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「――私には、うつつくんしかいないの」
「……俺にとっては、かなたしかいない訳じゃない」
「うつつくんは、私のこと、嫌い……?」
「嫌い……ではない」
嫌いになれたらもう少し話は単純だったのかもしれない。
でも、嫌いになってしまいそうではあっても、こんな俺のこと好きと言ってくれる蒼野かなたを嫌いにはなれなかった。
きっと、嫌いになりたくないのだ。
それがどうしようもなくて、どこまでもめんどくさい――俺の気持ちだった。
「かなたが俺のことを好きだってことは、分かったよ」
――かなたの想いを受け止める。かなたが俺を好きだと受け止める。
――恋は理屈じゃないと受け入れる。
――落ちてしまったものはしょうがないと受け入れる。
「でも俺は、かなたのことを好きじゃない」
自分の想いを真摯に伝える。
受け入れられなくても、受け止めることが誠意だと思った。
「うつつくんが私のことを好きになってくれる可能性が、無い訳じゃないでしょ?」
「そうだな」
絶対なんて絶対ない。だからそれを否定することは、俺には出来ない。
「でも、俺好きな子がいてさ。今まで認められなかったけど、認めようと思って」
俺は恐れていたのだ、恋することを。
だから、恋愛はめんどくさいという分かりやすい理由を付けて、苦手だということにして、それ以上向き合おうとしてこなかった。
なぜ俺がこんなにも恋愛を恐れているのか。
トラウマになるような修羅場に巻き込まれたから、というのはたぶん関係ない。それは建前でしかなかった。
俺が恋することを恐れているのは、初恋が実らなかったからだ。
小学四年生の時、恋夢に告白してフラれて、俺は恋愛を恐れた。
たったそれだけの理由。
そして俺は、今も、恋愛を異様なほど恐れている。
その訳を考えてしまえば、想ってしまえば、受け入れるしかない。
――俺は、恋夢のことが好きなのだ。未だに初恋をしているのだ。
正直に言って、あんな奴を好きになって恋するのはまともじゃないと思う。
神経を疑うレベルだ、あんな訳の分からない奴に恋するなんて。
でも恋は理屈じゃないから、落ちてしまったものは仕方ないから、受け入れる。
自分の想いを受け入れる。
「――俺は恋夢のことが好きで、恋してるんだよ」
●●●
――話は、終わったみたいでした。
うつつくんは屋上から立ち去って、かなたがその場に残っていました。
頭上に広がる空はどんどん雲行きが怪しくなって、今にも雨がこぼれそうでした。
私は塔屋の上から降りて、立ち尽くしているかなたを抱きしめました。
この子の恋が叶えばいいのにと、心からそう願います。
「――――ッ!」
どんっと、かなたに突き飛ばされました。
とても強く押されて、私は尻餅をつきました。かなたが私を見下ろしています。
かなたは、泣いていました。
「――ふざけないで! なんなのあんた! なんなの!? 意味わかんない! やめてよ!? 私にさわんな! マジでどういうつもりなの!? 私の恋を応援してくれるとか言って、手伝うとか言って、何なの――ッ!? バカにしてんの――ッ!? バカにしてたんでしょ――ッ!? 最初から分かってたんじゃないの!? うつつくんが好きなのはあなたで――ッ、うつつくんは私を好きになってくれないって――ッ! あなたは――ッ、お前は――ッ、心の中でずっと私を笑って、バカにしてたんだ――ッ! ふざけないでよ――ッ! どういうつもりなの!? ねぇ! 答えろ――ッ! なぁ!?!? ふざっっっっっっっっっっっっけんなっ! お前なんか、最悪だ。私の恋を何だと思ってるの!? ぜったい! 絶対私の方がうつつくんを好きなのに――ッ! 最悪だ! お前なんて、世界で一番最悪だ! 最低最落の女だよお前は! お前なんかにうつつくんは相応しくない! お前なんかなァ――――ッ! 死ねよ! 死んでしまえ! 今すぐこの屋上から飛び降りて落ちて―――――ッ!
――――――――死ねよッッッッッ!!」
かなたが怒るのは、最もな話でした。
でも私は、かなたの恋を応援するという気持ちにウソはありませんし、求められたお手伝いを妥協したつもりもありません。
確かに、この世で一番大切なものは〝私の恋〟ですが、かなたの恋が叶えばいいのにという願いに、ウソはなかったのです。今だって、心の底から願っているのです。
全部、本心でした。私は、そのつもりで――――●●●●●●●●●●●●●●●。
かなたは屋上から飛び出して行って、それと同時に雨が降り始めました。
ポツポツと、こぼれ落ちるようにして、雨の雫が降ってきます。
私は立ち上がろうとしましたが、どうしてか、体が動きませんでした。
どうして――? どう●て――? ●●し●――? ●●●●――?
視界の端を、塔屋から降りてきたひなたが通り過ぎました。
ひなたは一瞬だけ私を見て、屋上を出て行きました。
雨足はどんどん強くなって、激しくなって、すぐに土砂降りになりました。
体はやっぱり、動きませんでした。
〇〇〇
屋上で蒼野かなたとの話を済ませたあと、俺は教室に戻って帰り支度をした。
教室にはもう誰も残っていなくて、窓の外を見ると土砂降りの雨が降っていた。
さっきまでは降っていなかったのに、急に降り始めたらしい。
ふと、窓際最後列の恋夢の席を見やる。そこにはまだ恋夢の荷物が残っていた。
そういえば――と。
明日の七月七日。七夕は、茜咲恋夢の誕生日だ。
自分の想いを受け入れた以上、やっぱり祝うべきだろうか。
何かプレゼントを渡すべきだろうか。しかし、受け入れて認めたと言っても、今まで恋夢にあんな態度を取ってきた以上、やっぱりどうにも気恥ずかしいし、何だか負けたような気になって悔しくもある。
そもそも恋夢は俺のことを好きだと言っていたが、あまりそのことは考えないようにしていたのだが――、果たして、恋夢が俺に向けるその想いは〝恋〟なのだろうか。
「…………」
今まで考えないようにしていた色々なことを考え込んでいると、教室に入って来る人影があった。
「――――」
常昼ひなたは、俺の方を見ないようにしながら自分の席に向かって、手早く荷物をまとめると、教室を出て行こうとした。
その去り際、彼女が言った。
「…………屋上」
「……は?」
「屋上、行けよ」
「え……。は?」
「チッ」
常昼の意図が全く分からず困惑していると、彼女は苛立たしげな舌打ちを残して、教室を出て行った。
「…………」
何だったのだろうか。
本気で意味不明なのだが、雨が降ってるから可能性は少ないとはいえまだ屋上に蒼野かなたが残っていたら死ぬほど気まずいのだが――。
でも何だか、今この時、屋上に行くことがとても大切なことであるような気がして、俺は屋上に戻ってみることにした。
〇〇〇
屋上に行くと、恋夢がずぶ濡れになっていた。
薄汚れて雨でびちゃびちゃになったタイルの上に座り込んで、呆けた顔で空を見上げている。
「……なに、やってんだよ」
「……あ、うつつくん」
雨に濡れた恋夢の顔がこちらに向けられる。
ザァザァと激しい雨音が鳴り響いていた。
俺は雨に打たれながら恋夢の正面に立って、薄紅の瞳と視線を重ねた。
「何やってんだよ」と、もう一度問いかける。
「あの、うつつくん」
「なに」
「立たせて、くれませんか。どうしてか分からないんですけど、立てないんです」
普段とは違う淡々とした口調で、抑揚の少ない表情で、恋夢がそっと手を伸ばしてきた。
「…………」
俺は恋夢の冷え切った手を握って、力を込めて引っ張って、立ち上がらせた。
ぼんやりとした表情で足を着いた恋夢は、静かに俺を見つめる。
「ありがとうございます」
「……あぁ」
「それじゃあ私は、帰りますね」
フラフラと覚束ない足取りで扉の方に向かう恋夢。
彼女が足を前に運んで水たまりを踏みしめる度、ビチャリという水音が響いてた。そのあとを、俺は追おうとしたが――
「あの、すみません。ちょっと、ひとりに……、なりたいので」
「…………わかった」
「では、またあした学校で会いましょう」
「あぁ」
「はい」と、そう言って、恋夢が俺の方に振り返る。その頬を、つうと大きな雫が伝っていくのが見えた。
恋夢は、微笑んだ。
「明日は、晴れると良いですね」
「……そう、だな」
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