一五章 各務・彫刻通り
それは壮観な光景だった。
石畳で舗装された長く、まっすぐな道。その両脇にズラリと隙間なく彫刻店が並んでいるのだ。それこそ、尽きることなく何処までもつづいているかのような光景だった。
「……すごい」
さくらが思わず圧倒されてしまい、そう呟くのも納得の光景だった。まるで、マンガでよくある『一歩、踏み込んだら異世界だった』を現実に体験してしまったかのような気分だった。
ここへ来るまでのルート選択、切符の手配、それらはすべてさくらがやった。正確には森也に押しつけられた。『おれは出無精だからそういうのは苦手でな』という理由で。
さくらにしてもまだ中学生と言うことで一人旅などしたことはない。ルート選択や切符の手配が得意というわけではないのだ。それでも、とにかく、任されたので手配は行った。手配と言ってもどうせ、スマホで調べて、スマホで連絡して、スマホで予約するだけだし、特に面倒でもなかった。
――いくら出不精だって、これぐらいできると思うけど。
内心、そう思わないでもなかったけど、口に出しては何も言わずに任されたことを行った。典型的な優等生として過ごしてきたので、他人の指示に従うことにはむしろ慣れている。
そうしてやってきたのがこの各務の地。
そのなかでも有名な職人通りと言うわけだ。そこは、さくらの想像を遙かに超える場所だった。
「すごい。彫刻屋さんがこんなに並んでるなんて。職人さんて、まだこんなにいるんだ」
日本の伝統工芸は衰退し、絶滅の危機に瀕している。
そんな話ぐらいは聞いていたので、職人自体もとっくにいなくなっているものだと思っていた。
――こんなにお店があるなら心配しなくてもだいじょうぶなんじゃない?
と、実情を知らない外部の人間特有のお気楽さでそう思うさくらだった。
「元々、この各務の地は門前町として発展した場所でな。門前町ってわかるか?」
「お寺の前にできた町でしょう?」
その程度のことは歴史の授業で習って知っている。
「そう。でっ、門前町と言うことで寺に納める彫り物の需要が多くてな」
「ああ。そう言えば、お寺とかって彫り物の飾りが多いものね」
修学旅行で京都に行った際、あちこちの寺に多くの彫り物の飾りがあったことを思いだして、さくらは言った。
「そう言うことだ。そして、その需要を賄うために全国から多くの彫り物師が集まった。その結果、彫り物の町として有名になった。それが、各務彫刻のはじまりだ」
「へえ」
「最初はいま言ったとおり、寺に納める彫り物を作っていたんだが、それが一段落して仕事がなくなると、今度は一般家庭向けの
「へえ」
「まあ、その欄間もいまではほとんど作られることはなくなったからな。歴史と伝統の各務彫刻もいまや絶滅の危機、と言うわけさ」
「絶滅って……こんなに彫刻屋さんがあるじゃない」
さくらは左右を見渡しながら言った。
右を見ても、左を見ても、前を向いても、後ろを向いても、視線の届く限り彫刻屋、彫刻屋、彫刻屋……。
この光景を見る限り、大隆盛としか思えない。絶滅の危機に瀕しているなんて言われても信じられない。
「各務中の彫り物師がこの通りに集まっているからそう見えるだけだ。ここだけを見て『各務彫刻は流行っている』なんて思うのは、オアシスだけを見て『砂漠は水と緑にあふれている』と思うようなものだ」
「そうなんだ」
「それに、デービット・アトキンソンならこう言うぞ。『こんなことだからだめなんた』ってな」
「デービット? 誰それ?」
突然、出てきた西洋風の名前にさくらは目をパチクリさせた。
「日本の伝統工芸を守るために尽力しているイギリス人だ」
「なんで、イギリス人が日本の伝統工芸を守ろうとするの?」
「日本の伝統文化が好きなんだそうだ。『日本の伝統文化を守り、継承していくことは、日本だけではなく、世界のためにもなることだと本気で思っている』そうだ」
「へえ」
さくらは感心した。そんな外国人がいるなんてはじめて知った。
「でっ、まあ、このデービット・アトキンソンは伝統工芸から日本の経済問題に至るまで広く提言していてな。本も何冊も書いている。おれもそれらの本から色々と学ばせてもらった。実は、瀬奈に言ったことの大半も受け売りみたいなものだしな」
「へえ」と、さくらは繰り返した。
「兄さん、本当に色々な本を読んでるのね」
「本を読む時間はたっぷりあったからな」
森也はそう答えた。
「それでまあ、デービット・アトキンソンは職人業界の規模拡大を訴えている。職人たちをひとまとめにして大手企業にするべきだとな。そのデービット・アトキンソンから見たら、こんな風に個人経営の店が軒を連ねる場所なんてまちがい以外のなにものでもないだろう」
「なんで? こんなにいっぱい、お店が並んでいるなんて素敵じゃない」
さくらにはわからない理屈だった。たくさんの店があればその方がいいに決まっているはずじゃない?
森也は説明した。
「まとめた方が効率がいいからさ。店をやって行くには単に彫刻家ひとりがいればいいってものじゃない。営業や経理、仕入れ、その他、様々なモノ作り以外の仕事がある。伝統を繋いでいくためには後進の指導も必要だ。個人経営の店でそのすべてをやっていけると思うか?」
「……無理だと思う」
さくらはそう答えた。
他はともかく、後進の指導なんてできそうにない。生活のために自分の仕事をこなさなければならないなかで他人の指導までできるわけがない。
「そう言うことだ。その点、職人をまとめてひとつの企業とすれば人を雇って経理や営業を任せられる。職人は自分の仕事に専念できる。職人の数が多ければ担当を決めて後進の指導も出来る。そう言うことだ」
「じゃあ、そのデービットさんはそういうことをしているわけ?」
「業界最大手の工藝社の社長だ」
「へえ」
「まっ、その辺りをどうするかはおれの仕事となるわけなんだが……」
森也はふと足を止めた。店先のウインドウをじっと見つめる。
そこには手のひらに乗るぐらいの大きさをした、動物の彫り物が並べられていた。価格はものにもよるが、大体八〇〇〇~一万五〇〇〇円ぐらい。
――うわっ、高っ。
さくらはほとんど衝撃を受けて思った。
こんな小さな動物の彫り物が八〇〇〇円以上もするなんて。
さすがに伝統工芸品。お高い。
さくらはそう思った。しかし、森也はまったく反対のことを言った。
「……安すぎる」
「安い⁉ これで?」
「安いだろう。彫刻家が彫り物をするのはなんのためだ?」
「仕事でしょう?」
「仕事とは何のためにする?」
「お金を稼ぐため」
「金を稼ぐ理由は?」
「生活していくため」
「そういうことだ」
何度も繰り返し質問を重ね、森也はようやくうなずいた。
「彫刻とは仕事であり、仕事の目的は金を稼ぐこと。金を稼ぐのは生活していくためだ。と言うことはつまり、それで生活していけるだけの金を稼げなければ仕事とは言えない、と言うことだ。それで、質問。一家族が余裕をもって暮らしていくためには年間、いくらぐらい必要だ?」
「ええと……」
さくらはさすがに答えに詰まった。いきなり、そんな質問をされても困る。
――父さんの年収って、いくらぐらいだっけ?
実家での暮らしは苦しいものではなかった。金持ち、というほどではないが、それなりに余裕のある暮らしだった。と言うことはつまり、
――父さんと同じくらいの年収なら、充分な収入って言うことよね? でも、父さんの年収なんて知らないし……。
(主に森也のせいで)親に対してはずっと隔意を抱いてきたさくらである。親と年収について話したことなんてない。
これに関しては森也が自分から答えた。
「もちろん、生活スタイルによってもちがうわけだが、夫婦と子供ふたりの四人家族が都会で暮らしていくとなれば、余裕のある暮らしを送るためには五百万ぐらいは欲しいところだろう。では、次の質問。ひとつ八〇〇〇円の彫り物を売って五百万、稼ぐには幾つ売る必要がある?」
「えっと……」
言われて、さくらは頭のなかで素早く計算した。典型的な学校秀才なだけに、この手の作業は得意だった。
「六二五個」
「そう。つまり、一個八〇〇〇円の彫り物を作って暮らしていくためには一日平均、二個近くの彫り物を作らなくちゃいけないと言うことだ。できると思うか?」
「……無理かも」
さくらはそう答えるしかなかった。
彫り物一個、作るのにどれだけの時間がかかるかなんてもちろん、知らない。それでも、小なりとは言え、これだけ精巧な彫り物だ。一時間や二時間でできるとは思えない。しかも、毎日まいにち作りつづけなくてはならないなんて……。
――休みもなしにそれだけ作りつづけるなんて、いくら彫り物が好きでも無理よね?
そう思うしかなかった。
森也もうなずいた。
「そう。無理、無茶、無謀。仮に、それができたとしても、来る日も来る日も同じものばかり作らなくちゃならない。それでは、技術の上達はない。まして、後進の指導をしている時間なんて取れるわけもない。本気で日本の伝統工芸を守ろうと思うなら、職人が充分な収入を得られるようにしたうえ、技術の上達、後進の指導のための時間も取れるようにしなければならない。そのためには一個数千円の彫り物をチマチマ作っていても無駄だ。何百万、何千万という価格の付くもの、一年にひとつ作れば暮らしていける。そんな大きな仕事を確保しなければならない。そんな仕事があってこそ、職人の地位と誇りも高まるし、技術の上達もある。職人を目指そうという人間だって増えるし、後進の指導だってできるようになる。伝統工芸を守ろうと思うなら、それだけの大きな仕事を安定的に確保しなければいけないんだ。一個数千円なんて言う小さな彫り物を作っている場合じゃない」
「でも、ひとつ何千万なんて、そんな仕事……」
そうそうあるわけない。
そう思う。ひとつ何千万なんて言う彫り物、一体、誰が買うというのだろう?
――少なくとも、あたしは買わないし。
もちろん、そんな財産はないわけだから買いたくても買えないわけだけど、もし、それだけの金があっても買わないだろう。彫り物ひとつにそれだけの価値があるとは思えない。
「そのためにもベッド作りだ。高級ホテルで使う高級ベッドならひとつ何千万という値も付けられる。高級ホテルは世界中にあるから、何十人もの職人が安定して大きな仕事にありつける。高級ベッド作りは『おれたちの国』のためだけじゃない。伝統工芸を守り、伝えていくための手段にもなる」
――ああ、そっか。そこにつながるんだ。
さくらは感心した。そんなことまで考えていたなんて。
「兄さんも伝統工芸に興味あったの?」
「買ったことがあるわけじゃないが……」
そんなものを買える稼ぎはなかったからな。
そう前置きしてから森也は答えた。
「伝統工芸の本を眺めているのは好きなんだよ。やはり、伝統工芸というものは味わいがあるからな。何より、そこには大勢の人間が長い時をかけて磨き抜いてきた技術の蓄積がある。その技術を失わせのは惜しい」
そう語る森也の表情は極めて真剣なもので、その言葉に込められた思いの深さが感じられた。
――兄さん、こういう人なんだ。
またひとつ、知らなかった兄のことを知ることが出来たようで、さくらは嬉しく思った。
森也は再び、歩きだした。
ほどなくして足を止めた。視線の先に他よりもひときわ大きな店があった。
「ここだ。編集部から話を通して、若手彫刻家を集めてもらっている」
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