三〇章 準備完了!
「将軍はわたしに決まっているだろうが!」
「なに言ってんの、あたしの役目でしょ!」
今日もきょうとて、
ふたりとも『
あきらとトウノのアシスタントはいまや重労働に継ぐ重労働で半死半生のありさま。仕事場随一の規模を誇る仮眠室で死んだように眠っている。足を踏み入れるものがあればそこはもはや霊安室と見まごう雰囲気であったろう。
それはもとかく、
「また、やり合ってるのね、あのふたり」
さくらが呆れたように言った。
さくらももう慣れてしまったので年上の社会人相手という感覚がなくなってきている。むしろ、近所の小学生を見る視線である。
「まあ、まちがってはいないな」と、森也なら言うであろう。
さくらの言葉に森也は腕組みしたままうなずいた。
「ま、あのふたりは、あれが趣味みたいなものだから」
「ですね」と、空も同意した。
「顔を合わせるたび、あの調子ですからね」
「それで、今回は何を言い合ってるの?」と、さくら。
「どっちが富士幕府の将軍をやるかでだ」
「将軍?」
「幕府と言うのは
「……ああ」
と、さくらは納得したように呟いたが大してよく分かっているわけではない。ただ『大人げない争い』であることがわかったと言うだけだ。
「将軍と言えばわたしに決まっている! 人気投票だってわたしが上なんだからな!」
「先月だけでしょ! その前は三ヶ月連続であたしが上だったじゃない!」
「その前はわたしだったぞ」
「さらにその前はあたしでしょ!」
ここ二年ばかり『ソーシャルコミック』の人気投票一位、二位はこのふたりがかわりばんこにとっているので、この手の言い争いをはじめると切りがない。
あきらは攻め方をかえてきた。
「コミックスの売り上げだってわたしが逆転したぞ!」
「そっちの最新刊が発売されたばっかりだからでしょ!『よろてん』の最新刊が発売されればまた逆転するわよ!」
「征夷大将軍と言えば武士の頭領! 戦国最強の信玄公ゆかりのこのわたしこそ将軍にふさわしい!」
「家康公こそ実際に幕府を開いた将軍さまじゃない! 将軍になるべきは徳川家ゆかりのこのあたしでしょ!」
「なんで、信玄とか家康とかが出てくるの?」
名前だけは知っていても詳しい家歴や関係、まして、それぞれの大名を推すマニアの心理などまったくわからないさくらが不思議がって訪ねた。
森也が説明した。
「武田信玄は山梨の大名、徳川家康は静岡出身の大名だからな。この両県の人間は信玄と家康ネタでよく争うんだ」
それは富士山論争と並ぶ山梨静岡二県の宿命の争いなのだった。
「……そんな、戦国時代の人間のことまでこだわるんだ」と、まったく理解出来ないさくらが言った。
すると、意外なところから熱気あふれる声がした。
空である。
「当たり前です!」
空はそう叫んだ。
「信玄公こそ戦国最強の大名。将軍職にふさわしいのは信玄公しかいません!」
両手を握りしめての力説である。
空はあきらのいとこであり、山梨出身。そして、武田信玄配下の武将の
「表富士に面する静岡県民こそ幕府の代表にふさわしいのよ!」と、トウノはついに禁断の『表富士論争』まで持ち出した。あきらがたちまち頭に血をのぼらせる。
「静岡側が表富士などと誰が決めた」
「延宝八年の『八葉九尊図』にはっきりと書かれているのよ、『するが口表』ってね! つまり、四〇〇年近く前から富士山の表は静岡側って決まってるの!」
「国家が発行した札に描かれているのは山梨側の富士だと言っておろうが!」
「北斎や広重の浮世絵だって山梨側の富士山を『裏富士』ってはっきり呼んでるでしょ!」
ふたりの言い争いは一向に終わる気配がない。
山梨と静岡にはこれだけの論争の種があるのだと思うといっそ感心するし、見た目ばかりはお人形のように可愛らしいあきらと、きちんと節制すれば一級品の美女となるトウノが唾を飛ばして怒鳴り合うさまは見物ではあった。しかし、さすがにいつまでも付き合ってはいられない。
「仕方がない。そろそろとめるか」
と、『地球進化史上最強の知性』藍条森也が動き出した。
まずはあきらに近づき、肩を抱いて引き離すと耳元にポツリと一言。
「真の実力者は裏にいる。これ、二次元の常識」
次いで、トウノに近づくと同じように肩を抱いて隅により、
「悪党退治の正義の味方と言えば副将軍」
そして、奇跡は起こった。
あきらもトウノも途端に機嫌が良くなり、和解したのだ。
「いやあ、たしかに歴史的な評価には逆らえんな。うん、やっぱり、山梨側が裏富士でいい」
「将軍って言ったらやっぱり、若くて勢いのある人の方がいいわよねえ。あたしは副将軍の方がお似合いだわあ」
と、互いにニコニコにしながら握手して、肩などたたき合ってみせる。
その展開にさくらと空は真顔で言った。
「……すごい。あの言い争いを一瞬でとめちゃった」
「さすがです、森也先輩」
「ま、習うより慣れろというやつだな」
澄ましたようにそう言う森也に対し、さくらはジトッとした目を向けた。
「……兄さん。やっぱり、引きこもりやってた方が世の中の女の子が安全だったと思う」
「たがら、どういう意味だ、それは」
あきらは上機嫌のままつづけた。
「うむうむ。それでは、富士幕府の将軍はこの赤岩あきらさまと言うことだな。では、富士幕府の
「あらあら、いやだわあ、何言ってるの。幕府のご紋と言えば葵のご紋でしょお」
「いやいや、わたしが将軍になるからには当然、武田菱だって」
「いえいえ、葵のご紋よお」
と、今度はふたりともニコニコしたまま言い争う。
――こっちの方が怖いかも。
と、そう思うさくらであった。
――まあ、でも、また兄さんがとめるんだろうし。
と、さくらは森也をチラリと見た。すると、深夜がふたりの間に割って入った。
「ちょっと待てい、ふたりとも」
――ほら、やっぱり。
さくらはそう思ったが、
「富士幕府の紋所は北条の
――兄さんも参加するの⁉
思わず心でツッコむさくらであった。
その隣では空が納得顔でうなずいている。
「神奈川出身の森也先輩にとって、ゆかりの大名と言えば北条家。当然の参戦ですね」
と、プロレスで宿命のライバルが乱入してきたのを見届けるような表情になっている。
「北条ごときローカル大名、出る幕ではないわ、引っ込んでおれ!」
「そうよ! 徳川武田論争に首を突っ込む気なら大河ドラマになってからにしなさい!」
大河ドラマになってからにしなさい!
これは北条ファンには痛い台詞だろう。何しろ、有名所の大名で大河ドラマの題材として取り上げられていないのは北条家ただひとつであるから。しかし、森也は平然とその声を跳ね返した。
「北条の三つ鱗とはそもそも、鎌倉北条氏時政が江ノ島弁財天に祈願した際、そこに現れた大蛇が落とした鱗に因むもの。蛇はおれのトーテム。譲るわけにはいかん」
そう断言する森也であった。
「だからと言ってだなあ」
「納得いかんか。ならば、富士幕府の紋を三つ鱗にすべき理由を聞かせてやろう。心して聞くがいい」
森也は重々しくそう前置きしてから言った。
「北条氏は平家の血筋でありその旗は赤旗。武田・徳川は共に源氏の血筋であり、旗色は白。赤旗と白旗。どっちがいい?」
「むっ……」
あきらとトウノはふたりそろってうなり声をあげてたじろいだ。
『白旗』と言えば現代では降伏のサイン。対して『赤』と言えばリーダーカラー。戦隊もののファンならどちらがいいかなど聞くまでもない。
「で、でも、それだけじゃ……」
守勢に回りながらもトウノが必死の抵抗を見せる。その抵抗を踏みつぶすべく、森也が次の一手を繰り出した。
「そも北条氏には鎌倉時代の鎌倉北条氏と戦国時代の小田原北条氏の二代がある。そして、いま新たに北条を名乗ればそれは三代目と言うことになる。すなわち! 北条三世!」
「ぐはあっ!」
と、あきらとトウノは血を吐くような声をあげて仰け反った。
何が起きているのかまったくわからないさくらは頭のまわりに『?』マークを乱舞させて戸惑っている。
『○○三世』と言われれば緑のジャケットを着て屋根から屋根へと飛び移りたくなるのがオタクの性。それは、高いところに登ると『見ろ! 人がゴミのようだ!』と叫ばずにはいられないというのと同じぐらい、オタク魂に深く根付いた習性なのだ。それがわかる空はまるでボクシングの世界戦を見るかのような熱烈さで勝負の行方を見守っている。
「……ふっ、いまのはなかなか効いたぞ」
と、あきらが口元をぬぐう仕種をしながら言った。あきらの脳内ではまちがいなく血反吐を吐いているのであった。
「しかし! その程度で我らの郷土愛を折ることはできんぞ!」
あきらが叫び、トウノがうなずく。しかし、森也は余裕の表情でそんなふたりを見下ろした。
「愚か者め。切り札は最後までとっておくものだ」
「切り札だと?」
「そう。北条家の軍は黄・青・白・赤・黒の五色揃え。すなわち! 北条軍こそスーパー戦隊の元祖!」
「ぐわあああっ!」
今度こそ――。
あきらとトウノのふたりは必殺のクリティカルを食らってKOされたのだった。
「さすがです、森也先輩!」
と、わかる人間である空は両拳をグッと握りしめて力説している。わからない人間であるさくらは何が起きているのかまったく理解出来ず、頭の上に『?』マークを乱舞させるばかりだ。
「……くっ。仕方がない。そういうことなら認めよう。では、わたしはいまから北条三世赤岩あきら! 北条の名の下に全国を統一してくれようぞ!」
何はともあれ――。
こうして富士幕府の将軍と紋所が決まったのだった。
夏が終わり、秋が来て、冬となった。
そして、クリスマスの日。
ついに、クリエイターズカフェが完成した。
「うおおおおっ、ついに我らの城が完成したぞおっ!」と、あきらの絶叫が響く。
完成祝いとクリスマスパーティーを兼ねて関係者が店内に集まっていた。
森也、さくら、あきら、
「いやあ、しかし、さすがは瀬奈だな。この短期間でよくぞこうも見事な城を建ててのけた。あっぱれ、あっぱれ」
「そうでしょう、そうでしょう。これぞ茜工務店の底力! もっと褒めて!」
「あたしだって内装、頑張りましたよ!」
あきらに褒めちぎられた瀬奈が胸を反らすと、つかさも張り合うように声を張りあげた。
その隣では森也がさくらとひかるにクリスマスプレゼントを手渡ししていた。
「わあ、きれい。なに、これ?」
森也から渡されたプレゼントを見て、さくらとひかるは同時に声をあげた。それはなんとも美しく、繊細な作りの銀細工のアクセサリーだった。
「秋田銀線細工って言ってな。秋田の伝統工芸だ。以前に本で読んで興味はあったんだが、さすがに秋田までわざわざ買いに行く気にもなれなくてな。そのままだった。今回、ちょうどいいから秋田まで行って買ってきた」
「兄さん、わざわざ秋田までクリスマスプレゼント買いに行ったの⁉」
「気にするな。おれの分を買うついでだ」と、森也は自分の分の銀線細工を取りだして見せた。
すると、つかさが思い切り叫んだ。
「ひどい! おにい、どうして伝統工芸品を買うなら
「お前の腕はローマ法王の前で彫刻するためにあるんだろ。身内相手に振るってどうする」
「そ、それはまあ、そうなんだけど……」
「しかし、まあ、各務彫刻もそうだと思うが銀線細工も最近ではこんな細かい仕事しかなくて腕の振るいがいがないそうだからなあ。以前ならパトロン的な旦那とかがいて
最近ではそんな仕事もなくなったそうだ。職人の腕の落ちるのが心配だよな」
「何だ、そんなことならこの赤岩あきらさまに任せておけ! わたしがどんどん大きな仕事を依頼して職人たちの魂を燃えあがらせてやろうではないか」
「各務彫刻もお願いします!」
「茜工務店も!」
「おうおう、任せろ。みんなまとめて面倒見てやるぞ!」
と、あきらが文字通りの殿さま気分で鷹揚にうなずいた。そのとき――。
カフェのドアが開いて、その賑やかな場にはあまりにもふさわしくない男がやってきた。
よれよれのスーツを着込み、いかにも生活に疲れた顔をしている男。『ソーシャルコミック』元編集長、
「灰谷」
森也がその名を呼んだ。
以前なら、灰谷が『ソーシャルコミック』編集長であり、森也がそこに連載する売れないマンガ家であった頃なら、そんな呼び方は絶対に許さなかった。立場を傘に威張り散らし、マウントをとっていた。しかし、いまではそんなことも出来はしない。へらへらと愛想笑いを浮かべるばかりだ。その惨めはその場にいる全員に深い嫌悪感をもたらせるものだった。
「や、やあ……藍条……さん」
と、これもまた以前なら決してしなかった『さん』付けで森也を呼んだ。
「お前、い、いや、あんたは自分の出版社を開くんだろう? だったら、ベテラン編集の力が必要だと思ってな。わざわざ来てやったんだ。あんたが望むなら編集長として力を貸してやってもいいんだが……」
言葉こそ強気だが、口調にはまったく力がない。会社をクビになって以来、再就職先も見つからず苦労してきたのだろう。所属マンガ家全員に逃げられた無能編集長とあってはどの出版社も相手にしないのも無理はない。それで、最後の頼みの綱として恥を忍んで森也のもとにやってきた、と言うわけだ。
森也は灰谷に向き直った。
静かに言った。
「必要ない」
以前、言ったとおり、灰谷に個人的な恨みがあるわけではない。いわゆる『ざまぁ』展開が好きなわけでもない。しかし、それ以上に灰谷に同情する理由がない。森也は冷淡に突き放した。灰谷の表情が哀れなほどに引きつった。
森也はつづけた。
「この場にいるのは全員、自分の人生を真摯に生きようとしている人間だ。お前のように小金稼ぎに汲々としている人間の居場所はない」
その言葉に――。
灰谷は救いを求めるようにその場に居並ぶ全員の顔を見た。しかし――。
その誰もの顔に森也と同じ表情があった。灰谷のことなど知りもしないさくらやひかるでさえ、嫌悪混じりの拒絶の意思を示している。
さすがに灰谷も無駄だと悟ったのだろう。ガックリと肩を落とし、もう何日も着っぱなしと思えるよれよれのスーツ姿で店を出て行こうとする。
その背中に森也が声をかけた。せめてもの手向けだった。
「覚えておくんだな。金を稼ぐことを目的にして金を稼いだ人間はいない。一代で成り上がった金持ちたちが口をそろえて言う言葉だ。人生をやり直したいなら金儲け以外の目的を見つけることだ」
その森也の言葉は灰谷の心に届いたのだろうか。灰谷はそのままトボトボと歩き去った。
その後ろ姿を見送り、森也は全員を代表するように言った。
「準備は出来た。ここからが本番だ。おれたちが世界を征服する」
第一部完
第二部につづく
文明ハッカーズ1 〜クビになったマンガ家、自分の国を作って成り上がる〜 藍条森也 @1316826612
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