この想いが恋であることを決めてあげられるのは自分しかいないと、あなたが言ってくれたから
1
――〝恋〟ってなんだろう。
みんなが当たり前のように使っているそのたった一言が、わたしにはよく分からなかった。
人が人に恋をして、『あなたのことが好きです』と告白して、交際するようになれば晴れて恋人同士――ということ、らしい……。
よく分からない。
今年の春、わたしは高校生にもなったというのに、今まで告白されたことはもちろん、告白をしたこともない。
わたしは人と関わるということが苦手で、友達もあまりいないから、そういう色恋の話を直に聞く機会もとても少ない。
わたしが知っている恋の知識は、そのほとんどがテレビや、本や、漫画や、ネットから得たものなのだ。
わたしにとっての恋は、おとぎ話に出てくる魔法みたいなもので、そんなものが実在するのかどうかすら、疑わしい所である。
――否、恋はきっとあるのだろう。
本当に疑わしいのは、その恋と呼ぶべき何かがわたしの中にあるのかどうか、ということ。
……だって、やっぱりよく分からないのだ。
女の子が男の子に恋するキッカケとしてありがちなのは、カッコいい男の子を見た時だったり、優しい男の子に気遣って貰った時だったり、知り合いの男の子の意外な一面を見た時だったり、一生懸命な姿を見た時だったり、懸命にアプローチされて逆に気になってしまったり、そういうのが多いらしい。
全部ネットで調べたことである。
でも、どれもいまいちピンとこない。
そもそもコミュ障なわたしは男の子と関わる機会がほとんどない。
可愛くない上におしゃれも下手くそなわたしを気にかけてくれる男の子なんていないし、自分から話しかけにいくなんてもってのほかだ。
高校に入学してから二週間と少し、未だクラスに馴染めず、新しい友達をつくることができていないわたしは、どうにも昼休みの騒がしい教室に居辛くて、当てもなく校内を歩いていた。
「――うつつくん、うつつくんっ、そろそろお昼ご飯食べません? 私お腹がすきました」
「だから、これ全部剥がすのが先だって言ってんだろ」
「いやー、だから私も言ってるじゃないですか。昼休み中にこれぜんぶは無理ですって」
「うるせぇなぁ……、じゃあもういいから食って来いよ」
「やった。――って、え、うつつくんは行かないんですか?」
「俺はこれ剥がしてるから」
「えーっ、それじゃあ意味ないですよ!」
二人の男女が、廊下の壁にズラリと貼り付けられている張り紙を剥がしながら、よく通る声でやり取りしていた。
見るからに目立つ風貌の二人と、いつも教室の隅に一人でいる目立たないわたしは、何事もなくすれ違う。
すれ違ったあと、わたしは足を止めて振り返る。
リボンやネクタイの色から二年生の先輩と分かるその二人は、息の合った手付きで張り紙を剥がしながら、ゆっくり廊下を進んでいる。
その張り紙は、『恋愛研究部』という部活を紹介するもので、とても綺麗なイラストが添えられている。
なんでも、部室を訪ねれば恋愛相談に乗ってくれるらしい。
これに関しては、クラスの中でも今朝から話題になっていた。
わたしはクラスメイトが話している会話を拾い聞きしているだけだったけれど……。
噂によると、『恋愛研究部』は昨日できたばかりの部活動で、しかもそれを設立したのが昨日転校してきたばかりの二年生であるというのだから、とても驚く。
その二年生は茜咲恋夢という女の人で、髪が赤くて、とんでもない美人で、二年生の中でも有名なイケメン男子、朝比奈うつつ先輩と付き合っている――という話である。
考える間でもなく、わたしから少しずつ遠ざかっていくあの二人がそうなのだろう。
お似合いの二人だった。
青春映画にでも出てきそうなくらい絵になる美男美女で、傍から見ていても互いに気が置けないという感じで、どこをとってもわたしとはかけ離れている気がした。
――なんてカッコいい人なんだろう。
自分でもびっくりするくらい、自然にそう思った。
「え?」
その瞬間、トクンと跳ねた心臓の音が、まるで自分のものじゃないみたいで――。そこから生まれる動揺のせいか、頬が熱くなった。
なんだろう、これ。
「…………」
恋愛研究部は、恋愛相談に乗ってくれるらしい。
〝恋〟ってなんだろう――というわたしの気持ちは、この気持ちを相談すれば、それは恋愛相談になるのだろうか。
恋について考えることは、恋愛になるのだろうか……?
〇〇〇
実月を助けてくれた恋夢が我が家に訪れて、俺が精神をすり減らす突発的パーティーが開かれた日曜日の翌日――月曜日。
放課後になると、俺は恋夢から逃げるように文芸研究部の部室へ向かった。
「……それで? 要するにもう恋愛研究部はやめたってこと?」
「そうだな。脅されないなら、俺がアイツに従う理由もない」
というか、そもそも入部届を書かされた記憶が無いので、俺があの妙な部活の部員だったかも怪しい。
「ふーん、面白くないね。もっと振り回されてくれたらよかったのに」
「お前な……」
悪趣味を取り繕うともしない空斗に、俺は呆れる。
「……二度と帰ってこなくてよかったのに」
テーブルの下から、舌打ち混じりの声が飛んでくる。
常昼は今日も寝袋にこもってスマホゲームをやっていた。文芸研究部とは何なのか。
「茜咲さんは今なにしてるんだろうね」と、空斗。
「知らねぇ。隣の部室にいるんじゃねぇの?」
「気にならないの?」
「ならない」
「ほんとに?」
「そうだな、気にならないってのは訂正する。アイツが起こす問題に俺が巻き込まれないかどうかは、心配だ」
「だったら、側にいてフォローしてあげたほうがいいんじゃない?」
「アイツの側に居ると死ぬほど疲れるから嫌だ。俺がそんなことする義理がない」
十色先生に頼まれたことを思い出して少しばかりの罪悪感を覚えるも、だからと言ってなぜ俺が損を被らないといけないのか。
俺はそこまで真面目じゃない。
「じゃあ、あれも見過ごすわけ?」
空斗が扉に付いた小窓の向こうを指差す。
その先には、大人しそうな女の子を羽交い絞めにしている恋夢の姿があった。
女の子は恐らく一年生で、涙目になって赤面し、恋夢から逃れようとしている。
恋夢も頬を上気させ興奮した様子で女の子に抱き着き、何事か言っている。
耳を澄ますと、扉の隙間からくぐもった声が聞こえてくる。
「――あなたのその顔は、きっと恋する乙女の顔です! 切なくて甘くていじらしい素敵な顔です! 好きな人がいるんですよね!? 恋の悩みがあるからここに来たんですよね!? ぜひ、ぜひ、恥ずかしがらずに聞かせてください。恋のお悩みなら、恋愛マスターであるこの私に任せてください!」
「何やってんだよアイツは……っ!」
思わず頭を抱えた。あぁ、頭が痛い。
俺は部室を飛び出して、女の子にしがみついている恋夢を無理やり引き剥がす。
「あ、うつつくん」
「アホかお前は!? なにバカなことやってんだよ! 嫌がってんだろ!」
「いいえうつつくん、この子は恥ずかしがってるだけです」
「同じようなもんだっつうの!」
恋夢を怒鳴りつけ、廊下の壁に寄り掛かっている女の子を見やる。
女の子の息遣いは荒く、額は汗ばんでいた。
髪や制服も少し乱れ、瞳は今にも涙がこぼれそうなほど潤んでいる。
化粧っ気もなく素朴そうな女の子だが、その雰囲気のせいか妙に艶めかしい。
「……大丈夫か?」
「ひぃっ!?」
俺と目が合った瞬間、女の子の肩がビクンと跳ね、ボッと顔が真っ赤になる。
「あっ、あわわわわわわわわっ」
目を白黒させて慌てふためく女の子は、危なっかしい足取りで逃げ出していく。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい、こんなわたしがごめんなさぃぃ」
「ちょっ! あぶな――」
転びそうだと思った時にはもう、その女の子は盛大にすっころんでいた。
ぶわりとスカートの裾が舞い上がる。
「あっ、今パンツ見えましたよ! うつつくん見ました!? 白!」とか言ってる恋夢を反射的に張り倒してから、俺は大の字に伸びる女の子に駆け寄る。
「おい……、大丈夫か……?」
「……ぅぅ、ふぇ……」
羞恥からか、女の子は耳まで朱色になっていた。
うつ伏せに倒れたままふるふる震えている女の子をどう扱おうか迷っていると、俺が引っ叩いた頭をさすりながら恋夢もやって来る。
「うつつくんって女の子にも容赦ないんですね。結構痛いです。はげたら責任取ってください」
「お前がバカなことやってるからだろ」
「だって、見えちゃったもんはしょうがないじゃないですか」
「いちいち口に出すのがバカだって言ってんだよ!」
すると、恋夢が俺の耳元で囁いてくる。
「つまり、うつつくんも見たんですね……?」
「…………」
もう一度この女を張り倒そうかどうか真剣に悩んでいると、女の子がゆっくりと手をついて起き上がっていた。
「……っ」
「あー……、怪我とかないか?」
「ぃぴっ!?」
俺と顔を合わせた瞬間、女の子が妙な声で鳴いて飛び退った。
瞳を潤ませながら両腕で自分の体を抱きしめ、唇を震わせる。
「ご、ご、ご、ごめんなさぃぃ……」
なんで謝ってるんだろう……。
むしろ謝らなきゃいけないのはこちら側だと思うのだが。
「……あー、何があったのかは知らないけど、たぶんこいつが余計なことしたんだと思う」
言いながら、俺は目の前の女の子を改めて見てみる。
セミショートくらいに切り揃えられた黒髪と、飾り気のない風貌、気弱そうに垂れた眉とまなじりが、涙の浮いた瞳と合わせて本人の気質を表しているように思えた。
初対面の人と顔を合わせた時の実月と似た雰囲気を感じるが、実月とは逆に、この子の外見は小中学生でも通じるくらい幼く見えた。
どうしてかふるふると首を横に振っている女の子は、意を決したように「ち、ちがうん……です」と小声で言った。
「……なにが?」
「わ、わたしが、にげ、たから……、意気地なし、だから……」
涙声にすらなっている女の子に余計なことは言えず、俺は隣にいる恋夢に聞く。
「……何があったんだよ」
「この子が恋愛研究部の前で中に入るかどうか迷ってる様子だったので声をかけたんですけど、逃げたので捕まえたんです」
あっけらかんと言う恋夢。
「捕まえんなよ……」
「でも、この子が踏み出したい一歩を踏み出せなくて悩んでいるとしたら、それを手助けしてあげたいと思いませんか?」
純粋な瞳だった。
打算はあるのだろう。だって、恋夢は『世界一のラブコメ』とやらを生み出すために、小説より奇なる現実を取材するために、恋愛研究部を作ったのだと自分で言っていた。
でも、その打算すら含めて彼女は無垢なのだと思う。なぜならそこに悪意がない。
――全く以ってタチが悪い。
きっと茜咲恋夢は自分の為に、どこまでも気ままに悪意なく動いている。
だから平気で人を脅すし捕まえるし助けるし、何か違うと思ったら過去の選択すら躊躇なく撤回する。
幼子のような曇りなき危うさ。
「めんどくせぇ……」
誰に向けるでもない呟きを、口の中にそっと溶かす。
たった今、一瞬、ほんの刹那だとしても、こいつを放っておけないと思ってしまった傲慢な自分が、死ぬほど嫌になる。
バカみたいだ、本当に。
「あるんですよね、恋の悩み」
恋夢が女の子を真っ直ぐ見つめる。
女の子の顔から引いていた朱の色が再燃し、耳の先から首元まで真っ赤に染まった。女の子がこくんと頷く。
一瞬チラリと俺の方を見たが、それに視線を合わせると慌てたように逸らされた。
「それならこの私とうつつくんにお任せください」
自信たっぷりと張った胸に、手を添える恋夢。
もう片方の手は俺の肩に置かれている。
「必ずや、あなたの悩みを解決してみせましょう」
こいつ……。当たり前のように俺も含めやがったな……。
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