▼ 不眠症のゾウ

 六月二十八日、参議院議員の金子岳郎が何者かに殺された。死因は脳挫傷。頭部に放たれた銃弾が原因とみられた。都内在住の金子岳郎は大阪市北区のホテルに宿泊し、その詳細は秘書を含めた誰にも明かしていなかった。現場の状況とホテル関係者の証言が、何者かとの密会を示唆している。捜査機関やメディアは愛人との「痴情のもつれ」とみている。

 ゾウは改めて、「スコアボード」に関係する資料を読み直した。

 金子には愛人がいて、その愛人に殺されたのは間違いないだろう。しかし、気になることもある。与党議員の金子が宿泊していたのは、高級ホテルだ。そこへ愛人を連れ込むとなれば、相手もそれなりの見てくれをしていなければならない。美しいとか醜いという視点ではなく、安っぽいか気品があるかの違いだ。仮にクラブや風俗店の女性が愛人だったとする。その店に気品がなければ、働いている女も自ずと安い印象を与える。美しさや色気ではなく、ただただ安っぽいケバケバした女、金次第で誰にでも股を開くような女は、ひと目見ただけでわかるものだ。

 それが金子の好みなのだと言ってしまえばそれまでだが、それならば宿泊するホテルに連れ込む意味はない。店に通うかラブホテルを使えばいい。ホテルに連れ込むということは、スキャンダルのリスクを背負うということ。それだけの危険を冒してまで、自らの部屋に呼ぶ相手。それは、本当に店の女なのだろうか。

 さらに、金子岳郎は銃弾によりその命を奪われている。相手を愛人とするならば、その相手は拳銃を持っていたことになる。確かに、インターネットやSNSの発達した現代日本では、拳銃を入手することはそれほど難しくはない。だが、愛人を殺すために使用するだろうか。無防備な相手に近づけるのであれば、拳銃の必要性はあまりない。包丁やナイフ、カッターナイフでも、市販で購入できる薬物を過剰に摂取させることでも殺人は可能だ。むしろ、拳銃よりも足がつきにくい。

 それならば、犯人はどうして拳銃を選んだのか。

 ゾウにはその答えがなんとなくわかっていた。

 犯人は〈球団〉の存在を知っていた。金を得て殺人を行う組織の存在を知っていたのだ。そして、まんまと〈球団〉の仕業にみせて殺害した。本当に〈球団〉が金子を狙っていたとも知らずに。

 いや––––ゾウは自らの考えを否定する。拳銃にそれほどの意味はないのかもしれない。殺人と聞いて真っ先に連想するのは拳銃だ。犯人が、安直に銃殺を思い至っても不思議ではない。あるいは、憎しみを最も込められる手段として、拳銃を選んだのかもしれない。足がつくとかつかないとか、そんなことは考えもせずに。愛は盲目であるし、愛から派生した愛憎はさらに盲目なものだから。

 しかし、それが捜査を混乱させているのも事実だ。線条痕せんじょうこんと呼ばれる拳銃の「指紋」が記録されていない銃であれば、銃弾から足がつくことはない。拳銃の密売ルートも、簡単には割り出せないのが現状だ。やがては判明するだろうが、どこかに逃げる間の時間稼ぎには十分だ。本当に逃げる気があるのであれば。

 百合餡の顔が浮かび、彼女の声が蘇る。

 ゾウは自嘲気味に笑い、もう一つの資料を開く。

 広域指定暴力団・青龍会系土方組。梅田をはじめとする大阪『キタ』エリアを縄張りとしている。関西一の規模を持つ青龍会直系組織と盃を交わし、小さいながらも組を持つことを認められた。組長の土方ひじかた清志郎きよしろうと若頭城ヶ崎じょうがさき慎弥しんやは経済ヤクザとして狡猾な一面を持ちながらも、ここぞというときには本来の暴力性を存分に見せつけた。その手腕により組は確実に力をつけ、今では表社会への進出も目されている。つまりは、政治的な関与だ。

 しかしながら、土方と政治家の癒着はあくまでも噂の域を出ず、疑惑の政治家の名前は誰一人として挙がっていない。関与を示す事実は何一つ判明していない。

 ゾウは二つの資料を並べる。

 最初に、金子岳郎議員殺害の仕事があった。〈球団〉の運営陣である『監督』らの差配で一人の指名打者ヒットマンが送り込まれた。が、それよりも早く、金子は殺された。

 誰が金子を殺したのか。〈球団〉はゾウにそれらしい人物が載った『殺しのリストスコアボード』を渡し、その中から犯人を見つけ出すよう指示を出した。

 それとは別件で、七草オーナーより直々に、土方組員の殺害指令を受けた。当然というべきか、詳しい理由は聞かされていない。

 ゾウは順を追って少ない情報を整理し、思案する。

 まずは金子岳郎の殺害。通常であれば、誰が金子を殺そうとあまり問題ではない。重要なのは確実に死体を作ることであり、その過程が注目されることはない。しかし、金子の殺害は通常とは違った。自殺、または事故死に見せかけるという条件がつけられていた。それが依頼者の希望だ。

 だが、金子岳郎は銃殺された。〈球団〉に殺しを依頼した人物(あるいは組織)が黙っているはずはない。〈球団〉が関わる前に起きた不測の事態であろうが、依頼を引き受けてしまっていた以上、〈球団〉は失敗したとみなされる。裏社会では、一つの失態が命取りになる。金子岳郎殺害犯を見つけ出すことで、なんらかの策を講じ、〈球団〉は失態の帳尻合わせをするつもりだろうと考えられた。

 その役を任されたゾウはまだ『試合』途中だ。にもかかわらず土方組員の名前が〈球団〉の「殺しのリスト」に追加された。となれば、二件の関連性を疑うのが自然だ。

 金子岳郎は汚職が疑われていた。それに土方が関与していたとするなら、金子が消された理由にも納得がいく。土方組が〈球団〉に依頼したのか、あるいは自らの構成員が手を下したのか。あるいはまったく別の理由なのか。いずれにせよ、〈球団〉が動く理由にはなる。

 金子議員と土方組の癒着から発展したというのが、最も筋が通るように思えたが、ゾウはいまひとつ確信が持てなかった。気になることがあったから。

 七草オーナーから受けた殺害指令は、土方組が標的であることに間違いはなかったが、土方清志郎組長でもなければ城ヶ崎若頭でもなかった。明らかに、彼らよりも身分の低い組員だった。金子殺しの実行犯とみているのだろうか。それにしたって、ヤクザを相手にすることには変わりがないのだから、組長の殺害指令がないのは少し妙だ。どうせやるなら徹底的にやる。組ごと潰せ、と言うのが〈球団〉だ。土方組との諍いを避けるため? 延いては青龍会との揉め事を避けるため? そのような弱腰の姿勢はあまり考えられないが。

 ゾウは資料を閉じる。

 好奇心はあったが、その先を求めてはいなかった。世の中には、絶対にたどり着くことはない真相が存在する。それをよく理解していた。

 ゾウは武器と防具の整備に移る。興味は、すぐに真相から離れていく。

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