◇ 球団の虚像

 鈴村誠すずむらまことは〈球団〉のトライアウトを受けた。当然ながら十二球団合同トライアウトとは何の関係もなく、ボールに触れることすらない。犯罪組織と、それにまつわる隠語だった。マコト自身、その意味するところはほとんど理解していない。トライアウトなるものについても、ほとんど知らされてはいなかった。

 本家プロ野球のトライアウトが、自由契約の選手を対象にするのに対し、〈球団〉のトライアウトでは、しばし育成契約も対象となった。〈球団〉の場合は、犯罪行為の隠語であるため、自由契約と育成契約にそれほど大きな違いがなく、野球好きの〈球団〉オーナーが面白おかしく名付けただけだ。とどのつまり、〈球団〉を支える犯罪人として使えるかどうかを見定めるための試験だった。〈球団〉に認められれば、支配下契約の選手となり、選手名が与えられ、少しだけ深く、内部情報を知ることができた。

 裏社会に生きる人間であれば、〈球団〉の噂くらいは耳にしたことがある者も少なくはないが、マコトには縁のない話だった。関わりを持つようになったのは、選手名・ゾウというキャッチャーマスクが接触してきたからだった。

 ゾウは、マコトが自らの手で殺した金子岳郎参議院議員のことも、その事実を隠蔽しようと闇サイト〈ココナッツ〉へ金子の死後に殺害依頼を掲載したことも知っていた。マコトがかつて男色家相手に売りをし、その相手だった金子とのトラブルが殺人の動機となったこともまでも見抜いていた。

 さらには、マコトが売りをしていた過去を偶然知った原口麻友の殺害を〈ココナッツ〉で依頼し、その罪を私立探偵・浅利海人に被せようとしたことも、マコトの過去に気づいた浅利を刺し殺したことも知っていた。

 暗雲へと進む人生を覚悟したマコトだったが、ゾウはその事実を公にすることはなかった。それどころか、マコトの殺人を功績だと讃え、〈球団〉へスカウトした。マコトにとっては、またとないチャンスだった。これまでの、そしてこの先も続くであろう夢も希望もないうだつのあがらない人生との訣別の瞬間だった。現に、〈球団〉の下での仕事は、どれもがこれまでにないほどの多額の報酬に繋がった。

 一年––––浅利を殺し、〈球団〉と契約して一年あまりが過ぎた夏、〈球団〉のゾウはマコトにトライアウトの話を持ちかけた。

 マコトは、契約社員が正社員登用されるようなものだと捉え、真摯にトライアウトに取り組んだ。トライアウトの内容は、どこかの誰かを刺し殺すというだけの単純なものだった。条件はあったが、さして問題ではなかった。

 マコトは指示通りの働きをみせ、軽自動車で国道を走っていた。ハンドルを握りながら、ゾウの言葉を思い出す。

 君には期待している。

 たった一言だったが、マコトには言葉以上の意味があった。これまで、他人から期待されたことはなかった。恩人だと自称する浅利からも、期待という言葉は聞いたことがなかった。二十余年、他人から蔑まれ、鼻で笑われててきた。親の愛を受けなかった代わりに、幾人かの友人はできたが、本物の友人とは呼べなかった。金がなくなれば離れていき、くだらない犯罪紛いの遊びに付き合わなければ仲間と見なされなかった。

 いつの間にか、マコトは自分自身を卑下するようになり、社会から必要とされていない人間なのだと思うようになった。そんなことはどうでもいい。誰かが作り出した人間社会の仕組みなど、クソほどの価値もない。口ではそう強がりながらも、心の底では、そんな人間社会に馴染めない自分を恥じていた。高校を中退し仕事を始めたが、どの職場も長続きはしなかった。学がないからまともな職には就けず、何をやっても貧乏からは抜け出せないと諦め、その日暮らしの金を稼いで生きてきた。

 未来に希望を持たなくなったマコトは、いつしかドキュメンタリー番組で見たカート・コバーンのように二十七歳で死ぬことを夢に見るようになった。カート・コバーンの生き様や音楽性に共感したからではなく、『若くして亡くなった偉大なロックスター』という肩書きだけを切り取り、それに憧れを抱いたのだった。

 しかし、二十七になっても自ら命を絶つことはできなかった。死ぬ勇気––––そんなものを勇気と呼ぶのかどうかは別にして––––がなかったからなのだが、必死で言い訳を考えたマコトは、ようやく、自分がまだ何も成し遂げていないことに気がついた。カート・コバーンは言うに及ばず、生き様も死に様も、ロックではなかった。

 死ぬ決心もつかず、灯りのない未来へ歩き続けることにも嫌気がさしはじめていたとき、金子岳郎が現れた。出会いは全くの偶然で、かつての長髪を刈り取り、坊主頭にしていたマコトだったが、金子はめざとく、彼に気がついた。そのときにはすでに、身体を売ることからは足を洗っていたマコトだったが、そんなことは金子には通じなかった。金になるということだけであれば、マコトもそれほど抵抗することはなかったのかもしれない。が、金子は度が過ぎたサディストだった。性行為の相手は、徹底的に痛めつける。文字通り、暴力を振るって。マコト自身、過去に血を見せられた経験があった。だから、どれだけ金を積まれても、承諾しようとはしなかった。が、金子は有無を言わせなかった。

 一度、また一度と、自尊心が踏み躙られる夜が続いた。

 そして、六月二十八日、マコトは引き金を引いた。それまでのすべてを吹き飛ばす銃弾だった。初めて自分自身で行動を起こし、新しい未来への道が拓けたのだと思った。ロックな生き様と、死に様が見えた気がした。

 当初は、金子を撃ち殺した後に、自分の脳みそを撃ち抜くつもりだった。が、金子の隣で死ぬ気にはなれなかった。別の場所で、二十七のうちに自害しようとしたが、決心がつかず、ずるずると時間が流れた。

 そして、ゾウが現れた。

 ゾウは、マコトのすべてを肯定し、期待しているとまで言ってくれた。これまでには考えもつかなかった世界が広がり、やっと自分の居場所を見つけた気がした。

 マコトは決意を込めてアクセルを踏む。

 期待してくれること––––自分の存在価値を評価してくれることで、豊潤な人生を進むことができる。〈球団〉こそが、やっと見つけた居場所だ。

 衝撃が走った。

 無防備な後頭部を鈍器で殴られたような衝撃だ。時間が伸縮し、世界が傾く。過去の景色が雪崩れ込んでくる。

 目が開けていられないほどの眩しい光の後、暗い世界がやって来る。

 マコトの乗る軽自動車は、国道沿いの川に落ち、飲み込まれていった。マコトは、理解もできぬままに、現実の底に沈んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る