▲ 太ったカエルと痩せたガマ
二人は東大阪市のラブホテルにいた。といっても、通常の用途で使うわけではなく、当面の宿代わりとして滞在していたに過ぎない。だからガマは一度もベッドには寝転ばず、腰掛けることすらなく、夜は床に敷いた寝袋か一人掛けソファに座ったまま眠っていた。カエルは大きなベッドで大の字で眠っていたが。
「また見てんの、それ」ガマが言う。今のところ、腹痛の波は治まっている。
「なんか文句あるんけ」カエルはスマートフォンに視線を向けたまま、不機嫌そうに言う。見ているのは闇サイト〈ココナッツ〉だ。
「電子マネーって好きじゃないんだよね。あ、これは暗号通貨っていうんだっけ?」
「知らんがな。どっちもおんなじようなもんやろ」カエルは吐き捨てる。「ほら何や、為替みたいなもんや。替え時さえ間違えんかったら、現金よりさらに儲かんねんで? 現金至上主義はもう古いねん。今はなんでもデジタルの時代や。そんなこと言うとったら時代に置いてかれんで」
「それはわかるんだけどさ。やっぱりなんというか、現金を手にする安心感ってあるじゃん。いまだに現金のみなんて所もあるわけだし。いくら偽名を使ったり、架空の口座を使ったとしても、それが完全に安全とは言い切れない。どこかで誰かに––––それも法の下に行動するような人間に––––追われるかもしれない。それに比べて、現金は安全だよ。絶対、と言い切れる」
「ほんなら引き出したらええやんけ」
「それもリスクなんだってば。どこで、どれだけの金額を引き出したか、記録に残ってしまう。防犯カメラにだって映っているかもしれない。引き出す前に凍結されたりなんかしたら、どうしようもない。どれだけ稼いだってゼロと同じだ。でも、最初から現金だったら、そんな心配はしなくてもいい」
「わかった、わかった」カエルは不貞腐れたような声を出す。「ゲンナマが好きなんは俺もおんなじや。せやけど、どうやって受け取ればええんや? 闇サイトっていうくらいや、仕事を依頼する側も、仕事をやる側も、顔を合わせたりはせえへん。お互いどこの誰とも知らんねん。それでどないしてゲンナマだけを受け渡すっちゅうねん」
「それは……」
「むしろゲンナマを受け渡す方がリスクが増すと思うがのう」カエルは息継ぎのように煙草をくわえる。「今まで不都合があったか? 電子マネーで入金されたらすぐに別の口座に移す。ほんでまた移す。面倒やけど、やってんのんは銀行預金とあんま変わらんやろ。ほいで、ゲンナマで引き出したきゃしたらええ。せんかったらそのまま電子マネーで
ガマはため息交じりに両手をあげる。「そういうわけじゃないんだ。ただ、このままで大丈夫なのかなって、不安になっただけ」
「おまえはほんまに心配性やな。せやから下痢が治れへんねんで」
「その言葉は言わないでほしい。何度も言っているだろう?」ガマは下痢と聞いただけで腹が疼くのを感じてしまった。「せっかく調子が良かったのに」
カエルはすでに、ガマの言葉など聞いてはいない。セブンスターを吸いながら、スマートフォンの画面だけを見ている。「ほな、そろそろ行こか」
「え?」
「え、やあれへん。仕事や。他に何があんねん?」
「今から行くの? 明日でも良くない?」
「良くない」カエルは黒くなった奥歯で煙草のフィルターを噛む。「リーマンみたいに昼間に働くか? ええ子ちゃんみたいに夜眠るんか? それができへんからここにおんねやろ。俺らにとっては、めっちゃええ時間やんけ」
ガマは腹に手を置きながら、スマートフォンを開く。「キタ?」
「そうや」カエルは何故だか得意げな表情を見せる。「今からやったら、十分間に合うやろ? はよ、準備せえよ」
「マジかあ」
「マジや。何を眠たいこと言うてんねん」カエルはバックパックを背負う。「
「もう胃は空っぽだよ」そう言いながらも、ガマはトイレへ向かう。
二人が殺したのは、キタの女だった。明け方、街がまだ寝ぼけている時刻に、帰り道の彼女をクロロホルムで眠らせ、連れ込んだ車の中で首を絞めた。それから少しばかり車を走らせ、遺体は淀川に捨てた。
眠らせたのも首を絞めたのも、ガマが一人でやった。カエルは車を走らせ、遺体を捨てるときだけ手伝った。いつものことだ。
車は梅田の月極駐車場から拝借したもので、遺体を捨てた後、同じ場所に戻しておいた。その後、駐車場の近くに停めていた別の車に乗り換え、東大阪のラブホテルに戻る。梅田の駐車場あたりから下痢を我慢していたガマはすぐにトイレに駆け込み、しばらく篭りっきりになる。その間にカエルは、もう一台の方の車をさらに別の車に換えて戻ってくる。ガマがトイレから出てくる頃には、カエルは〈ココナッツ〉経由で暗号通貨の送金を確認し終えている。一連の仕事が完了する。
「やっと出てきよった」カエルはスマートフォンから顔をあげる。「下痢が治ったんやったら、飲みに行こか」
「いや、どうだろう。治ったのかなあ」ガマはTシャツの上から腹を時計回りに撫でる。「まだ続くと言っているような気がする」
「なんやねん。どんな腹やねん」
「しょうがないじゃないか。そういう体質なんだ」
カエルは底意地の悪そうな笑顔を浮かべる。無言なのが、余計に不気味に思えた。
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