▲ 太ったカエルと痩せたガマ

 カエルはガマの言ったことを頑として聞き入れなかった。受け入れるのは、あまりにも都合が良すぎた。

「相手の女は? 一人やったんか?」カエルは新しい煙草に火をつけた。立て続けに三本目だ。

 一層のこと三本まとめて吸ったら、とガマは思いながら頷く。

「そら出来過ぎてるやろ。なんで一人やねん」

「そんなの知らないよ。たまたま女の子を待ってるところなんじゃないの」

 カエルは咳と紫煙を吐きながら唸る。「どっちにしろ出来過ぎてるわ。だいたいのう、女待っとるんやったら今頃一人でおらんやんけ。それやったら意味ないで」

「だからそんなこと僕に言われても。僕はたまたま見たことを言っただけなんだ。女の子がいたんなら、まとめて連れて行けばいいじゃないか」

「アホ。余計な揉め事が増えるだけやんけ。それにの、俺もおまえも非力やねんぞ。どうやって二人も運ぶねん。ええ? 俺は金にならんことはせえへんのや」

「うるさいなあ、もう。そんなに僕の言うことが信じられないんだったら、自分の目で確かめてくれば?」

 カエルはまた咳をし、煙を吐きながら唸る。乱暴に煙草を消すと言った。「おまえもついて来いよ」

 ガマはため息をつきながら、廊下に出た。ついて来い、というか、僕が案内するんじゃないか。ガマはカエルの前を歩きながら不満を飲み込み、深呼吸した。あまり腹を立てると、腹が痛む。腹痛の波が来ないようにと、意識を分散させるように努めた。

 どこからか女の声が聞こえた。叫び声とも歓喜とも聞こえる声だ。さすがはラブホテルだ。部屋にいても何度か同じような声は聞こえたが、ここまで大きい声を聞くのは初めてだ。今までにも同じように聞こえていたのだろうか。下痢を抑えるのに必死で、周りの音を聞く余裕もなかったのだろうか。腹痛から解放されれば、世界は違ったように見えるのだろうか。そんな日が、いつか来るのだろうか。

 ガマはぼんやりと自分と対話しながら廊下を進み、階段を下る。気がつけば、目的の部屋の前にいた。

「ここなんか?」

 カエルの声で、ガマは我にかえった。

「おまえ、ちょっと覗いてみいや」

「僕が? 確かめるのはカエルだろう?」

 カエルは舌打ちをすると、ドアノブに手をかける。左手には、すでにスタンガンが握られていた。

 部屋にいたのは、男が一人だけだった。腹の出た中年は、色褪せたジーンズに、襟元がよれたポロシャツを着ていた。長引く梅雨の湿気のせいで暑い日が続いていたが、室内の冷房が寒いのか、薄手のジャンパーを羽織っていた。缶コーヒーのブランドが刻印された限定もののジャンパーだったが、本物なのかどうかは怪しい。

 中年男はベッドの上であぐらをかき、ホテルに常備されているポルノ雑誌をめくっているところだった。ベッドのそばには、踵が削れた薄汚れたスニーカーがひっくり返っていた。

「ほんまに一人やん」

 カエルの声で、中年男は顔を上げた。腫れぼったい目を大きくして驚き、すぐに険しい表情になる。

「なんやおまえら」中年男は声を荒げた。

「浅利海人やな?」カエルは中年男を睨みながら、ガマに同意を求めた。

 ガマはスマートフォンの画面をカエルの顔の前に出す。「多分間違いないよ」

「オドレら土方か!」浅利は叫ぶとベッドから飛び退いた。靴下の親指に開いた穴が大きくなる。武器のつもりなのか、ポルノ雑誌を丸めて竹刀のように握っていた。

「どこをどう見たら俺らが土方組ヤクザに見えんねん」カエルは嘲るように吐き捨てると、左手のスタンガンを右手に持ち替え、浅利に向けた。「エロ本握って勝てると思うたんか?」

 黒い金属が飛び出し、ワイヤーが伸びる。当たったと感じるより早くに電流が流れる。浅利は立ったまま魚のように跳ね、床に倒れた。

 カエルの愛用するスタンガンは改造テーザーガンであり、通常よりも電圧が強かった。死に至らしめることはないが、意識を失うまでの時間も、失っている間の時間も、長くなる。

「車を回してくる。そいつ連れてきてくれ」カエルはテーザーガンをしまった。

「え? 僕一人で? この人、何キロ?」

「知らんがな。二人で運び出したらさすがに怪しいやろ? 肩貸したってる風に運び出したらええんや」

「その役、僕よりカエルの方がいいんじゃない? 体形も似てるし」

「アホ、嫌味か。俺やとせえが足らんやろが。つべこべ言わんと連れてきたらええんや」そう言うと、カエルはそそくさと部屋を出ていった。

 ガマはため息をつき、浅利の身体を持ち上げる。想像以上に重かった。が、運べないことはない。幸い、腹痛の波もない。

 幸運は続き、廊下で誰にもすれ違うことなく、ロビーまでたどり着いた。受付の老婆も、ガマには目もくれず、小さなブラウン管テレビ––––こんなものがまだ現役だなんて!––––で韓国ドラマを見ていた。

 カエルの運転するバンは入り口に停まっていた。

 ガマはバンの後部座席に浅利を押し込むと、玩具みたいな手錠で手足を拘束し、口にボール型の猿轡をはめた。まるでそういうプレイを始めるみたいに。中年男のたるんだ寝顔を見ながらそんなことを思うと、ガマは急に腹痛に襲われた。

「何しとんねん! はよ乗らんか」カエルが小さく怒鳴った。

 ガマは乱暴に後部座席を閉めると、助手席に乗り込んだ。

 車は走り出す。

「ねえ、ちょっとトイレに行きたいんだけど」乱暴に揺れる車の中、ガマは腹痛の波が激しくなるのを感じた。

「アホ。そんな暇あるわけないやろ。これから土方と会うんやぞ」

「土方と会うからこそ、万全な状態の方がいいんじゃないかな」

「おまえのババは長い。どうしてもっちゅう限界になったら降ろしたる」

「今がその限界かもしれない」

 カエルは笑いながら煙草に火をつける。「まだ大丈夫そうやな」

 車体が激しく揺れる。

「本当にもう!」

 ガマの悲痛の叫びも虚しく、車は進んでいく。

 幸か不幸か、青信号が続いていた。

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