亡き兄に捧げる夢
一三章 部屋のない家、作っちゃいました
「なるほど。ここがお前の新しい土地か」
「そう言うことだ。持ち主のちがう、一〇アールにも満たないような細かい土地がモザイク状に入り組んだ場所だったからな。ひとまとめにするために何人もの地主と話さなくてはいけなかった。なかなか大変だったが、まあ、何とか話も付いて晴れておれの土地となった」
「お前は地元のみんなから信頼されているからな」
そう言って、まるで自分が褒められたかのように胸を張って得意気になって見せたのは
山梨との国境沿いにほど近い山間の土地。かつて、戦国の世においては武田と北条の激戦が幾度となく繰り広げられた地。武田の姫にまつわる悲しい伝説も語り継がれている。そして、神奈川の水源としてなくてはならない土地。
その山のなかの片隅に
「知っての通り、いま住んでいる家にいられるのもあと三ヶ月足らずだからな。その間に新しい家を建ててもらわなくてはならない。他の仕事の兼ね合いもあるし、なかなか厳しいスケジュールだと思うがやれそうか?」
「任せろ!」と、瀬奈は『ドン!』とばかりに自分の胸を叩いて宣言した。
「兄貴分として弟を路頭に迷わせるわけには行かないからな。他の仕事を調整してでも間に合わせてやるさ」
そう言って高らかに笑ってみせる。
瀬奈は今年、二〇歳。溌剌とした印象のかなりの美女なのだが口調といい、表情といい、いかにも『男の子』という印象。特に、自分の胸を『ドン!』と叩いて請け合うところなどは『漢!』という感じがしてなんとも頼もしい。しかし、さくらは知っている。普段の瀬奈はずっとたおやかで女性らしい性格であり、森也の前でだけ『男友達』になると言うことを。
「それで、どんな家を建てればいいんだ?」
瀬奈は尋ねた。
その表情が本当に『冒険を前にした男の子』と言った感じにキラキラ輝いている。
『自称・藍条森也の兄貴分』として森也の凝り性振りはよく知っている。その森也が自らの家を建てると言うのだ。ありふれた、常識の範囲内に納まる家であろうはずはない。どんな変わった家を持ちだしてくることか、建築屋としてワクワクが止まらないのだ。
瀬奈の問いに森也は紙の束を手渡した。
「これがデザインだ」
「へえ。スーパー楕円形の家か。さすが、森也。いきなり、変わった形にしてきたな」
「スーパー楕円?」
聞き慣れない言葉にさくらが目をパチクリさせた。建築家として図形に関しては専門家の瀬奈が説明してくれた。
「四角形と楕円形の中間みたいな形のことよ。四角形や楕円形に比べて、より有効に同一面積を利用できるとされているわ」
森也以外に対しては妙齢の女性らしい柔らかい話し方になる瀬奈であった。
瀬奈の説明は専門家としては充分にかみ砕いたものではあったが所詮、素人のさくらにはピンとこなかった。それでも、とにかく、説明してもらったので『そうなんだ』と納得して見せた。どのみち、さくらが家の設計や建築に携わるわけではないのだからよくわかっていなくても問題はない。
「しかし、なんでわざわざスーパー楕円の家にしたんだ?」
森也が意味もなくこんな作りの家にするはずがない。この男のやることには必ず何かの意味がある。森也の自称・兄貴分として瀬奈はそのことをよく知っていた。
森也は説明した。
「掃除の都合だ」
「掃除の?」と、瀬奈は目をパチクリさせる。
「そうだ。四角い家には当然、隅が出来る。隅はどうしても掃除がしずらい。埃が溜まる。埃が溜まればそれだけでも健康に悪いし、虫もわく。ロボット掃除機にしても隅は掃除しにくい。ロボット掃除機ひとつで家中を掃除できるように隅をなくす。しかし、円形では狭くなりすぎる。そこで、隅がなく、面積を有効利用できるスーパー楕円の出番というわけだ」
「なるほどな」と、瀬奈は納得してうなずいた。
「それに、家のなかの隙間もなくす。日本の家は隙間が多すぎる。戸袋や屋根裏なんていらないだろう。そんなものがあるからその隙間にゴミがつまり、水が溜まる。それが家を傷める要因になる。虫もわくし、ひどいときには野性動物が住み着いたりする」
森也の言葉にさくらがうなずいた。『屋根裏に野性動物が住み着いた』という話はニュースで何度か聞いたことがある。
「そこで、それらの隙間はすべてなくす。窓を強化ガラスにすれば雨戸など必要ない。目隠しには内側にカーテンを付ければ充分だ。屋根も平屋根にして屋根裏部分をなくす。平屋根にしてフェンスで囲めば屋根を空き地として有効利用できるしな。それと、家と外の段差もなくす」
「段差も?」
「そうだ。人間、生きていれば歳もとるし、怪我や病気にもなる。長年住んでいればいずれは車椅子の世話になるときがくる。そんなとき、家と外に段差があったり、狭い玄関からしか入れなかったら不便この上ない。広い窓から直接、室内に入れるように外との段差をなくし、フラットな作りにする。もし、湿気対策などでフラットにするのが無理だと言うなら家全体をなだらかなスロープで覆って車椅子でも簡単に出入りできるようにする」
「車椅子を使うようになったときのことまで考えるのか」
「日本の家は歳をとったときのことを考えなさすぎなんだ。家は本来、一〇〇年、二〇〇年と代々、住み続ける場所。となれば当然、歳をとり、車椅子の世話になるときまで住み続けることになる。そのときに備えてデザインするのは当然のことだ」
「なるほど。納得した」
瀬奈は力強くうなずいた。
少子超高齢化が進む日本。工務店の社長として、森也の言葉は肝に命じておくべきものだった。
「それで、この土地のどこに建てるんだ?」
「田畑の北側。南向きの窓から田畑がよく見えるようにな」
「なるほど。目の前に田畑が広がる光景は気持ちいいに決まっているからな」
そう納得してうなずく瀬奈であった。
「しかし、面白い家だな。家の周りを水路が取り巻き、電気・ガスはすべて自家製か」
「せっかくの自分の家だからな。やりたいことは全部やることにした」
森也はそう前置きしてからつづけた。
「おれはいまの日本のインフラには危機感を抱いていてな。水道も、下水も、老朽化が進んでいるのに全面的に直すだけの費用も人手もない。このままではそう遠くない将来、インフラというインフラが崩壊し、文明社会とは言えない有り様になる。その事態を乗り切るためには下水網のような大規模インフラに頼るのではなく、その場その場で完結した小規模システムを作る必要がある。
そこで、この家だ。生活排水はすべて土地内で処理するために自然の浄化システムを取り入れる。家の周りを巡る水路はそのためのものだ。そこに生活排水を流して魚や水草に余分な栄養やら何やらを取り込んでもらうことで浄化する。最終的な浄水場を兼ねた池では浮き草を育ててバイオガスの原料とする。太陽電池の屋根もかけて自家発電し、水素を作って燃料電池で発電。燃料電池から出る水を生活用水に使う。そうすることで外部のシステムに一切、頼ることなく水・食料・電気・ガス・熱のすべてを賄える自己完結型の家かできあがる」
「なるほど。エコ意識の強いお前らしい家だな」
「まあ、エコ意識と言うよりは趣味の問題だがな」
そう言い換える森也であった。
「それに、内部の構造もかわっている。一階のど真ん中に
「囲炉裏ってなんか好きなんだよな。昔話なんかで見てきた影響かも知れないな。もちろん、ただの囲炉裏ではなく、掘りごたつとしても使える新式の囲炉裏だけどな」
「囲炉裏に掘りごたつか。いいな。そんなものが家のど真ん中にあったら家族みんなで集まって楽しい毎日が送れそうだ」
『囲炉裏』とか『掘りごたつ』とか、聞き慣れない言葉に興味をひかれ、さくらも瀬奈の背中越しにそっと図面をのぞき見た。すぐに奇妙なことに気が付いた。一階部分は一続きのフラットな空間で、個室は仕切りさえない。家全体がひとつの大きな部屋となっているのだ。
「これ……個室がない」
さくらは思わずそう言っていた。言われて瀬奈もはじめて気付いたようだった。
「ああ、そう言えばそうだな。一階は一続きのフラットな空間か。とすると、個室は二階にあるわけか?」
瀬奈はそう言いながら図面をめくった。二階部分を確かめる。すると、二階も一階同様だだっ広いフラットな空間が存在するだけだった。そのどこにも『個室』と呼べるものはない。
瀬奈は呆れたように声をあげた。
「おいおい、部屋がどこにもないじゃないか。まさか、忘れたわけじゃないだろう、お前ともあろうものが」
「もちろんだ。部屋はわざと作らなかった」
瀬奈は顔をしかめた。
「それはまずいだろう。プライバシーはどうするんだ? お前はまだいいとして、妹の方はそうはいかないぞ」
さくらは中学三年生。いくら兄妹とは言え、二〇代の男と同じ部屋のなかで過ごせる年齢ではない。まして、五年間、一度も会っていなかったとなれば。
森也の答えは明快だった。
「部屋はあとから入れる」
「あとから入れる?」
部屋をあとから入れる?
言葉の意味がわからず、さくらと瀬奈はふたりそろって目をパチクリさせた。
森也は説明した。
「簡単に言うと家のなかにテントを張って生活するイメージだ。もちろん、テントよりも丈夫なユニットだけどな。出し入れできるユニットを個室として使う」
「ユニットを個室として使う? なんでそんな面倒なことをするんだ?」
最初から普通に部屋を作ればいいじゃないか。
ごく自然にそう思う瀬奈であった。
森也の答えはまたしても明快だった。
「家族のサイズ変更に容易に対応できるようにするためだ」
「家族のサイズ変更?」
「家族のサイズは同じじゃない。ひとり暮らしのとき、夫婦ふたりのとき、子供が小さいとき、子供が成長したとき、子供が独立したあと夫婦ふたりの暮らしに戻ったとき、歳老いた親を引き取ったとき……その時々に応じて適切な家の作りはちがう。個室や仕切りを作ってしまうと変化に対応するために大規模なリフォームが必要になる。その点、出し入れできるユニット型の個室ならずっと簡単だ。
夫婦ふたりから子供が小さい時期にかけては、広々としたフラットな空間を用意して、遊ばせてやる。子供がある程度、大きくなってプライバシーが重視するようになったらユニットを購入して個室として使わせる。子供が独立して、夫婦ふたりの生活に戻ったときは、子供用ユニットを片付けて広々とした空間で開放的な暮らしを満喫できる。空いた空間を利用して大型のユニットを置き、民泊をはじめるのもいいだろう。『家を店に改造して第二の人生を謳歌したい』という場合でも、ユニット型の個室なら編成は自由自在だ。歳をとった親を引き取ることになったときも手軽に調整できる」
「なるほどな。あくまでも『一生、住み続ける場所』としてデザインしているわけだ」
「それが当たり前なんだ。『一生、住み続ける場所』こそが家なんだからな。三〇年や四〇年で限界を迎えて建て直さなくてはいけない家なんて家とは言わない。単なる映画のセットだ」
「そのとおり!」
瀬奈は全力で同意した。
建築家の端くれとして、日本家屋の耐久性の低さには常々、不満を抱えていた瀬奈である。
森也はつづけた。
「ただ、その分、作りは面倒になる。スーパー楕円にするだけでも四角い家よりは設計も建築も面倒になる。それができるか?」
言われて瀬奈はふんぞり返って見せた。
「おい、森也。『出来るか?』ってのは疑う台詞だぞ。我が茜工務店にできない建築物なんてない! どんな依頼でも見事にこなしてみせるさ」
力強くそう断言したあと、ふいに不安げな表情になった。それは、自分のためのものではなく、森也の懐具合を気にしてのものだった。
「……だけど、お前の方こそだいじょうぶなのか? これだけ色々やるとなると価格も相当なものになるぞ。予算はいくらなんだ?」
「ゼロ」
「はっ?」
「だから、予算はゼロ。タダでやってくれ」
「おい、無茶言うな! いくら、お前の頼みだって、タダで出来るわけがないだろ」
こっちだって商売なんだぞ!
そう気色ばむ瀬奈に向かって森也は『青』っぽく指など振って見せた。
「おれは藍条森也だぞ。そんなことは承知の上だ。プロを相手にタダで仕事をするよう依頼するからには相応の代価を用意してある」
「代価?」
「プログを開設してその家での暮らしを発信していく。コンセプトは『部屋のない家、作っちゃいました』だ。つまりはこの家をモデルハウスとして活用し、実際に暮らしながら、その住み心地や魅力を発信していくわけだ。その宣伝費を考えれば充分、タダで建てる価値はあるだろう?」
「な、なるほど。それならまあ、たしかに。しかし……」と、瀬奈は疑わしそうに言った。
「……言っちゃ悪いが、お前はマンガ家としては売れてないだろう? そのお前のブログにそんなに読者が集まるか?」
「ブログをやるのはおれじゃない。こいつだ」と、森也はさくらを指さした。
「あたし⁉」
さくらは驚きのあまり飛びあがるところだった。そんなこと、今のいままで聞いたこともない。森也はかまわずつづけた。
「現役JKのブログとなればそれだけで話題性がある。それも、進学校として地域でも有名なLEOの生徒となればな。おれがやるよりずっと多くの集客が見込める。茜工務店の宣伝としては充分な価値がある。だろう?」
「それはそうかも知れないが……妹の方はどうなんだ? そんなこと、承知しているのか?」
承知しているどころか、聞いてもいなかったみたいじゃないか。
瀬奈はそう言ってさくらを見た。さくらは最初こそ驚きはしたが心は決まっていた。
森也の仲間たちはそれぞれに秀でたものをもつエキスパート。そのなかで自分だけが世間知らずの子供に過ぎない。役に立てない。そのことに引け目を感じていた。その自分が森也の役に立てるとなれば答えは決まっている。
さくらは力強くうなずきながら迷いのない口調で答えた。
「やる」
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