▲ 太ったカエルと痩せたガマ

「いらっしゃい」美容師が言う。「カットで?」

 カエルは無愛想に頷く。

 彼が入ったのは美容室〈シザーハンズ〉。夫婦二人だけで営む個人営業の美容室だ。夫の名前はエドで、妻はキム。本名ではない。店名にもなっているティム・バートンの映画『シザーハンズ』の登場人物の名前だ。美容室を訪れる誰もが、それ以外の呼び名を知らない。美容師としての腕は確かだったが、それよりも一部から注目を集めているのは、夫婦のもう一つの顔の方だ。

「なあ、毎回毎回よう、必要なんか、このやりとり」カエルは鏡の前の椅子に深く腰掛け、鏡の中の自分を睨む。

「ほんまに切りに来たんかもしれんやん?」エドはカエルの背後に立ち、鏡の中で会話する。

「そんなわけないやん」

「せやけど随分伸びとるよ。見窄みすぼらしいさかい、切ったるよ」

「いらんて。千円カットで十分や」

「髪形だけで、印象は随分変わるんやで」

「変えんでええ。だいたい、切るならキムに頼むわ。キムは?」

「奥におるよ。呼ぼか?」

「いや、ええ。それより本題や」カエルは鏡の中に入り込むように身を乗り出す。「〈ココナッツ〉の投稿者の情報が知りたい」

「トラブル?」

「仕事は完了したのに、入金がされへんねん」

「ありがちなやつや。捜すんは容易やないで」

「せやけどできるんやろ? アカウントのIDはわかっとる」カエルはスクリーンショットで保存した画像を見せる。「この世界、信頼が何よりも大事や。情報屋のあんたならわかるやろ?」

 エドは鏡の中に頷く。「時間はかかるで」

「かめへん」

「ほな、とりあえず三日みといて」エドはポーチから電卓を取り出す。

「まだや。もう一つある。〈球団〉についてや」

 エドの指が止まる。「貴方ジブン、何考えとんねん?」

「そんな怖い顔しなや。ちょっとした興味本位や。ゾウが出よったって聞いてな」鏡の中のカエルは薄気味悪く笑う。頬のニキビが脂でテカテカと光る。

 エドは鏡を見つめ、黙り込む。

 鏡の中の静寂。

 やがて、エドは口を開く。「何考えてんのか知らんけど、やめといた方がええで」

「だから、ただの好奇心やって」

「ほんなら〈ココナッツ〉にあがっとるゾウの暗殺依頼は偶然っちゅうことやな?」

「へえ、そんなんあんねんや。知らんかったわ」カエルはいかにも白々しい笑みを浮かべる。

 エドは大きなため息をつく。「なあ、蛙田かえるだくん。ウチは完全中立の情報屋や。個人、組織問わず、誰に対しても平等に情報を売る」

「なんやねん、今更。裏社会のスウェーデンやろ? そんなことわかっとるわ」

「ええから聞きいや。ほんでちゃんと考え。それがどういうことなんかを。考えもなしに手突っ込んだら火傷すんで。いや、火傷ですんだらええ方や。薮をつついて出てくんのが蛇やとは限れへん。もっとどえらいもんが出てくるかもわかれへん。せやろ? わしは個人的に、蛙田カエルくんもガマくんも気に入っとんねん。付き合いも長いからなあ。せやから、わざわざ忠告しといたってんねんで。それをわかってや」

「だから、わかっとるって。ほいで? ゾウの情報はあるんか? ないんか?」

 エドはゆっくりと瞬きをし、深い息を吐く。「たこうつくぞ」

「かめへんて」

「〈球団〉の指名打者、ゾウ。黒いツナギに、黒いヘルメット。キャッチャーのヘルメットに手を加えたようなフルフェイスで、当然顔は見えない。内蔵されたボイスチェンジャーで語り、声紋は不明。手袋は当然で、両膝、両肘にはプロテクターを装着。胸部のプロテクターは防弾防刃仕様。これらも全て、キャッチャー用のプロテクターを改造している。用途は不明。その他武器に関する情報は不明」

「肝心の正体はわからんのか」

「ここへ来る時もフルフェイスは取らへんからね。これ以上の正体に関する詮索は、中立の立場に反する。調べるつもりもないし、わかっても答えるつもりはない。というか調べたくない。わしも死にたないからね。教えてやれるんは、ゾウはいま、ある殺人に関係していると思われる人物を捜しているということ。そしてそれが〈ココナッツ〉に関係しているということ」

「なんや、おもろなってきたな」カエルは鏡の中で、不気味に笑う。「詳しく聞かせてもらおか」

「詳しくかどうかはわかれへんけど……。あ、そうや。スウェーデンってなんのこと?」

「あ? 永世中立言うたからや。時間差のツッコミ腹立つで」

「それ、きっとスイスやで」エドは笑いを噛み殺したような顔を見せる。

「腹立つわ」カエルは顔を歪ませ、かろうじて負け惜しみを口にする。

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