▼ 不眠症のゾウ

 ゾウはスマートフォンで倉庫に仕掛けた点火装置を遠隔で操作し、花火を放ち続けた。

 倉庫を所有するNPO法人が世界中から集めた花火を大量に保管していることは、〈球団〉から知らされていた。日本では認可の下りない火薬量の花火が多数あることも、NPO法人が裏で土方組と繋がっているという情報も得ていた。

 土方組は、花火の中にメタンフェタミンの粉末やクラック・コカインを隠し、NPO法人に密輸させていた。指示役の若頭・城ヶ崎慎弥は詳細を把握していたが、その他の役割は細分化され、薬物売買の全容を知る組員はほとんどいなかった。外岡樹と沖中幻騎も薬物売買に携わってはいたが、土方組に属さない不法滞在の外国人を売人とする現場の監督を任されていたため、例にたがわず、役割以外のことは知らなかった。NPO法人との関係と、花火保管倉庫の存在は知っていたが、薬物密輸に使われていることはまでは知らなかった。外岡と沖中にとって倉庫は、暴力を行使する絶好の空間という認識でしかなかった。

 ゾウは外岡と沖中の動向を探っていた。彼らこそ七草オーナーより指示された殺しのターゲットだったからだ。七草オーナーが彼らを殺したがる理由は聞いていなかったが、想像することはできた。

 そこには、私立探偵・浅利海人が関わってくる。

 浅利探偵は、個人的な理由で長年〈球団〉について調べていた。最近までは取るに足らない存在であったようだが、本人も気付かぬ間に、何やら"でかいネタ"を掴み––––これは百合餡の見解だ––––〈球団〉はその情報が他に漏れることを懸念し始めた。真偽はどうあれ、浅利が"何か"を掴んだ以上、ただ殺すわけにはいかなくなり、生きている間にその"何か"を回収する計画が立てられた。

 そこへ、土方組が現れた。

 土方組の動機は〈球団〉とは別のところにあったが、拉致ないしは殺害を企んでいることは、夜の繁華街を歩けば子供でもわかった。もしも土方組が、浅利の持つ"何か"の情報を手に入れれば、〈球団〉にとって脅威となるかもしれない。そこで、七草オーナーは浅利海人が拉致・拷問される前、という条件つきで、ゾウの派遣を決めた。ターゲットを外岡樹と沖中幻騎の二人に絞ったのは、拉致・殺人の暴力事案を取り仕切るのが、この二人だったからだ。土方組長や城ヶ崎若頭が殺しの指示を出すこともあるが、暴力団対策が厳しくなる中、リスクだけを負う儲からない殺しにかかわる回数はめっきり少なくなっていた。土方組への忠誠心として––––たとえば、組の面子を守るために拷問や殺人を行使するのは、時期若頭候補の呼び声高い外岡だ。浅利海人の件も、例に漏れず外岡が仕切っていた。

 この日までにも、ゾウが仕事を完了できる瞬間は何度かあった。それを先送りにしたのは、外岡と沖中への接触者が判明したからだ。

 カエルとガマ。"ゾウ"を探す二人組の殺し屋だ。二人は浅利海人を拉致し、外岡へ引き渡す計画を立てているらしかった。それが現実のものとなるのなら、現場は花火保管倉庫だろう。外岡の指示に忠実な土方組員の動向を観察し、ゾウの予想は確信に変わった。そして、実際に浅利が拉致される数時間前に、倉庫に着火装置を仕込んだ。

 浅利の受け渡しが始まった頃には、組の下っ端八人が付近に待機していたが、彼らは土方組に歯向かう人間がいること、ましてや奇襲してくる個人が現れるなど考えもしなかったようだ。おかげで、殺人は容易に行われた。。

 カエルとガマがラブホテルに潜伏していることを知り、そこで浅利海人と鉢合わせる可能性を視野に入れた。彼らがプロであるなら、その場所で拉致するだろう。

 ゾウの賭けは的中し、浅利は花火保管倉庫へ運ばれた。四人の邪魔者ターゲットが一堂に会するゾウにとってはまたとない好機が生まれた。

 花火は必要ないのかもしれない。

 スナイパーライフルのスコープと倉庫内に仕掛けた監視カメラの映像を見ながら、そう思い始めたとき、バンが揺れ、中から手錠をはめられた浅利海人が這い出してきた。ゾウとしては、もう少し四人の動向を見極め、願わくば殺し合いを始めることを期待していたのだが、浅利が逃げ出したとあっては、悠長に構えてもいられない。外岡の性格を考えれば、その場で殺しにかかるだろう。死なれては困る。少なくとも今はまだ。

 ゾウはスマートフォンで花火に着火し、閉ざされた倉庫に混沌を作り出した。沖中がすぐにカエルとガマを殺すだろうとみたが、予想に反し、ガマが沖中の首を折った。痩せほそった貧弱な身体からは想像できない動きだった。なるほど、フリーランスの殺し屋を続けてこれただけのことはある。

 その後も、外岡が撃ったリヴォルヴァーの弾丸は、カエルの肉壁に阻まれた。仲間の死で冷静さを失い、隙だらけに見えた。死相が浮かんで見えるような気さえした。

 しかし、目に見えない何かがガマの味方をしたのか、外岡は標的を浅利に移した。まったく、悪運の強い男だ。ガマは二度も死期を遅らせた。

 ゾウは撃つ。

 ライフルの銃弾は外岡を貫いた。これで、生存者は一人。

 ゾウはスコープを動かし、ガマの顔を捉えた。呆気に取られる顔からは、動揺や怯えがうかがえた。すでに戦意喪失している。

 ゾウはライフルの引き金に指をかけ、ゆっくりと離す。

 考えてみれば、ガマの殺害指令は出ていない。"ゾウ"を狙うから排除しようと考えたが、その心配はなくなったように思える。もう少し、彼の悪運を見てみるのも悪くないのかもしれない。

 ゾウは素早く野球のバットケースにライフルをしまうと、足早に倉庫を後にした。

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