一四章 朝の目覚めに彫刻を

 森也しんやたちは瀬奈せなの事務所に移り、一息入れながらの打ち合わせに入っていた。

 森也はパンチの効いたセイロン葉とアッサム葉のブレンドティー、瀬奈は苦み走ったブラックコーヒー、さくらは森也にあわせて同じ紅茶を飲んでいる。

 三つのカップが放つふたつの芳香。その深い香りに包まれながら森也と瀬奈の打ち合わせは続いている。

 「お前の家の件はあれでいいとして……肝心のカフェの方はどうなってるんだ? 来春オープンなんだろう? 設計だけでも早くやらないと間に合わないぞ」

 「カフェはカフェでやりたいことがいろいろあるんだが……不特定多数が相手なだけにさすがに兼ね合いが難しくてな。まあ、何パターンか用意してあるから近々、赤岩たちも交えて相談するつもりだ。それより、そっちのスケジュールはだいじょうぶなのか? おれの家にカフェ、赤岩たち移住者のためのアパート、それに、観光客相手の高級旅館も用意しなきゃならない。一般の依頼だってあるのに間に合うか?」

 ――うわっ、とんでもない過密スケジュール。

 自分が関わるわけでもないのに思わず寒気を感じるさくらであった。

 瀬奈はちょっと顔をしかめて見せた。

 「そのためにも早く話を進めてほしいんだが……高級旅館なんて必要なのか? まだ客が来るかどうかもわからないのに」

 瀬奈の言葉にさくらも心にうなずいた。客が来るかどうかもわからないのに旅館だけ建てるなんて先走りすぎに思う。まして、高級旅館なんて。

 ――そんなものを建ててお客が来なかったら大赤字なのに。お客が来るようになってから建てた方がいいんじゃ……。

 しかし、森也はきっぱりと言いきった。

 「宿泊施設がなければ誰も来るはずがないだろう」

 「それはそうだけど……『高級旅館』である必要があるのかって事だよ。もっと普通の、作りやすい旅館じゃだめなのか?」

 「高級な客は高級な宿にしか泊まらんよ」

 「一般の観光客だっていいと思うんだが……」

 瀬奈の言葉にさくらもコクコクとうなずいた。

 「では、問うが、観光客を呼ぶのはなんのためだ?」

 「金のためだ、もちろん」

 瀬奈は迷いなく断言した。若くして十何人という従業員の給料を支払う身。稼ぐことの重要性は骨身に染みて知っている。格好を付けるようなことはしない。

 森也はうなずいた。

 「正解。では、一万円しか使わない客を百人呼ぶのと、百万円使ってくれる客をひとり招くのとではどちらが効率がいい?」

 「そりゃ、百万円使ってくれる客の方が効率がいいに決まってるけど……」

 「そう言うことだ。特に、ここみたいに規模も小さくて人口も少ない地域では大勢の観光客に来られても対応できない。たっぷりと金を使ってくれる客を少数呼び込み、しっかりもてなす。そうしないと、田舎での観光業なんて成り立たない」

 ――なるほど、そう言うものなのね。

 森也の言葉にさくらは心にうなずいた。まだ中学生のさくらにとってはビジネスの話は未知の領域。聞いているだけで刺激的だ。

 瀬奈もうなずいた。

 「なるほど。しかし、こんな不便なところに金持ちの客なんてやってくるか? 交通だってかなり不便なのに」

 「不便だからこそ、だ。不便な場所にわざわざ行こうなんて思うのは金も時間もたっぷりあって、それを使う気が充分にある高等遊民だ。金と時間のない人間は便利で手軽に行ける場所に向かう。不便な場所こそ金持ち相手の観光地として特化すべきなんだ。そのための高級旅館だ。観光客を迎えると言うよりは金持ち相手に使用人付きの貸別荘を営む、という感じだな。むしろ『季節毎の短期移民を受け入れる』という感覚でいた方が正しい」

 「なるほど」

 瀬奈は感心してうなずいた。さくらも心のなかで同じことを思った。森也の言うことはたしかにいちいち納得できる。

 「それより、ベッド作りの方はどうなっている?」

 森也の問いに瀬奈は答えた。

 「ああ。そっちは担当を決めて調査させている。すぐに試作品作りに取りかかれる。しかし……」

 ここでまたも瀬奈の表情が曇った。

 「こんな高級ベッドを作って本当に売れるのか? まだ、販売ルートだって出来ていないのに」

 「そのためにも世界の富裕層を招く必要があるんだ。まずは高級旅館を用意して世界の富裕層を招く。その人間たちに日本特産のスギのベッドの良さを体験してもらい、世界に広めてもらう。そう言う流れだ」

 「それはわかるけど……正直、うちにはそんな高級旅館を建てるほどの余裕はないぞ。情けないけどな」

 お前の家はタダで作らされるし、と、瀬奈はそのことを付け加えるのを忘れなかった。

 並の神経の持ち主ならこの一言で恥じ入らずにはいられなかっただろう。しかし、森也は厚かましいことに、畏れ入った様子ひとつなく答えた。

 「そのための赤岩あかいわだ。あいつの財力をもってすれば世界トップクラスのホテルだって作れる。なんなら、銀行からだって何十億という単位で融資を受けられるしな」

 「何十億……売れっ子マンガ家ってすごいな」

 思わず、陶然として呟く瀬奈だった。さくらも危うくトリップしそうになった。『何十億』なんて、ごく普通の中学生には夢にも感じられない大金だ。

 森也はつづけた。

 「ともかく、お前……と言うよりも、茜工務店にはしっかり稼いでもらわないといけない。海外では不動産業者が町のために投資するのはよくあることだ。町の価値を高め、住人を増やし、自分の稼ぎを増やすためにな。茜工務店にも同じ役割を担ってもらわなきゃならない。ベッド作りをはじめとしてしっかり稼ぎ、その稼ぎを地域に還元して価値を高め、人を集める。その人間たちを活かしてさらに稼ぎ、さらに地域還元し、さらに人を集め……その循環を作りあげる。そうすれば『おれたちの国』も発展していく」

 その言葉に――。

 瀬奈は真剣そのものの表情でうなずいた。

 「任せろ。必ずやってみせる。そうなれば、この赤葉の地だって発展するんだからな」

 そして、赤葉を捨てて出て行った人間が後悔するような場所になる。

 瀬奈は渇望を込めてそう呟いた。

 ――瀬奈さん、そんなに地元を発展させたいんだ。

 さくらは心に思った。横浜育ちの桜に瀬奈のこの気持ちはわからない。それでも、ここまで必死に思えることがある。そのことが何だかうらやましかった

 ――あたしにはそんなに必死になれることなんてないし。

 昔から優等生だった。勉強も部活も真面目にこなし、中学の担任からは親相手のリップサービス付きとは言え『東大も狙える』とまで言われた。でも、それは全部、親に怒られるのが怖くて優等生を演じてきただけのこと。自分でやりたくてやってきたことじゃない……。

 森也もさすがにテレパスではないので妹の内心の声は聞こえなかった。瀬奈の言葉に対して強くうなずいた。

 「その意気だ。と言うわけでおれは明日、富山に行ってくる」

 「富山?」

 いきなり飛び出した地名に瀬奈は目をパチクリさせた。なんで、この状況で『富山』などと言う県名が出てくるのかわからない。

 森也はかまわずつづけた。

 「そう。富山だ。さくら、お前も付き合え」

 「あたしも⁉」

 さくらはさすがに驚いた。

 そんな話は聞いていない。『あたしの知らない兄さんを見ていこう。ついていこう』。そう決めているとはいえ、いきなり言われてはさすがに戸惑う。

 「なんで富山なんだ?」と、瀬奈が当たり前の質問をした。

 「ベッド産業へのてこ入れだ。スギの黒芯で作られた寝心地のいいベッド。それだけではやはり、インパクトに欠けると思ってな。もうひとつ、要素を入れることにした」

 「要素?」

 「欄間らんまだ」

 森也はそう答えた。

 「らんま?」

 聞き覚えのない言葉にさくらが首をひねった。

 瀬奈が説明してくれた。

 「いまどきの子は知らないわよね。日本家屋で天上と戸の上の間にある空間のことよ。透かし彫りの飾り板なんかを取り付けるから、その飾り板そのものも『欄間』と呼ばれるわね。飾り板って見たことない?」

 「あ、そう言えば何か見たことがあるかも……」

 テレビだったか、修学旅行だったか、古い日本の家か神社などでそんなものを見た覚えがある。

 「で、その欄間がどうした?」

 瀬奈が森也に尋ねた。森也相手だとやはり『男友達』な声と口調になる瀬奈であった。

 「欄間は日本の伝統工芸として有名だ。その欄間をベッドに取り付けようと思ってな」

 「ベッドに?」

 「そうだ。足元の方にな。そうすれば毎朝、目覚めたときに極上の工芸品に浸れる。想像してみろ。金持ちの朝の目覚め。朝日が差し込み、鳥たちのさえずりが聞こえる。そこへ、メイドがモーニングティーを運んでやってくる。ベッドの上で身を起こし、目覚めの一杯を受け取る。かぐわしい芳香に包まれながら濃い紅色の液体を口に含む。視線の先を見つめれば、そこには朝日を受けて輝く透かし彫り。匠の技によって作られた極上の工芸が輝く……」

 「……おお!」と、瀬奈は声をあげ、さくらも思わず感心してしまった。

 「それは……メチャクチャ優雅で良い雰囲気だな」

 「だろう? だから、富山だ。富山県の各務かがみ地方は古くから欄間作りで有名だからな」

 「ああ、各務かがみ彫刻ちょうこくというやつか。オレも聞いたことある」

 「そう。それだ。いまでは欄間なんて作る方がめずらしいから存続が危ぶまれているけどな。だからこそ、生き残るために新しい挑戦が必要だし、そのための誘いに乗る動機もある。だから、富山に直接、乗り込んで地元の彫り師を誘ってこようというわけだ」

 「なるほど。しかし、お前、引きこもりのマンガ家のくせにそんなツテがあるのか?」

 「おれにツテなんてあるわけないだろう。編集部の方から話を通してもらった」

 「おお、なるほど。マンガ家って言うのは便利なものだな」

 「この仕事に就けたことを感謝してるよ」

 森也はそう言うと残りの紅茶を飲み干して立ちあがった。

 「と言うわけで、おれは明日、さくらと一緒に富山に行く。まあ、遅くても二、三日で帰るとは思うが、仕事の方は進めておいてくれ。デスマーチ並のきついスケジュールになってすまないが、なんとか頼む」

 言われて瀬奈はボーイッシュな美貌に溌剌とした笑みを浮かべて見せた。

 「すまないと思うなら体で返せ。バスケの1on1、オレの気が済むまで帰ったら付き合え」

 「了解」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る