一六賞 あたしがやります
いかにも『老舗』と言った印象の門構えの店のなか。
そこには二〇人近い若手彫刻家が集められていた。
『若手』と言ってもせいぜい三〇~四〇代。世間一般で『若手』と言ったときにイメージされる二〇代の人間なんてひとりも見当たらない。
――やっぱり、若い人のなり手っていないんだ。
さくらはそう思った。
もちろん、伝統工芸の世界の内情にくわしいわけではない。それでも、『伝統工芸の世界では後継者不足が深刻で、職人たちの高齢化が進んでいる』という話ぐらいは、ニュースで聞いたことがある。それが紛れもない事実であることを自分の目で確認したわけだ。
店の奥の広々とした一室。こちらもまた年月を感じさせる風格をもった畳敷きの部屋でのことだった。
さくらはいま、
幾つもの視線が集中する。
さくらは居心地の悪さに身じろぎした。
一介の中学生とは言え『東大も狙える』と言われるほどの優等生。生徒会役員も毎年のように経験してきた。だから、生徒代表を務めたり、役員として報告したりで、見られる立場になることには慣れている。
ただし、それはあくまでも『同年代から見られる』立場であって、三〇代、四〇代のおとな相手に見られる立場になったことがあるわけではない。おとな相手となれば、その他大勢のひとりとして『見る』側に並び、『偉い人の話』を聞く立場ばかりだった。
それがいきなり、おとなたちに『見られる』側に座り、注目を浴びている。
緊張する。
居心地が悪い。
ジロジロ見られたくない。
そもそも、こんな席に座るつもりなんてなかった。森也が職人たち相手に話をしている間、どこか隅っこの方で目立たなくしているつもりだったのだ。それなのに――。
「お前も横に座れ」
森也にそう言われて並んで座る羽目になってしまった。
理不尽だと思う。
――何であたしがこんなところに……。兄さん、ひとりでいいはずなのに。
そう思い、どうしても不満になる。
注目を浴びたくないので自然とうつむき加減になる。そっと、上目で職人たちの様子をうかがう。そんな上目遣いが年長の男たちの気をそそっているのだが、優等生故に男性経験皆無のさくらにはそんなことはわからない。
職人たちの顔かたちは様々だが表情はただひとつ。
真剣な面持ちで話がはじまるのをまっている……と、言えればいいのだけど、実際は大違い。職人たちの思いはただひとつ。
――なんだ、この若造は?
森也を見る全員の目と表情がそう言っている。
無理もない。
事前にろくな説明もなく地域の顔役に集められたと思ったら、まだ二〇代前半の若造と中学生の小娘というふたり組を前にしているのだ。なんで、こんな連中に会うために仕事を切り上げてこなければならないのか。
そんな不満と、うさん臭い思いにかられるのはごく自然なことだった。
そんな視線に見られて、さくらはますます居心地が悪くなった。身をちぢこませた。そのとき――。
ふと、気付いた。
職人たちの一番後ろ、部屋の片隅、まさに、自分がいたいと思ったようなその場所に、ひとりの女性が座っていることに。
若い。
せいぜい二十歳を過ぎたかどうかと言うところだろう。
女性と言うより『女の子』と言った方がしっくりくる。そんなあどけなさを残した可愛らしい女性だった。
――あの人も彫刻家なの?
さくらは疑った。
正直、そんな風には見えない。工房にこもって彫刻刀を振るっているよりも男子に囲まれてチヤホヤされているほうが似合いそうなタイプに見える。
――学年にひとりやふたりは、やたら男子にモテる子がいるけど……そんな感じよね。
さくらはそう思った。でも――。
その女性のまなざしは真剣そのものだった。
他の職人たちのように疑うような、うさん臭いものを見るような表情はしていなかった。これから起こることを真剣に待ち望んでいる。
そんな表情だった。
森也はその女性の存在に気が付いただろうか。まずはゆっくりと一同を見渡すと口を開いた。
「おれは
その言葉に――。
職人たちがいっせいにざわめいた。
興奮した、と言うのではない。
――何を言ってるんだ、この若造は?
その疑惑のざわめきだった。
正気を疑う。
まさに、そんな表現がピッタリくるざわめきだった。
森也はかまわずに続けた。
「誰もが自分の望む暮らしが出来る世界を作る。おれたちはそのために活動をはじめた。
なぜ、そんなことをするのか?
世界には生まれた場所によって人生を決められてしまう人間が多すぎるからだ。
このおれ、藍条森也は『学校に行かない』という理由で毎日のように親に『殺される!』と言う思いをさせられた人間だ。父親は泣き叫んで抵抗するおれの腕をつかんで無理やり幼稚園に引きずって行こうとした。『男だろ!』といつも怒鳴られた。母親は半狂乱になって足が痺れて立てなくなるまで説教し、物置に閉じ込め、線香の火を押しつけ、布団蒸しにした。毎日まいにち『殺される!』という思いをさせられた。
おれにとって父親との一番、古い思い出は幼稚園の制服を着て足を引っぱたかれているところだ。母親とのそれは正座させられて怒鳴り散らされているところだ。
しかし、だ。
なぜ、おれはそんな目に遭わなくてはならなかった?
そういう場所に生まれたからだ。
普通とちがうことを認めない社会に、ひたすら子供に普通であることを求める親のもとに生まれたからだ。条件がちがっていればおれには別の人生があった。自分にあった道で存分に学び、成長するという道が。
そして、いま、世界中の多くの人間が自分の生まれた場所によって人生を決められている。生まれた場所によって自分の望まない文化を、自分の望まない法を、自分の望まない慣習を押しつけられ、人生を失っている。
貧しい国に生まれたために未来を描くことさえできない人間がいる。
無法地帯に生まれたために安心して暮らすこともできない人間がいる。
恋をしたことを理由に親に殺される人間がいる。
そんな時代を終わらせる。
生まれた場所によって人生が決められてしまう。
そんな世界を終わらせる。
誰もが自分の望む暮らしを自分で作れるようになる。そういう世界をはじめるんだ。
そのために『おれたちの国』を作る。
何も、国に逆らおうと言うんじゃない。
法は守る。
税金も払う。
しかし、そのなかでどんな暮らしを作りあげるかは、おれたち自身の問題だ。
どうすればそれができる?
金持ちになることだ。
みんな、勘違いしているが、自由と権利は政治の問題じゃない。
金の問題だ。
どんな政治体制のもとであろうとも金のある人間は自由と権利を謳歌できる。金のない人間はどんな政治形態のもとであろうと自由も権利も得られない。そこを勘違いして自由と権利を政治の問題だと思うから国と敵対する羽目になる。
そうじゃない。
そこがまちがっているんだ。
自由と権利は金の問題だと正しく認識しさえすれば、国と争うことなく自分たちの望む暮らしを作ることができる。
そのために、金持ちになる。
金を稼ぐ。
経済的な独立を果たせば誰に支配されることもなく勝手にやっていける。文句を言うやつは札束で横っ面を引っぱたいて黙らせる。暮らしていくための決まりだって何だって自分たちで作れる。他人の作った決まりに無理やり従わせられる必要はなくなる。それがどういうことかわかるか? おれたちは自分の望む文明を築くことができるんだ。
それは言わば文明のハッキング。
古来、文明とは一握りの、特別な力を持つ人間が作りあげるものだった。だが、おれたちはクリエイターだ。どこかの偉い人間が『これが正しいんだ』と、単一の価値を押しつけるよりも、それぞれの作家が好きなように創作し、自由競争によって淘汰と選抜を繰り返した方が魅力的な作品が生まれることを知っている。
ならば、文明も同じ。多くの人間が生み出し、自由競争にさらされた方が魅力的な文明が生まれる。
それぞれの地域が自給体制を整え、独立したなら。
各地域ごとに自分たちの望む暮らしを生み出したなら。
そんな地域同士がネットを通じてつながり合い、交流したなら。
そして、人々は選ぶようになる。自分が生きていきたい文明を。魅力的な文明は大勢の人間に支持されて広まり、魅力のない文明は淘汰され、消えていく。生き残った文明同士がさらに影響し合い、混じり合い、さらに新しい文明を生み出していく。やがては、いまのおれたちには想像もつかないようなまったく新しい文明が生まれるだろう。
こんな面白いことが他にあるか? おれたちはそれができるようになった人類最初の世代なんだ」
森也は語る。
語り続ける。
マグマを閉じ込めた氷山のように、表面ばかりは冷静にその実、鉄をも溶かす熱さを秘めて。
その口調は淀みなく、滔々としたもので、手慣れた印象を与える。人によっては『生まれついての話上手』とさえ思うだろう。
しかし、さくらは見ていた。
移動中の新幹線のなかで、バスのなかで、森也が片時も休むことなくじっと本を読み、思考を巡らし、メモを取り、このときに備えて準備していたことを。
読んでいた本は主に二冊。
『TEDトーク 世界最高のプレゼン術 【実践編】』と『WHYからはじめよ』。
いままで何度もなんども繰り返し読んできた本。それをわざわざもってきて読み直し、何を語るか、どう語るかを考え抜き、脳内シミュレーションを重ねてきた。その成果なのだ。
――準備に集中したいから、切符の手配とかをあたしにやらせたんだ。
そう納得できる姿だった。
だから、文句ひとつ言わずに慣れないマネージャー役をやってきたのだ。
そして、そんな森也のスピーチに対し、職人たちの反応は――。
――何言ってんだ、こいつ?
一言で言って、そんなものだった。
話に乗るかどうかではない。それ以前の問題、そもそも話が理解できていない。
何を言ってるいるのかわからない。
そんな表情だった。
――せっかく、兄さんがあんなに準備して、こんなに一所懸命、語っているのに。
さくらはそう思い、腹を立てた。
森也がそのことを知れば、
『相手が悪いんじゃない。興味をもたせる話し方をしない方が悪いんだ』
と、諭すところだ。
しかし、まだ中学生であるさくらには、そこまでのプロ意識は想像することすらできない。
ただひとり、一番隅っこにいる、まだ女の子と言った方がいいような女性だけが例外だった。かの人だけは真剣そのものの表情で身じろぎひとつせずに森也を見つめ、その声に耳を傾けている。その目は森也に劣らず熱く、真剣なものだった。
――ちゃんと、聞いてくれている人もいるんだ。
さくらは救われた思いだった。
森也はさらにつづけた。
「経済的な自立を果たす。そのために『おれたちの国』で産業を興す。高級ベッドを作り、世界中の高級ホテルに販売する。
今日、ここに来たのはそのためだ。
ベッドに
おれはあなたに、そのチャンスを与えにきたんだ。
さあ、どうする?
これから先一生、一個数千円のしがない彫り物をチマチマ作って暮らしていくか?
それとも、何億という値の芸術品を作りあげ、世界をかえるための事業に参加するか?
どちらを選ぶ?」
森也はそう言って口を閉ざした。
話すべきこと話した。あとは反応待ち。
そう言ったところだ。
職人たちの間のざわめきは消えてはいなかった。しかし、それは興奮のためでも、やる気になったためでもない。相変わらずの戸惑いのざわめきだった。だが――。
「本当ですか?」
若く、可愛らしい、それでも、芯の強さを感じさせる声がした。
視線が集中した。その先にいたのはあの女性、職人たちの一番後ろ、部屋の隅っこに座っているまだ女の子と言ったほうが似合いそうな女性だった。
その女性がたったひとり、真剣な眼差しを向けていた。
手を挙げて、森也に尋ねていた。
「本当に、世界を相手に各務彫刻を売るチャンスをくれるんですか?」
森也のスピーチに劣らない真剣そのものの問いだった。もちろん、森也の答えは決まっている。迷いなくうなずいた。そして、答えた。
「誓約する」
「わかりました」
キッパリと――。
その女性は言った。
「あたしがやります」
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