一八章 てい

 森也しんやとさくらはつかさを連れて赤羽に帰るとさっそく、『おれたちの国』の主要人物たちに引き合わせた。

 赤岩あかいわあきら、

 緑山みどりやま菜の花なのか

 そして、あかね瀬奈せな

 その三人が茜工務店の事務所に集まり、初顔合わせをする。

 最初に口を開いたのはもちろん、『何事でも自分が一番!』でないと気が済まないあきらである。小さな体をこれ以上ないほどふんぞり返らせて挨拶と言うより、宣言する。

 「わたしが『おれたちの国』主催、赤岩あきらだ!」

 どこかの塾長もかくやと言わんばかりのデカい態度。その名を聞いたつかさの表情がかわった。

 「赤岩あきら……って、もしかして『海賊ヴァン!』の赤岩あきらですか⁉」

 「おお、その通りだ」と、あきらはふんぞり返ったまま答える。

 『知っているのか?』などと尋ね返したりはしない。日本人なら全員、自分のことを知っていて当然と思っている売れっ子マンガ家のあきらであった。

 つかさはそんな売れっ子を前にすっかり興奮していた。

 「うわあっ、あたしファンなんです! 握手してください!」

 亡き兄の遺志を継ごうという健気な姿もどこへやら。すっかりミーハーファンと化して握手を求めるつかさであった。もちろん、あきらに否やはない。『かわいい女の子は大好物』なあきらである。

 「うんうん、当然だな。苦しゅうないぞ」と、殿さまででもあるかのような口調でそう言って、差し出された手をガッシリと握りしめるあきらである。これが中年男でもあれば『セクハラだ!』と告発されかねないぐらい濃密な握手であった。

 つかさは憧れのマンガ家と握手できてすっかり舞いあがっている。そんなつかさを見てあきらはすっかり上機嫌だ。扇子などを取り出してこれ見よがしに扇ぎながら、

 「はっはっ、愛いやつ、愛いやつ。どうだ、藍条あいじょう。これが売れっ子マンガ家の力というものだ。お前は握手をねだられたか?」

 「いいや」と、森也は表情ひとつかえずに首を横に振る。

 「そもそも、気付いてさえいないしな」

 その言葉に――。

 つかさは戸惑った表情になった。

 「えっ? えっ? あれ? もしかして、藍条さんもマンガを描いてるんですか?」

 「赤岩とは同期でね。同じ雑誌で連載している」

 そう聞いた途端――。

 つかさの顔面から血の気が引いた。

 「ご、ごめんなさい、ごめんなさい! あたし、その、マンガを特にたくさん読むって言うわけじゃないから、人気のある人しか知らなくて……!」

 パニクった結果だろう。聞きようによってはなおさら失礼なことを言ってしまうつかさであった。

 そんなつかさに向かい、森也は『気にするな』と手を振って見せた。

 「謝る必要はない。おれが無名なのは売れていないからだ。売れていないのはおれの力不足であって読者が気にするようなことじゃない」

 「で、でも……」

 つかさパニクったままだ。いくら、そう言われても、同じ雑誌に載っているマンガ家と気付かなかったのだ。気まずいなどというものではない。

 あきらが高らかな笑い声をあげた。

 「はっはっはっ、そうとも気にすることはないぞ、新しき同志、我が可愛い子ちゃんよ。売れれば知られる、売れなければ知られない。そんなことは我々の業界では当たり前だし、誰もが承知していることだ。読者が気にするには及ばん」

 「は、はあ……」

 「そういうことだ。それに、そのあたりはそちらも同じだろう。伝統工芸の世界でも腕の良い職人は知られ、腕のない職人は知られない。だろう?」

 「それは……そうですけど」

 もちろん、つかさはまだまだ誰にも知られていない駆け出しに過ぎない。

 「だから、そんなことは気にしなくていい。それより、紹介をつづけるぞ」

 森也がそう言って改めて紹介した。

 「まずは赤岩あきら。知っての通り『海賊ヴァン!』の作者で売れっ子マンガ家。その財力を生かして『おれたちの国』のオーナーをやっている」

 その紹介にあきらはますますふんぞり返り『ふん!』とばかりに鼻を鳴らして見せた。見た目ばかりは可愛らしいお人形と言った印象のあきらがこんな態度を取るのだから違和感ありありなことおびただしい。

 「おれの姉の緑山菜の花。赤岩のアシスタントをしている。名字がちがうのは『藍条あいじょう森也しんや』がペンネームだからだ」

 そう説明してから森也は三人目の重要人物を紹介した。

 「そして、建築担当、茜工務店社長、茜瀬奈だ」

 「よろしくね、つかささん」

 瀬奈はニッコリ微笑んで右手を差し出す。

 「あ、はい、こちらこそ……」

 まだパニクったのが尾を引いているらしい。つかさはかなりぎこちない態度で瀬奈の手を握った。

 ――この人が茜瀬奈さん。

 ここに来るまでの途中で森也から一応の説明は受けていたので、工務店の社長が若い女性だというのを見ても驚きはしない。とは言えやはり、自分よりわずかひとつ年上なだけの女性が工務店の社長というのは違和感というか、そんなものがある。まして、その工務店が地域の顔役とも言うべき家系となれば。

 ――それに、藍条さんから聞いていたのとずいぶんちがうんだけど……。

 つかさはそう思った。

 森也からは瀬奈に関しては『まるっきり男友達』と聞いていた。それだけに見るからにガッシリとした体つきの、言ってみれば女子プロレスラーのような人物と想像していた。

 ところがどうだろう。

 目の前の女性はそんなイメージとは全然ちがう。

 なるほど。物心付く前から大工道具を握っていたというだけあって手の作りはしっかりしている。指も太めだし、手のひらも厚い。女性の手と言うよりちょっとしたグロープのよう。でも、文句なしの美女だし、物腰も柔らかで女性らしい。森也の言っていたような『男友達』というイメージとはほど遠い。

 森也が瀬奈に言った。

 「瀬奈。さっそくだが、一通り、案内してやってくれ」

 「おう、任せろ』と、途端に男らしい態度になって答える瀬奈だった。

 ――あ、なんか納得できたかも。

 途端に腑に落ちるつかさだった。

 つかさはその場で茜工務店の全従業員に引き合わされた。全員と言っても一〇人ちょっとしかいないのだが、それでも片田舎の工務店としては規模の大きい方だろう。

 つかさはそのひとり一人の名前をしっかり聞き、顔を見て、間違えずに覚えようとした。特に、ベッド作りの担当だという社員のことは念入りに。

 やはり、相手の顔や名前を覚えていないと印象が悪くなる。

 年長者ばかり、しかも、長幼の序にはうるさい伝統工芸の世界で生きてきただけにその辺りのことはよく知っている。

 「さあ、それじゃ、つかささん。この赤葉の地を案内するわ。早く慣れてもらわないとならないから」と、森也以外と言うことでいたって女性らしい態度で言う瀬奈であった。

 つかさは瀬奈に連れられ各地を巡った。森也とさくらも数歩は慣れて続いていく。


 「わあっ、きれいな棚田」

 「でしょう? 先祖代々作ってきた赤羽の誇りよ」


 「すごい杉林ですね」

 「戦後間もない頃に将来の需要を見込んで大量植樹したから。結局、安い外材が入ってきたことで放置されちゃったんだけどね。でも、そのおかげでベッド作りの材料には事欠かないわ」


 「きれいな渓流ですね。すごく水が澄んでいて、冷たそう」

 「神奈川の水源だもの。この水を守っていくことこそ赤羽の誇りよ」

 「水源を守る?」

 「そう。神奈川の人たちがいつまでもきれいで、おいしい水を飲めるようにね。わたしたち、赤葉の人間がこの水を守っていくの」

 瀬奈は限りない誇りを込めてそう宣言した。

 「ベッド作りはそのためでもあるわ。木のたくさん生えた山はふかふかの表土を抱え、そのなかに大量の雨水を溜める。雨水は土を通して浄化され、川となって送り出される。つまり、木を守ることが川を守ることにもなる。

 さっきも言ったように、せっかく植えたスギの木だけど、安い外材に押されて放置されてきた。でも、ベッド作りという需要があればきちんと手入れできる。手入れさえ出来れば豊かな山となってきれいな水を提供しつづけることができる。

 そして、川に流れ込んだ山の養分はそのまま川を下って海に流れ込み、海までも豊かにしてくれるプランクトンが増え、プランクトンを食べる魚も増える。増えた魚は人々の食料となる。

 山は海の恋人。

 山を守り、山を育むことが海までも豊かにし、神奈川の水と食料を守るのよ」

 滔々とうとうと淀みなく語るその姿にさくらは森也に耳打ちした。

 「なんか、瀬奈さん、以前と感じがちがうね」

 「神奈川の水源を守る。それを赤葉のテーマとして以来、話も重ねたし、読んでおくべき本も渡したからな。その成果だ」

 「勉強家なんだ」

 「地元愛ゆえだ」

 ――地元を思う気持ちだけでそこまで勉強できるんだ。

 さくらは瀬奈の地元愛の強さに感心した。でも――。

 ――あたしにはそんな大切なものはない。

 そう思い、ちょっと胸の奥に棘を感じるさくらだった。

 一方、つかさは瀬奈の言葉に素直に感動したようだ。森也の呼びかけに応じてわざわざ富山からやってくるだけあってやはり、このような壮大な話が好きなのだろう。

 興奮した口調で瀬奈に言った。

 「素敵です、瀬奈さん! 山を守ることで水を守り、海を守るなんて。あたしもそのために精一杯がんばります!」

 「ありがとう。それじゃ、言っておくけど、敬語はやめて。わたしたちは『おれたちの国』を作っていく仲間なんだから。堅苦しいのはなしよ。『さん』付けもいらないわ。呼び捨てにして。わたしも『つかさ』って呼ばせてもらうから」

 「はい、瀬奈さ……瀬奈」

 「よろしくね、つかさ」

 ふたりは改めて握手を交わした。

 そして、その帰り。

 森也、さくら、つかさの三人は瀬奈の家に向かっていた。

 今日、来たばかりだし、移民用の住居もまだ整備されていないので当面は瀬奈の家に下宿することになっている。瀬奈はまだ仕事が残っていると言うので事務所に帰り、森也とさくらが送ることになったのだった。

 「あそこが瀬奈の家だ。瀬奈のばあさんが帝王気取りでふんぞり返っているが、ま、面倒くさい相手ではあってもそうそう理不尽なことは言わないからな。礼儀を守って、仕事に励んでさえいれば文句も言われないだろう。仲良くできるようなら仲良くやってくれ」

 仲良くできないようならすぐに他の家を手配するから無理する必要はないけどな。

 そう付け加えるあたりが『相性の悪い人間と付き合うなど人生最大の無駄』と公言してはばからない森也らしいところだった。

 「はい、ありがとうございます。あの……」

 「うん……」

 つかさはじっと森也を見た。

 それからイタズラっぽい笑みを浮かべた。

 「藍条さんって……ひどい人ですよね」

 「はっ?」

 「だって、いきなり『くだらないな』ですよ。亡き兄の遺志を継ごうって言う健気な女の子に向かって普通、そんなこと言いませんよ。絶対、根性曲がってます」

 「たしかに!」と、全力で同意するさくらだった。

 クスッ、と、笑ってからつかさはつづけた。

 「……でも、おかげで大事なことを思い出せました。兄は……兄さんは、各務彫刻で人々にきれいと感動を届けるために打ち込んでいたんです。だったら、その思いを継ぐことこそが兄さんの遺志を継ぐと言うこと。それなのに、あたしは、兄さんの遺志を継ごうってそればっかり考えて人々にきれいと感動を届けるという使命を忘れていました。藍条さんの一言がそのことを思い出させてくれたんです」

 そう言うとつかさはちょっと恥ずかしそうにうつむいた。

 かすかに頬を染め、上目遣いに微笑んでみせる。

 「何だか……本当に兄さんに叱られているみたいでした」

 つかさはそう言うと小鳥のように身軽に身をひるがえし、瀬奈の家目がけて走って行った。

 「あたし、がんばります! 見ていてくださいね!」と、手を振りながら。

 森也はその姿を見送りながら目をパチクリさせた。

 「なんだったんだ?」

 そんな森也をさくらはジトッとした目で見つめている。

 妹の視線に気付いた森也が尋ねた。

 「なんだ、その目は?」

 「……兄さん、ずっと引きこもりやってた方が世の中のためだったかも」

 「はっ?」

 「てい」と、さくらは森也の向こうずねを蹴りあげた。

 「だから、なんで蹴る!」

 「ふん。この全自動女の子落とし機」

 「どういう意味だ、それは⁉」

 山間の小さな町に――。

 森也の叫びが満ちたのだった。


             第三話完。

             第四話につづく。

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