせます。最高に可愛くなります。私を信じてください」


「むり、むりむりむり」


 ぶるんぶるんと首を横に振る常昼。


「お願いします。お願いです」


「で、でも……ヒナが着ても」


「ひなたなら絶対可愛くなるんです。私はそれが見たいんです」


「か、かわいくなんか……」


「何を言ってるんです。こんなに可愛いじゃないですか。好きですよ私、ひなたの顔。ちょっと垂れた綺麗な瞳も、小さく整った鼻も、描いてるみたいなはっきりしたかっこいい眉も、艶々したやわらかそうな唇も、ふわふわした猫っ毛も、全部ぜんぶ素敵です」


 逃げ場を無くした常昼の頬にそっと手を添える恋夢。

「ひ」と小さく悲鳴をあげる常昼。


 それを見た白羽が口を手で覆って、何やら悶えて唸って身を捩っている。


 何なんだこの状況……。


 恋夢と押し問答を繰り広げている常昼は、ブラウスの上にダボダボの薄手パーカーを羽織って、さらにその上にブレザーを重ねている。

 普段部室にいる時はずっと寝袋に入っているし、教室では取り立てて注目しないから気にしていなかったが、随分と暑そうな格好である。

 普通に考えて、この季節にするコーディネートじゃない。


 こいつよくこんな格好で寝袋に入ってたな……。


「――本気で嫌なら私もきっぱり諦めますけど……、嫌なんですか?」


「ひ、ヒナは……」


 顔を羞恥の色に染めて、恋夢が持つメイド服をチラリと一瞥する常昼。案外まんざらでもなさそうな感じがある。


 いつの間にか、恋夢の怒涛の押しによって常昼が口説き落とされそうになっていた。


「仕方ないですね。でしたら、ひなたがこれを着てくれて写真も取らせてくれるなら、私もひなたのお願いを何でも聞いてあげます」


「「!?」」


 それを聞いたひなたがハッと目を見張る。同じタイミングで白羽も肩を跳ねさせていた。


 もうそれだと罰ゲームの意味が無くないか……?


 明らかに揺れている常昼が、ボソボソと言葉をこぼす。


「じゃ、じゃあ……、紅涙くるいちゃんのイラスト付きサイン色紙、とか……」


「えぇ、もちろんいいですよ。そんなことでいいんですか?」


「…………………………………………………………………………………着る」


「あは♡」



〇〇〇 



 常昼がメイドコスをすることが決まったあと、俺と空斗は部室を追い(蹴り)出された。


「うーむ、僕も常昼さんのメイド姿見たかったのに……」


 割と本気で悔しそうにしている空斗。


 常昼の着替えに居合わせるのがNGはもちろんとして、恋夢によるコスプレ撮影会が終わるまで何があっても入って来るなと言われた。

 フリとかではない。入ったら間違いなく殺される。

 部室の扉に付いている小窓にも布が張り付けられて、もう完全に中の様子を確認することはできない。


「どうしようか?」と、俺を見る空斗。


「どうしようっつってもな……」


 やることがなくなった。本もスマホも部室に残したまま蹴り出された。


 部室からは、何やらわぁわぁきゃっきゃっと騒ぐ女子三人の黄色い声が聞こえてくる。


「うわ!? ちょっと待ってください! ひなたこんなもの隠してたんですか!? 卑怯ですよこれは!」「ちょ、っ、だめ……っ」「こ、こ、恋夢先輩! ……あ、あの、わたしも――」


 空斗が「うーむ」と唸りながら、部室の扉を見やる。「覗いてみる?」


「やるならお前ひとりでやれ」


「何だようつつ、つれないな。気にならないの?」


「………………」


「気にはなるんだね」


 空斗が微妙に呆れていた。


「ほんと、うつつは妙なとこで素直だね」


「うるせぇな……」


「まぁ覗くのは流石に冗談だよ。あとで恋夢ちゃんに交渉して写真は見せてもらうかもしれないけど。二万円までなら出すよ、僕は」


「お前…………、さてはアホだな?」



  〇〇〇



 特にやることもないので、俺と空斗は雑談をしながら特別棟の廊下を当てもなく歩いていた。

 所々開け放たれた窓からは激しい雨音と冷えた空気が流れてきて、少し湿ったリノリウムの廊下はつるつると滑りやすくなっている。


 空き教室で個人練習をしているっぽい吹奏楽部や軽音楽部の演奏とは別に、運動部らしい快活な掛け声までどこかから響いてくる。


 体育館やトレーニングルームを使えない運動部が、空いたスペースで筋トレや体幹トレーニング、柔軟、段昇降などをやっているのだろう。


「こんな雨の日くらい、休めばいいのにね」


 揃った声で数を数えている運動部の声を聞きながら、空斗が何気なく言った。


「そういう訳にもいかねぇよ。一日や二日ならまだしも、筋肉とかはサボってるとすぐ弱るし」 


 もちろんやりすぎも良くないのだが。


 しかしこうも雨が続くと、外で活動する部活は大変だろう。


「なるほど。元運動部が言うならそうなんだろうね」


「まぁな」


 俺は去年の秋ごろまでは運動部だった。

 俺は中学生になるまで親にフットサルのクラブチームに入れさせられていて、その流れで中学でもサッカー部に入り、高校の部活でもサッカーをやることにした。

 しかし去年、色恋絡みのトラブルで居辛くなって辞めたのだ。


「もうサッカー部に戻ろうとは思わないの?」


「いいよ、もう」


 実を言うと、そのトラブルに関しては、この前恋愛研究部に持ち込まれた一件から始まった騒動の行き付いた結果として、もうしがらみも残っていないのだが……。


 俺はきっと、大勢のチームプレイというものに向いていない。


 無駄になるまで、必要以上に全方位に気を回してしまって、考え過ぎて、一人で勝手に自分を縛って、勝手に気疲れして、挙句に空回って誰かを傷つけることになる。本当、バカみたいである。長らくチームスポーツを続けてきて、それがよく分かった。


 運動することは嫌いじゃないしむしろ好きな方だが、一人でやったり、たまに皆と遊び感覚でやったりするくらいが気楽に楽しいのだ。

 だから、もうこれでいいのだと思う。


「そっか。まぁうつつがそう言うなら、それでいいんだろうね。まぁ僕としても、うつつがウチに居てくれた方が楽しいし」


「俺も今の方が気楽だよ」


「そうか。だとしたら、僕もあの時、うつつを文芸研究部に誘って良かったかな」


「……あぁ」


 一瞬、空斗にあの時の感謝を伝えようとして、柄でもないかと苦笑する。

今度、さりげなく飲み物でも奢ってやろう。



  〇〇〇



 特別棟をしばらく練り歩いたあと、そろそろ部室に戻ってみようかということになった。

 一階に降りてトイレに寄ってから、文芸研究部の部室の方に向かっていると、前方の曲がり角からタタタタっと駆ける足音が聞こえてきた。


 バカな運動部が走り込みでもやっているのかと思った次の瞬間、飛び出してきたのはメイド少女。


「――っ!?」


 一瞬誰かと思ったが、すぐにそれが常昼であると気付く。


 いつもはボサボサのまま放置している長い髪をふんわりとしたポニーテールにまとめ上げ、フリルだらけのロリータ系エプロンドレスを身に纏って、同じタイプのヘッドドレスを頭に被っている。

 軽いメイクもしたようで、いつもより目鼻立ちがハッキリして見えた。


 しかし、中でも一際視線を引かれたのは、服の布地を押し上げるようにして張っている暴力的なまでに豊かな胸部だった。


「おぉ……」


 隣で空斗が眼を見張って、拝むように手を合わせている。


 平静時ならそれに「アホか」とツッコミを入れている所だが、生憎今の俺もアホだったので、肉感的に揺れているその双丘から目を離せなかった。

 いやでっけぇ……。


 脇に制服一式を抱えながら走っていた常昼は、俺と空斗の存在に気付くと大いに驚いたようで、その拍子に足を滑らせた。


「――ッ!?」


 ハッと正気を取り戻した俺は、勢いそのままにすっころんでくる常昼を受け止めようと足を踏み出す。

 ――が、予想以上に加速していた常昼の体を受け止めきれず、足がツルっと――、


「――――ぁっ」


 視界がひっくり返る。どうにか首を起こして後頭部を打つのは避けたものの、肩から腰を強烈に痛打する。背筋に激痛。

 ――あ゛ぁ゛ぁ゛ッ。


 痛みで意識が点滅する中、胸のあたりに押し付けられている弾力のあるソレを二つ意識する。


「つ……っ」


 顔をしかめている常昼と間近で視線が重なる。

 結果的に俺が常昼を抱きしめる形となったこの現状をお互いが認識するまで、数瞬の間があった。


「……」

「…………」

「……っ! ――ッ!?!?!?!?!?」


 顔を真っ赤にした常昼がバッと身を起こして俺の腹に馬乗りになると、頬に平手をフルスイングしてきた。


 パッチーンっ! 

 ――と、客観的に聞けば痛快なのであろう高音が脳内で爆音となって響き、廊下にも盛大に反響した。


「ばかぁっ!?! しね! しね! しねしねしね! お前マジでしねよぉぉッ! もぉぉぉっ! ぁぁあああぁぁぁ――っ」


 常昼は側に落ちていた制服を拾い上げると、短いスカートを揺らしながら駆け抜けて行った。


「――ぁ゛あ゛あ゛ぁ゛…………っ」


 ジンジン痺れる頬とズキンズキン痛む腰を押さえながら、俺が蹲って呻いていると、頭上からくつくつと必死で笑みを堪える声が降って来た。


「うつつ……、だ、大丈夫かい……? くっ、くく、くくっ、くく」



  〇〇〇



「どうしたんですかうつつくん、そのほっぺたは」


 少し遅れてやって来た恋夢が、よろよろと起き上がった俺を見て目を丸くしている。


「それ、は、こっちの、セリフだ……」


 頬と腰を押さえたまま、どうにかその言葉を絞る。もう全部が痛い……。


「あっ、もしかしてひなたに引っ叩かれたんですか? ラッキースケベですか?」


 何かに思い当たったかのようにポンと手を打つ恋夢。


「よく分かったね恋夢ちゃん。さっきうつつが転んだ常昼さんを抱きとめてね」


「おっぱいもんだんですか!?」


「揉んでねぇ……」


 なんでこいつこんな嬉しそうな顔してんだ……。目を輝かせるんじゃない。


「それで結局、どうして常昼さんが走って来たの?」


「あぁ、それはですね。なんというか、メイドひなたがあんまりにも可愛かったので、かわいい可愛いって言い過ぎたら恥ずかしがって逃げちゃったんです」


「なるほど。確かにさっき一瞬だけ見たけど、常昼さんすごく可愛かったね」


「ですよね! 絶対可愛くなるとは思ってますけど、予想以上に似合ってました。しかもあのおっぱいですよ、おっぱい。もう凶器ですねあれは。私もバストサイズには自信ありましたけど、流石に負けを認めざるを得ません」


「確かにね。まさか常昼さんがあんなものを隠し持っていたとは……」


 空斗と恋夢のアホな会話を聞き流しながら、俺は常昼が駆けて行った方を見やる。


 大丈夫かあいつ……。つーか顔めちゃくちゃいてぇ……。ヒリヒリする……。


 その後、トイレで元の服に着替えてきたらしい常昼が文芸研究部に戻って来たのだが、機嫌は最悪だった。


 常昼は赤い顔で「さっきの記憶消さないところす。マジでころすからお前」と俺を射殺すように睨み言い放ち、殻に引きこもるカタツムリのように寝袋にこもった。

 いつもと違って頭まですっぽり収めている。


 穴倉から出てこない小動物にでも呼びかけるように、しゃがんだ恋夢が口を開く。


「ひなたー、出てきてください。恥ずかしがらせてしまったことに関しては謝ります。ごめんなさい。でも、さっきのひなたは本当に可愛かったですよ? お世辞でも何でもなく、あれが私の本心なのです。最高にとってもキュートでした」


 常昼は褒め殺されて逃げ出したという話なのに、なぜこいつはまだ追い打ちをかけているのだろう……。バカなのか?


 常昼に呼びかける恋夢を、椅子に座る空斗が趣味悪く楽しげに見守っている。

 白羽は常昼の方を心配そうに眺めながらも、机の上のメイド服と自分の体を交互に忙しなく見やっている。まさか、着たいのだろうか……。


「――ひなた~? 出て来てくれませんか? …………ふむ」


 恋夢はしばらく常昼に呼びかけていたが、このままではどうやっても出てこないと悟ったのか、すっくと立ち上がる。


また無理やり引きずり出さないくらいの分別はこいつにもあったらしい。


「では約束通り、ひなたのために紅涙くるいちゃんのイラストでも描きましょうか」


 恋夢がどこからともなく取り出した多種多様なフェルトペンセットと色紙数枚をテーブルに置いて、椅子に着く。手には先の尖った黒色フェルトペン。


 ピクリとテーブル下の寝袋が震えた。


 ペンを器用にクルクル回しながら、恋夢がニヤリと口角を吊り上げる。


「ひなたが今出てきてくれるなら、もうあと二回リクエストに応えましょう」


「……っ」


 ビクンと大きく跳ねた寝袋がもぞもぞとテーブル下から出てきて、ひょこりと顔を覗かせた常昼が、恐る恐ると恋夢を見上げた。


「………………ルアリくん、と……ほ、ほとりちゃん……で……」


 常昼と顔を合わせた恋夢が、にっこりと良い顔で微笑む。


「承りました。茜糸の誇りに賭けて、最高の仕上がりにしてみせましょう」


「…………う、うん……」


 さっきまで機嫌最悪だった常昼の頬が、ちょっとだけ緩んでいた。


 常昼とこひるひなた、案外チョロい奴かもしれない……。

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