▲ 太ったカエルと痩せたガマ

 収まらない残暑の中、蝉の声が強く響く。

 カエルが死んで一年が過ぎた。以来、ガマは足を洗い、近畿地方を転々として暮らした。元々特定の住居を持たない生活をしていたから、荷物はバックパック一つ分しかなく、移動に苦労はなかった。移動や生活費は、ガマが貯めていた金を使った。相棒の残した金には、まだ手をつけてはいなかった。

 腹痛と下痢に悩まされる回数は格段に減り、まともな食事が食べられるようになった。おかげで体重が少し増えた。しかしまだ、完治とは言えない。腹痛から完全に解放されるには、後一つ、やり残したことがある。

 相棒の雪辱を果たす。それですべて終わる。ガマはそう信じて疑わなかった。

 カエルを殺した張本人、土方組の外岡は死んだ。だが、それで収まる感情ではない。最初の数ヶ月は、土方組を壊滅させることだけを考えた。

 憤怒が原動力となっていたガマではあったが、冷静さを欠いていたわけではなかった。確実に暗殺を成功させるため、必要な武器を揃えた。毒薬、爆薬、刃物、思いつく限りの武器を用意したが、決して、裏のルートは使わなかった。

 土方組は青龍会直系の暴力団だ。土方組自体のシマは、大阪のキタと呼ばれるエリアだったが、青龍会の規模はそれよりもはるかに大きい。暴力団だけではなく、宗教団体や右翼団体など素性を隠した友好団体も多く、密売の裏ルートを介せば、いずれは足がつくことがわかっていた。だから、すべての武器は、誰でも購入できる店で仕入た。

 薬物に関しては、薬局に並んでいる市販の薬、または、山林の植物を使った。たとえば、カエンタケは、都市部の公園に生えている場合もある、食すのはもちろん、触るだけでも死の危険がある猛毒のキノコだ。自然界の毒物を使えば、凶器から足がつくことはない。

 ガマはいくつかの自作毒物を使い、土方組の下っ端を数人毒殺した。しかし、下っ端をいくら殺しても、下痢はそれほど改善されなかった。そこで、ターゲットを土方組長を含めた幹部に絞ることにした。組織を潰すということは、頭を潰すことだと。

 組長クラスが相手になると、それまでのような毒殺や隙をついての首折りは現実的な方法ではなくなった。どんな組織でも、上にいけばいくほど、取り巻きの数も多くなる。暗殺の機会は格段に減った。

 爆薬を積んだドローンを自爆させることも考えたが、堅気の人間を巻き込む可能性が大きい。悪党ヤクザ以外を殺すことは、今のガマが望むことではなかった。

 刃物を持って特攻することも考えたが、成功するヴィジョンが見えなかった。殺せても、せいぜい取り巻きの一人か二人だろう。殺意の刃は土方組長まで届かない。

 残る方法は一つ。銃殺だ。ガマには、それ以外の暗殺方法が思い浮かばなかった。だが、質の悪い中国製のハンドガンはおろか、狙撃用のライフルなど日本国内で手配することができるはずがなかった。どうしたって、裏に通ずるルートが必要だ。大阪や近隣の県では、その情報は必ず青龍会系組織から土方組に流れるだろう。関東や九州であれば、その網から逃れることもできるのかもしれないが、ガマは近畿地方以外での裏ルートを知らなかった。

 銃は、自分で作るしかない。それから、ガマは一日の大半を銃器製造の時間に充てるようになった。

 動画サイトで国内外の手製銃製作方法を学んだ。ひとえに銃といっても、狩猟のためのライフルや軍事用のアサルトライフル、西部劇でお馴染みのシングルアクションリヴォルヴァーや諜報員の持つハンドガンなど種類は多岐にわたる。ここがアメリカであれば、好みの銃を選べば済んだ。が、一から作るとなると、制限があった。

 そこでガマが選んだのは、滑腔かっこう式マスケット銃、つまりは火縄銃だった。

 かつて日本で使用された火縄銃は、銃口を上にして火薬を入れ、その上から鉛玉を入れる。銃を水平に持ち替えて、火縄ばさみを引き上げて安全装置火ぶたを開き、火皿に点火薬を入れる。火ぶたを閉じ、火縄を火縄ばさみに挟み、銃を構えて狙いを定める。火ぶたを開いて引き金を引くと、弾丸が発射する、という仕組みだ。火皿の火薬に火縄で点火し、その火が銃口内の発射薬にまわることで弾丸が発射される。つまり、引き金をひいてから発射までに間があった。少しのブレが的を大きく外す、扱いが難しい銃だ。弾丸の詰め替えにも時間がかかり、連射には向かない。しかし、それは昔の話。現代には、進歩した科学がある。作り方によっては、引き金をひいてから発射までのタイムラグを短縮することができる。

 そして、ガマが火縄銃のアレンジを選んだ最大の理由は、素材の調達しやすさにあった。造形美を考慮しなければ、ほぼすべてをホームセンターで調達することができるのだ。

 銃口、銃身となるのは、空洞のある鉄パイプ。弾丸はカプセルトイから着想を得て、小さな鉛玉をカプセルの中に入れた。引き金はライターの原理を応用し、引くと鉄パイプの筒からカプセル弾が飛ぶ。カプセルは発射すると砕け、中にある六粒の鉛玉が散弾銃のように弾けぶ。

 火縄銃と大きく違うのは、一度しか射撃できないことだった。引き金をひいてから発射までのタイムラグと、射撃精度は改善することができたが、射撃回数だけはどうにもならなかった。一つの筒で、発射は一度。銃は一回使い捨てにするしかなかった。

 ガマは鉄パイプを銃身にした銃を数本作り、近隣の山林で射撃練習をした。タイムラグ、飛距離、命中率など銃の精度を測りながら、自分自身の射撃の腕を磨いた。少しでも発見されるリスクを回避するため、毎日時間をずらし、同じ場所で射撃するのは三日までに留めた。三日という数字に根拠はなかったが、ガマの直感で、それ以上は危険だと判断した。拠点を転々としたのも、それが理由の一つでもあった。正しい判断だったのかはわからないが誰にも目撃されることはなかった。

 銃の自作を始めて半年後には射撃の腕が安定し、銃の型が定まった。銃身の筒となる鉄パイプは二本がベスト。一本では仕留めきれなかった場合、二撃目までのロスタイムが大きすぎ、三本以上では鉄パイプの重みで安定して銃を構えることができない。鉄パイプの筒は二本、長さはおよそ十六インチ。筒を固定するテープや板の重量を踏まえると、それが理想の形となった。

 銃の型が定まると、ガマは人間を標的とした実戦練習に移った。狙ったのは青龍会系に所属する暴力団員の下っ端だ。死んでも心と腹が痛まない人間として、無意識に選んだのだろう。おかげで以前のように下痢に悩まされることもなく、手製銃の精度が上がっていった。

 実戦を重ね、銃弾となるカプセルに込める鉛玉は六発。それが、命中率と殺傷能力の理想系だと気がついた。

 しかし、すべてが想定通りにいったわけではなかった。青龍会––––ガマ本人は知らなかったが、それ以外の暴力団組織も––––の暴力団員を殺しすぎたせいで、各組長や幹部の警護は厳重になり、狙撃の難度は上がった。当然、土方組の幹部も例外ではない。機会をうかがっているうちに、下っ端にも接触できないほどに警戒が強まっていった。

 ガマは危険を敏感に察知し、鳴りを潜めた。暴力団はもちろんのこと、人気のない山林での射撃練習もやめた。不定期に拠点を移し、外出は必要最低限に留めた。

 そしてまた、夏がきた。

 暴力団の厳戒態勢は未だ解かれてはいなかった。だが、ガマはもうどうでもよくなっていた。しらばく表社会からも裏社会からも離れ、地下に潜るように過ごしている間に、矛先は青龍会とも土方組とも違う方に向いたのだ。

 彼の心のベクトルを動かしたのは夏の夜、煌びやかに打ち上げられた花火だった。

 思い出すのは一年前の夏、倉庫でのことだ。

 沖中を殺し、カエルが殺され、外岡が死んだ。どうして外岡は死んだ? あの場にはもう一人、浅利という探偵がいたが、戦闘力はないに等しい。探偵が外岡を殺したとは思えない。人を殺せるような仲間がいるとも考え難い。

 誰が外岡を殺した? 誰がカエルの仇を殺した? 自分が殺すはずだった仇を、横取りしたのは誰だ? 

 ガマは記憶の中、花火の煙の中を進んだ。夜空の下に出て、大きく深く、息をした。通りに出ると、走り去っていくバイクが見えた。ナンバーはよく見えない。フルフェイスのヘルメットと黒いライダースのつなぎ。それだけだとどこにでもいるバイク乗りだ。が、フルフェイスのヘルメットは、キャッチャーマスクのように見えた。かつてカエルが言っていた。キャッチャーマスク型のヘルメット––––〈球団〉のゾウではないか? もしもあれがゾウだとするなら、あの無数の花火も、外岡を殺したのも、すべてゾウの仕業ではないか? そういえば、カエルはゾウを討ち取り名をあげるという野望を持っていた。彼の代わりにその望みを叶えてやるのが、残された相棒の責務ではないか。

 いつの間にか、ガマは〈球団〉のゾウに取り憑かれ、ゾウを始末することだけを考えるようになった。そして、その執念はついにゾウを捉える。

 その夜、大阪市の上空には線状降水帯が発生し、局地的な豪雨をもたらせた。大雨洪水警報が発出され、一部地域には高齢者等避難情報が出ていた。

 ガマはレインカバーをつけたバックパックに、手製の銃を二丁携え、兵庫県の山林へ向かっていた。射撃の勘を取り戻すため、雨の日の山でなら、人目にもつきにくく、安全だと考えたのだ。大雨の情報は天気予報を見て知っていたが、線状降水帯の意味はよくわかっておらず、ただの雨だろうとたかを括っていた。

 山林が近づくと雨脚は強くなり、視界が曇るほどの激しい雨が打ちつけた。さすがのガマも、気象予報士が繰り返し伝えていた災害級という言葉を実感し、山には行かずに引き返すことにした。もしもそのまま山林に入っていたら、土砂崩れに巻き込まれ、カエルと同じところに行くことになったのだが、その未来だけは避けることができた。

 雨は強く、二台の車が逃げるように走り去って行った以外、誰かとすれ違うことはなかった。誰かがいたのだとしても、雨粒で遮られた視界では、人間を認識することはできなかった。

 マウンテンパーカーのフードを被り、雨の中を項垂れるように歩いていると、側をバイクが走り抜けた。すれ違いざまに、ヘルメットが見えた。キャッチャーマスク型のヘルメットだ。

 ゾウ! 

 ガマは走り出す。雨と霧の世界で、バイクのライトが遠ざかっていく。ガマは何度か、転び、立ち上がり、この暗闇を抜け出す一筋の光の中へと走り続けた。

 これは運命が呼び寄せた現実なのか。あるいは虚しい望みが見せる悪戯な幻影なのか。豪雨が夢現の境を濁らせる。

 どこかで、雷鳴が聞こえた。

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