一七章 死んだ兄のため? くだらないな
「
若き女性彫刻家はそう言って頭をさげた。
結局、森也の誘いに乗って手を挙げたのは、かの人ひとりだった。その他の職人たちはそろいもそろって『何を言ってるんだ、こいつは?』という表情のまま解散し、それぞれの仕事場に戻っていった。
ただひとり残ったつかさがいま、改めて森也とさくらのふたりに対峙しているのだ。
――一九歳。若いとは思っていたけど、まだ二十歳にもなっていなかったんだ……。
そんな若い、しかも、女の人でも伝統工芸の世界に入ったりするんだ。
そう思うと何だか不思議な気分になるさくらだった。
「
森也はそう言って軽く頭をさげた。
「こちらは妹のさくら」
森也に言われて、さくらはあわてて頭をさげた。
「さくらです。中学三年です。よろしくお願いします」
フルネームを名乗ると名字のちがうことに戸惑われそうだし、事情を説明するにしても、初対面の相手にするには重すぎる話だろう。そもそも、ビジネスの場で話すようなことでもない。だから、さくらは名前だけを口にした。この場ではそれで充分なはずだった。
「さて」と、森也が口にした。
たいていのビジネス書では『まずは雑談を交わして互いに気心を知ることが大切』と言ったようなことが書いてある。それを忠実に実行して趣味の話などからはいる人も多いだろう。しかし、よけいなことに時間をかける気のない森也はすぐに本題に入った。
「あなたは私の誘いに手を挙げた。『おれたちの国』への参加を表明した。それでいいですか?」
「はい」
つかさは真剣な顔でうなずいた。
「失礼ですが、まずはあなたが正確に状況を把握しているか、確認したい。あなたの理解していることを話してください」
人によっては腹を立てる言い草だったろう。しかし、つかさは腹を立てるどころか、不快に思ったそぶりすらなく、答えた。森也の言い草などよりよほど大事なことがあるのかも知れない。
「世界中の誰もが自分の望む暮らしを送れるようにする。そのために『おれたちの国』を作る。『おれたちの国』の産業として高級ベッドを作る。そのベッド作りのために各務彫刻を活用したい。そのために、参加を望む」
淀みないつかさの答えに森也はうなずいた。
「その通りです。理解してくれていて安心しました。では、こちらからも確認させてもらいます。あなたは『おれたちの国』作りに参加することにした。故郷であるこの地を離れ、赤葉に移住し、そこで、ベッド作りのために彫刻の腕を振るうことに決めた。そう言うことでよろしいですか?」
「はい」と、つかさは迷いなくうなずいた。
その表情はまだあどけなさの残る顔立ちには不釣り合いなほどに真摯なもので、それだけで何かよほどの事情があってのことなのだと感じさせる。
「私たちは参加者を募るためにやってきました。参加してくれると言うならもちろん歓迎します。とは言え、参加者なら誰でもいいというわけにはいきません。まずは……」
森也がそう言いかけたときだ。
つかさは必死なぐらいの口調で言った。
「見本ならもってきました!」
そう叫ぶと大きなバッグを取り寄せ、なかをかき回しはじめた。そのなかに見本として自分の作品をもってきたのだろう。
「あたしの腕が不安ならこれを見て……」
つかさはそう言って中身を取り出そうとしたが、森也は手をあげてそれを制した。
「見本はいりません。技術はこれから磨けばいいことです」
「は、はあ……」
つかさは拍子抜けしたような表情になった。
――腕を疑われると思ったのね、きっと。
さくらはそう思った。
まだ二十歳前の、それも、女性となれば、伝統工芸の世界では腕を疑われることも多いのだろう。さくら自身、まだ中学三年生、しかも、女子だと言うことでおとなの男たちから能力を疑われたり、下に見られたりすることはよくある。だから、その辺りの心理は手にとるようにわかった。それだけに『腕は見なくていい』と言いきった森也の態度は意外なものだった。
――きっと、つかささんもそう思ったのよね。
森也はつづけた。
「逆に言うと、いくらいまの時点で腕が良くても今後、こちらの要求に応じるだけの成長がなければ意味はない、と言うことです。だから、現時点でのあなたの腕に興味はありません。私の聞きたいのは別のことです」
「別のこと?」
つかさは目をパチクリさせた。そんな表情をするともともとのかわいらしさがさらに引き立ち、とても魅力的。
――やっぱり、部屋のなかで彫刻をしているより、男の子たちに囲まれてチヤホヤされている方が似合う。
さくらがふと、そんなことを思うような表情だった。
森也はそんなつかさに向かって言った。
「あなたが参加を決めた理由です。なぜ、あなたは『おれたちの国』に参加することを決めたのです?」
その問いに対し、つかさは迷う必要をもたなかったらしい。間髪入れずに答えた。
「兄のためです」
「お兄さん?」
そう言ったのはさくらであって、森也は眉を潜めただけだった。
つかさはうなずいた。
「そうです。あたしには六歳はなれた兄がいました。子供の頃から手先が器用で、壊れ物とかがあるとすぐに自分で直していました。近所でも評判で、何かあるとすぐに呼ばれて直していたものです。そんな兄が中学のときに
兄は真面目で凝り性な人でしたから、すぐに各務彫刻の歴史について調べて、どんどんのめり込んでいきました。最初は見よう見まねで木の板を彫っていただけですが、高校に入るとすぐに近くの彫刻家さんのところに行って、見習いという形で雇ってもらったんです」
――なんか、うちの兄さんに似てる。
さくらはそう思った。
『真面目で凝り性』、『すぐに歴史を調べて』なんて言うところはとくにそっくりだ。自分が興味をもったことにはとことん没頭するところも。『すぐに彫刻家の所に行って』という行動力は、森也よりずいぶんありそうだけど。
つかさはつづけた。
「その人のところで雑用係をしながら各務彫刻について学び、高校を卒業する頃にはその彫刻家さんが驚くぐらいの作品を作れるようになっていました。あたしは、兄が彫刻しているところを見ているのが大好きでした。兄が彫刻しているときは真剣そのもので、本当にそれ以外のことは何も見えていないという感じでした。『魂を打ち込んでいる』って言う表現がピッタリくる姿だったんです。
あたしはその姿を見ているのが好きでした。真剣な表情も好きだったけどそれ以上に、彫刻をしている姿そのものが好きでした。兄の手が彫刻刀を動かすつど、何の変哲もない木の板に次々と文様が刻まれ、生き物のように姿をかえる。それがまるで魔法みたいで本当に驚きだったんです。
兄はよく言っていました。
『おれが各務彫刻を復活させる。すごい作品をどんどん作って日本中に、いや、世界中に各務彫刻の名を広めてやるんだ!』って。
まだ小さかったあたしには『世界中に』なんて言われてもピンときませんでしたけど、でも、全力で兄を応援していたんです。それが……」
それが、と、そう口にするつかさの表情が曇った。隠そうとしても隠しきれない悔しさと無念さかにじみ出た。
その表情ひとつで次に来る言葉がわかり、胸が痛くなる。
そんな表情だった。
「……高校を卒業して彫刻家としての一歩を踏み出したところで交通事故にあって、選らぬ人となってしまったんです」
ギュッ、と、つかさは両の拳を握りしめながら言った。魂の奥底から絞り出すような声だった。知らず知らず、さくらも釣られるようにして両の拳を握りしめていた。
――もし、あの頃、兄さんが本当に殺されていたら……。
そう思い、あまりの恐怖に頭を振ってその想像を追い出した。それは、さくらにとって考えたくもないことだった。
つかさは無念さをにじませたままつづけた。
「なんで、兄があんな死に方をしなければならなかったのか。あたしはどうしても納得いかなかったんです。許せなかったんです。あんなに夢に燃えていた人なのに……。だから、決めたんです。せめて、あたしが兄のかわりに各務彫刻を世界に広めようって。だから、この世界に入ったんです」
――この人もあたしと同じなんだ。
さくらはそう思った。
さくらも兄である森也がなぜ、子供時代にあんな目にあわされなければならなかったのか、そのことに納得できずに生きてきた。つかささんも同じ。でも、自分は生きている兄と出会い、兄弟となる時間を与えられた。つかささんはもう……。
そう思うと胸が締め付けられるように苦しくなるさくらだった。
つかさはいったん、言葉を切った。
キッと森也を睨み付けた。
そう。
睨み付ける。
そう表現するのがふさわしいほどに真剣な力強さに満ちた視線だった。
「だから、世界を相手に商売できるのはあたしにとって願ってもないチャンスなんです。お願いします。あたしにやらせてください!」
つかさはそう叫んで頭をさげた。
さくらは思わず、その両手をとって『よろしくお願いします!』と叫びたくなる衝動に駆られた。
それは、ごく自然な感情だったろう。二十歳前の若い女性が亡き兄の遺志を継ぎ、世界を相手に戦おうというのだ。誰だって応援したくなる。励ましたくなる。こんな健気な女性の願いを断る人間なんているわけがない。
さくらはそう思った。さくらでなくてもそう思っただろう。だが――。
「くだらないな」
それが、森也の答えだった。
「えっ?」
森也の言葉がよほど意外だったのだろう。つかさは戸惑った表情で顔をあげた。まさか、『くだらない』なんて言われるとは夢にも思っていなかったにちがいない。
その思いはさくらにもよくわかった。いったい、どこの世界に『亡き兄の遺志を継ごうという健気な女の子』に対して『くだらない』などと言い放つ人間がいると言うのか。それはもはや人間の行いではない。鬼畜の所業である。世間一般ではまちがいなくそう思われることだろう。しかし――。
森也は紛れもなくその鬼畜の所業をやってのけたのだ。
「亡き兄のため? そんなことが他人に何の関係がある? まさか、そう言えば世界が同情して自分の作品を買ってくれる。なんて思っているわけじゃあるまいな?」
「そ、それは……」
つかさは戸惑った表情のまま声をあげた。腹を立ててもよかっただろう。頭にきて森也を怒鳴り散らしても誰も責めなかったにちがいない。しかし、腹を立てるより何より、言われた言葉のあまりの意外さに戸惑う方が先だった。何を言われたのか理解できず、まともに反応できていない。
腹を立てていたのは、さくらだった。
いくら何でもそんな言い方はない。
そう思った。
「ちょっと、兄さん!」
小さく、叫んだ。
怒りを込めて睨み付けた。
しかし、森也は妹の怒りなど気が付かなかったのか、気が付いていてもあえて無視したのか、かわることのない調子で続けた。
「ベッド作りはビジネスだ。そして、ビシネストはどんなものであれ、他人に何かを提供することでしか成り立たない。問題なのは、自分は他人に対して何を提供するのか、何を提供できるのか。その一点。おれが聞きたかったのはその点だ。自分の境遇を語るような甘ちゃんに用はない」
森也はそう言って立ちあがった。
「帰るぞ、さくら。時間の無駄だった。よそを当たる」
「兄さん⁉」
さくらがさすがに叫んだ。非難する気持ちを隠そうともしていない。
だからと言って、少しでも気に懸ける森也ではない。ビジネスに関して甘さを見せるような人間ではなかった。
森也はかまわずにさっさと歩き去る。さくらはつかさのことを気にかけながらも他にどうしようもなかったので、森也に着いていった。
残されたつかさの頭のなかで森也の言葉がグルグルと渦巻いていた。
『自分は他人に対して何を提供できるか。問題のなのはその一点だ』
「兄さん、本当にいいの⁉」
「何がだ?」
「つかささんのことよ! 亡くなったお兄さんのためにあんなに一所懸命だったのに……」
「だから、言ったろう。そんな甘ちゃんに用はないと。おれが求めているのはその道のプロだ。プロはあくまでも自分の芸で金を稼ぐ。境遇に同情して買ってもらおうなんてプロの言うことじゃない」
「そ、それはそうかも知れないけど。でも、やっぱり、あんな言い方……」
さくらは頬をふくらませた。
店を出てバス停に向かうまでの間、ずっと言い合ってきていたのだ。森也の態度は一貫して無情なもので、取り付く島もないものだった。
森也が足をとめた。バス停に視線を向けていた。
さくらもつられて視線を追った。驚きの表情を浮かべた。そこには、これ以上ないほどの意外な光景があった。
青木つかさが立っていたのだ。
いつ先回りしたのか。さすが地元民だけあって近道も知っている、と言うことなのだろう。
つかさは森也に近づいた。
――引っぱたくつもり⁉
さくらがそう思ったぐらい、つかさの表情は決意に満ちたものだった。
もちろん、人を引っぱたくなんて悪いことに決まっている。でも――。
――ちょっと応援したいかも。
そう思ってしまうぐらい、森也の態度に腹を立てているさくらだった。
あいにくと、と、言うべきか、つかさは森也を引っぱたきに来たわけではなかった。
もちろん、彫刻に真剣に打ち込んでいる人間ならば、彫刻を作るための手で他人を引っぱたくなど、そんな真似が出来るはずもない。つかさは森也を引っぱたくかわりにその眼前に一枚の板を突きつけた。
ただの板ではない。透かし彫りのされた板、取り付けられる前の欄間だった。
つかさは決意に満ちた表情のまま言った。
「これが兄の残した作品です! これを見てどう思いますか⁉」
つかさは叫んだ。
さくらは反射的にその欄間に視線を注いだ。思わず呟いていた。
「……きれい」
ほとんど無意識のうちにそう呟いてしまうぐらい、その欄間の出来は見事なものだった。
木を彫って作られているとは信じられないぐらいの繊細な意匠。細部に至るまで一切、手を抜くことなく、丁寧に仕上げられた細工。一枚の板に彫り込まれたすべての文様が、まるで生き物ででもあるかのように生き生きと表現されている。
木彫りでここまで表現できるものなのか。
素人でさえそう思わされる出来だった。これがまだ彫刻家としての第一歩を踏み出したばかりの若者の手によるものだとはとても信じられない。まるで、研鑽を重ねた老大家の作品のよう。
こんな作品を若くして作れたと言うのなら――。
天才。
青木つかさの兄はまちがいなくそう言っていい人間だった。
コクン、と、さくらの言葉につかさはうなずいた。
「そうです。これが各務彫刻の力です。各務彫刻は見る人に『きれい』と思わせ、感動させることができる。各務彫刻をベッドに使えば人は毎朝、起きたときに各務彫刻を見て感動し、気持ちよく一日をはじめることが出来ます。それが、あたしの与えられるもの、あたしがお客に対して与えるものです」
さくらは森也を見た。
森也はしばしの間、無表情につかさを見つめていた。だが――。
その表情がふいに崩れた。
優しい、慈愛に満ちた、とさえ言っていいほどの微笑みを浮かべた。
そして、つかさに手を差し出した。
「世界中の誰もが自分の望む暮らしを送れるようにする。その目的のために、その道のプロがどうしても必要だ。ぜひとも、参加してもらいたい。きてくれるか?」
つかさの表情が喜びに輝いた。そして――。
つかさは森也の手を両手で握りしめたのだった。
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