八章 赤葉の顔役と男友達なアイツ

 「あかね家と言うのは、この辺りの建築業務を一手に引き受けている建築屋なんだが……」

 棚田を望む山道を並んで歩きながら森也しんやはさくらに説明していた。

 「代々、地域の顔役と言った家柄でな。いまも結構な力をもっている」

 「庄屋さんってこと?」

 「まあ、そんなところだ。この辺りの山林の多くは茜家のものだしな」

 「へえ。それじゃ、すごいお金持ちなんだ」

 「そうでもない。輸入材木に押されているのと、人手不足から手入れが行き届かなくて上質な木材が採れないことから、なかなか木が売れなくてな。むしろ、維持費と税金の方がかさんだらしい」

 「そうなんだ。大変なのね」

 「まあな。とは言え、地域の顔役であることにはかわりない。とくに、現在の当主とも言うべき出穂ずいほばあさんは顔も広くて、影響力も強い。ここに住むからには一度は挨拶しておかないとまずい相手だ」

 実はさくらは新学期からLEOレオの中等部に転入することが決まっている。もともとは高等部になってから入学し、それを期に森也の家に越してくる予定だったのだが、試しに確認してみたところ新学期からの転入OKとのこと。そこで『善は急げ』と言うことで中等部からの編入を決めた。すでに森也の家への引っ越しもすませている。これからは本格的に赤葉地区の住人として暮らしていくわけだ。そのためには地域の顔役に挨拶するのは不可欠、と言うわけだ。

 「とくにあのばあさんは礼儀や手順にはうるさいからな。この地域に住むことになったのに自分から挨拶に来ないとなると睨まれる。うまくやっていくためにはこっちから挨拶に行かないとまずい」

 「……もしかして、けっこう面倒な人?」

 さくらの問いに――。

 森也はいやそうに顔をしかめた。

 「それなりに、な」

 その森也の返答に少々、嫌な予感のするさくらであった。

△    ▽

 「いつまでゴロゴロしてんだい、このドラ息子!」

 茜家についたふたりを出迎えたのは、天も轟けとばかりに張りあげられた大声だった。それはまさに怒りの雷。さくらは、あまりの衝撃に思わず両手で耳をふさぎ、しゃがみ込んでしまいそうになった。森也の方も露骨に顔をしかめている。

 「……相変わらずだな、あのばあさん」

 その言葉からするとあの声の主が当の出穂ばあさんであるらしい。声を聞けば年寄り、それもかなりの年寄りの声だと言うことはわかるのだが、その声の張り、勢いのよさは下手な一〇代よりよほど若々しく力強いものだった。

 「あたしは薪売りに行ってくるからね! 掃除ぐらいしとくんだよっ!」

 その叫びと共に玄関が『ガラッ!』と開いた。開けた当人の怒りが乗り移ったかのような激しく、高い音だった。

 なかから現れたのはひとりの老人。小柄でやせっぽち。歳の頃は八〇は超えているだろう。どう見ても雷鳴のごとき大声を出せるようには見えない。それでも、背筋はピンと伸びているし、血色もいい。肌の色艶は無理なダイエットに励んで不健康に陥っている一〇代、二〇代の娘よりよほどくっきりしている。なにより、カッカカッカと燃えあがるような怒りに包まれているその姿が、生命力の発露と言うか、そんなものを感じさせて年齢を忘れさせる。

 「……出穂ばあさんだ」

 森也が少々うんざりした様子で言った。

 予想通りの『怖いおばあちゃん』像にさくらは身を引き締めた。

 出穂が森也たちに気が付いた。と言うより、森也に気付いた。見た感じ、さくらのことは意識に入っていないらしい。出穂ばあさんが森也に言った。

 「なんだ、婿どのじゃないか。何か用かい?」

 ――婿どの?

 思い掛けない呼び方にさくらは目をパチクリさせた。森也は苦虫を思い切り噛み潰した表情になった。

 「婿どのはやめてくれ。その話はおれも瀬奈もはっきり断ったろうが」

 「ふん。この出穂ばあさんを舐めるんじゃないよ。婿に迎えると決めたからには何がなんでも婿に来てもらうからね。ところで……」

 ジロリ、と、出穂ばあさんがさくらを見た。というより、睨み付けた。その視線の強さ、険しさに、さくらは思わずビクリッ! と身をすくませる。

 「誰だい、その娘は? 言っとくけど、浮気なんかしたら承知しないよ」

 「だから、おれと瀬奈はそんな関係じゃないし、なることもないと言ってるだろう」

 森也はそう前置きしてから説明した。

 「おれの妹のさくらだ。いま、中三なんだが、一身上の都合により、こっちの学校に転入が決まってな。おれの家に住むことになった。で、挨拶に来たというわけだ」

 「妹? あんた、妹なんていたのかい?」

 「話したことはないけどな。実はいたんだ」

 森也は言いながらさりげなく肘でさくらをつついた。さくらはその意味に気付いてあわてて頭をさげた。この手の相手に『礼儀知らず』と思われたらどんなことになるかは想像がつく。

 「さ、さくらと言います。今度からこちらで暮らすことになるました。よろしくお願いします」

 「ふん。まあ、礼儀はわきまえているようだね。移住者は歓迎さね。礼儀さえ守るならね。さて、あたしは薪売りがあるんでね。挨拶ならまた改めて出直しな」

 出穂ばあさんはそう言うとさっさと歩き去り、庭に止めてあるトラックに乗り込んだ。トラックの荷台には大量のペレットが積んである。

 「建築業の傍ら、木材の加工時に出るオガクズなんかをペレットに加工して、ペレットストーブの燃料として売っている」

 森也がそう説明した。

 「だいじょうぶなの? あの人もう八〇過ぎに見えるけど」

 高齢ドライバーの操作ミスによる交通事故のニュースはさくらもよく聞いている。八〇過ぎの老婆がトラック、それも、大量のペレットを積んだ大型トラックなどを運転するとなれば他人事ながら心配になる。

 森也は肩をすくめて見せた。

 「その点は周りも心配してるんだが、本人が『大丈夫!』と言い張っていてな。ああやって、毎日のようにペレットの配達に行っている。まあ、実際にいままで事故を起こしたことはないし、あの通り、まだまだ元気だからな」

 多分、運転にかけてはおれよりうまい。

 森也はそう付け加えた。

 出穂ばあさんはエンジンを一気に吹かすと豪快なヘヴィメタルを大音量で響かせ、一気に発進させる。運転席からは音楽に負けじと朗々たる声量で流れる出穂ばあさんの歌声が響いてくる。さくらはあまりの豪快さに、呆気にとられて走り去るトラックの後ろ姿を見送った。

 「……なに、あれ?」

 「ああいうばあさんなんだよ。好きな音楽はヘヴィメタ。好物は血の滴るレアステーキ。マジで人を食ってるんじゃないかって噂のあるばあさんだ」

 「……怖いおばあさんなのね」

 「でもまあ、気に入られたみたいだしな」

 「気に入られた⁉ あれで?」

 どう考えても睨まれたようにしか思えない。

 「気に入らなかったら声なんてかけないさ。ジロリと睨んで無視して終わり。そういうばあさんだ」

 「……それ、なんかわかる」

 再び音を立てて玄関が開いた。妙に弱々しいその音は、出穂ばあさんが出てきたのと同じ玄関とは思えないものだった。

 現れたのは五〇歳前後の男だった。その姿を見てさくらは途端に嫌悪感に顔をしかめた。赤ら顔で、だらしない格好で、服も下品に着崩している。昼間っから酒を飲んで酔っ払っているのが一目でわかる姿だったからだ。

 男は森也たちの姿に気が付いたはずだが気にするふうもなく歩き去った。フラフラした足取りでどうにも危なっかしい姿だが、さくらとしては注意する気にもなれない。森也が呟いた。

 「……あの親父も相変わらずだな」

 「誰?」

 「出穂ばあさんの息子だ。さ、行くぞ。瀬奈に会わないとな」

△    ▽

 森也に連れてこられた工務店は『神奈川の秘境』とまで言われる限界集落にあるとは思えないぐらい洒落た印象の、洗練された建物だった。

 もっとも、考えてみれば当たり前だろう。工務店の社屋がセンスの欠片もない古びた建物となれば、誰も自分の家を建ててもらいたいとは思わないだろう。客寄せのためにもセンスの優れた建物である必要があるわけだ。

 大きなガラス製の玄関からはなかの様子がよく見える。まだ二〇そこそこと見える若い女性が客らしい中年の男とにこやかに話しているのが見える。

 ――わあ、きれいな人。

 さくらはそう思った。顔の造形そのものもクッキリしているが、それ以上に元気いっぱいの少年のような溌剌さが顔立ちを際立たせている。

 「あれが、瀬奈せなだ。女の方だぞ、念のため」

 森也はさくらにそう言った。玄関を開けてなかに入った。さくらもつづく。それに気付いた瀬奈がチラリと視線を向け『ちょっと待ってて』と視線で知らせる。森也は心得た様子で部屋の片隅に移動する。さくらも森也に並んでおとなしく待つことにした。

 「では、以上ですね。いつもありがとうございます」

 「いやいや、こちらこそ。茜さんの仕事ぶりは丁寧で信用できますからね。安心して任せられます」

 「そう言っていただけると本当に励みになります。社員一同、これからも精一杯、務めさせていただきます」

 瀬奈は晴れやかな笑顔で頭をさげた。少年のような溌剌とした印象とは裏腹に女性らしく、たおやかで、丁寧な対応。何とも魅力的な姿であり、さくらは一目で好きになった。

 話はすでに終わったらしく男性客は店を辞した。瀬奈は外まで見送りに出る。去って行く姿をしばらく見送ったあと、店のなかに戻った。森也を見て笑った。

 「よう、森也。よく来たな」

 その言い方がサバサバと言うより豪快と言った方がいいぐらい男っぽいものだったのでさくらは目をパチクリさせた。先ほどまでの男性客相手の女性らしい丁寧な態度とはまるでちがう。瀬奈はそんなさくらを見てニヤリと笑った。その笑い方が『少年っぽい』と言うよりは男子そのもの。

 「何だなんだ。やけに可愛い子を連れてるじゃないか。ひょっとして彼女ちゃんか? まだ中学生ぐらいなんじゃないか? こんな年ごろの女の子に手を出すなんて犯罪だぞ」

 そう冗談めかして言いながら森也の首に手をかけて、グイッと引っ張る。その仕種が男友達そのもの。先ほどまでの男性客相手の姿とのギャップにさくらは目をパチクリさせる。

 森也は女性の腕を外しながら言った。

 「妹のさくらだ」

 「妹? お前、妹なんかいたのか?」と、瀬奈は驚いたように目を見開いた。

 その台詞にさくらは内心、頬をふくらませる。

 またしてもこの台詞。森也の知り合いは必ずこう言う。いくら、五年間会っていなかったと言っても――その時点で充分、腹立たしいのだけど――知り合いの誰にもあたしのことを話してないってどういうことよ⁉

 兄に無視されていたようで腹の立つさくらであった。

 「へえ。ここからここに住むのか」

 瀬奈は森也から説明を受けるとキラキラした瞳をさくらに向けた。向ける笑顔が妙齢の女性と言うより、一〇代の美少年という感じ。後輩の女の子にさぞモテるだろうと思わせた。

 「さくら。これが茜瀬奈。出穂ばあさんの孫で、おれの大工仕事の師匠。そして、茜工務店の現社長だ」

 「『これ』はないだろ、『これ』は。師匠に向かって」と、瀬奈は頬をふくらます。その表情がやんちゃな少年めいていてやっぱり可愛らしい。

 さくらはそんな瀬奈を驚きを込めてマジマジと見つめる。

 ――出穂おばあさんの孫って言うことは、あの男の人の娘なのよね? とても、そうは思えないけど。

 下品な赤ら顔の酔っぱらいの姿を思い出して、さくらはそう思った。とてもではないけどこの溌剌とした美少年のような女性と、あの下品な酔っ払いに血のつながりがあるとは思えない。

 「母親似でな」

 内心の思いを察したのだろう。森也がそっとささやいた。

 ――ああ、なるほど。

 と、心の底から納得するさくらであった。

 瀬奈はズカズカという感じでさくらに近づいた。大股で歩くその姿がやっぱり男っぽい。さくらに手を差し出した。

 「はじめまして。オレは茜瀬奈。移住者はいつだって大歓迎だよ。まして、森也の妹ならオレの妹も同じ。なんたって、オレは森也の兄貴分だからな。よろしくな」

 ――オレ? 兄貴分?

 戸惑うさくらに森也が説明した。

 「おれの大工仕事の師匠だからな。勝手に兄貴分を名乗っている」

 「師匠が偉いのは当然だろ」

 ふん、とばかりに胸を張る瀬奈だった。

 森也が再びさくらを肘でつついた。瀬奈が右手を差し出しっぱなしなのにようやく気が付く。あわてて手を握り、握手をした。瀬奈は嬉しさいっぱいに破顔すると握りしめた手をブンブン上下に振るった。さくらが思わず呆気にとられるほどの勢いだった。

 「ほんと、うれしいよ。若くてかわいい女の子が来てくれるなんてな。これから、よろしくな、妹ちゃん」

 「あ、は、はい。こちらこそ……」

 瀬奈の豪快な態度に気圧されつつさくらはようやくそれだけを言った。

 「でっ? 今日はなんだ? 妹ちゃんの自慢に来たのか?」

 「紹介しにきたんだ。ここに住む以上、お前の家に挨拶しておかないわけにはいかないからな」

 森也はそう言ってからつづけた。

 「後は仕事の話だ」

 「仕事?」

 森也は事情を説明した。瀬奈の溌剌とした表情がますます輝く。

 「へえ、『おれたちの国』を作る、か。さすが、オレの弟分。面白いことを考えるな。でっ、オレはそのカフェとやらを作ればいいんだな?」

 「それと、おれの新しい家もな」

 「ああ、そうだったな。大家に家を追い出されるんだっけか。まったく、水臭いやつだな。それならそれですぐにオレの家に来ればいいものを。お前なら、おばあちゃんも、お袋も大歓迎するぞ」

 言われて森也は思い切り顔をしかめた。

 「そんなわけにいくか。お前の家に住んだりしたら、あのばあさんに無理やり婿入りさせられるだろうが」

 そりゃそうだ、と、瀬奈は豪快に笑った。

 森也はつづけた。

 「それと、赤岩たちをはじめ、何人かのクリエイターがここに越してくる予定だ。そのためのアパートもな。かなりの大仕事になる。この店の人数からするとかなりキツい仕事になるとは思うが……」

 「何だなんだ、そんなこと気にするな」

 バンバンと威勢良く森也の肩などを叩いてみせる瀬奈だった。

 「オレさまに任せておけって。それこそ腕の見せ所。まして、移住者のためのアパード作りだって言うなら願ってもない話だ。きっちり仕上げてやるよ」

 瀬奈はそう言ってまたしても豪快に笑いあげた。

 とりあえずのおおざっぱな打ち合わせを終えて帰る途中、瀬名がさくらに近づき、ささやいた。

 「もう少ししたら仕事が終わるから、あとでひとりできてくれる? 話しておきたいことがあるの」

 その口調が森也に対するものとはちがう、女性らしいものだったので、さくらは戸惑いながらもうなずいた。

 帰り道でさくらが溜め息をついた。

 「はあ。なんか色々とすごい人だったわね」

 「まあな。あいつは昔からあんな感じだ。女と言うより男友達そのものだな。中学高校の頃ならいざ知らず、二十歳になってもあの調子なのはどうかと思うがな」

 「二十歳? あの人、あの工務店の社長なんでしょ? それなのに、まだ二〇歳なの?」

 「ああ」

 「そんな若くて社長やってるんだ」

 すごい人なのね、と、さくらは付け加えた。けれど、森也は少々、深刻な表情になった。

 「すごいと言うより、やむを得ず、だけどな」

 「どういうこと?」

 「瀬奈の親父、つまり、出穂ばあさんの息子、家の方で見たあの親父だか……」

 「……ああ、あの人」

 昼間っから酒を飲んでブラブラしているだらしない姿を思い出し、さくらは嫌悪に顔をしかめた。

 「あの親父は元々ここを出て都会に行きたかったらしい。ところが、『長男なんだから家を継げ!』と親父、つまり、瀬奈のじいさんである出穂ばあさんの夫君から強制的に残されてな。ずいぶん、不満を囲っていたらしい。弟の方は望み通り都会に出て行ったもんでなおさら腹が立ったようだ。それでも、じいさんが生きている間はそれなりに仕事もしていたんだが、二年前にじいさんが死ぬと、それからはもうあの調子でな。仕事なんかしやしない。で、瀬奈が急遽、社長になったんだ。当時、通っていた林業高校を中退してな」

 「中退して?」

 「どうせ、三年の後半だから大してちがいはないと言ってな。それでも、高校生がいきなり社長になったんだ。色々、大変だったのはまちがいない。とくに出穂ばあさんは『自分の息子のせいで孫につらい思いをさせることになった』ってひどく気に病んでな。『幸せにしてやらなきゃならない』って躍起になってる。おれを瀬奈の婿にしようとしているのも、毎日のようにトラックを乗り回してペレットの配達をしているのもそのためだ」

 「そういう事情なんだ」

 だとするとあのおっかない態度も無理して気を張り詰めているせいなのかも知れない。もちろん、単なる生まれ付きの性格、という可能性もあるわけだけど。

 「ま、それはともかく、腕の方は確かだ。何しろ、立てるようになるより早く、じいさんから大工仕事の手ほどきを受けていたって言うやつだからな。仕事に対する情熱も充分。仕事仲間としては申し分ない相手だ」

 その森也の言葉からは確かな信頼が伝わってきた。

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