二章 妹の前に立てなくて
「あっはっはっはっはあっ!」
森也の家に酔っ払いたちの能天気な笑い声が響き渡る。
「いやあ、まさかお互い、兄妹と気付かずに再会するとはな。これぞまさに王道展開! 萌えるぞおっ~!」
あきらの叫びに、森也は苦虫を一〇〇万匹ばかりまとめて噛み潰した。
「……仕方ないだろう。五年間、会ってなかったんだ。家にいた頃はまだ小学生。いきなり出会ってわかるか」
「たしかに、この時期の五年は大きいもんねえ。まして女の子じゃわからなくても無理ないわ。あんたもあんたで家にいた頃とはすっかり雰囲気、かわってるし」と、こちらもあきらに劣らず酔っ払っている森也の姉が言った。
「かくゆうあたしも、すっかり妖艶なおとなの女になっちゃってるから一瞬、分からなかったと思うけど……」
すっかり酔っ払って、桜色を通り越して真っ赤になっている頬に手を当てて、わざとらしく『……ほお』などと息をつきながらそう言ってのける。森也は苦虫を噛み潰したまま言った。
「お前は全然、かわってない」
「では、あらためて……」
と、弟の言葉など無視して、めげない姉は高々と缶ビールを掲げて見せた。
「自己紹介させていただきます! あたしが藍条森也の姉の同人作家ハナノ・ミドリこと
「……妹の緑山さくらです。中三です。よろしくお願いします」
と、こちらは礼儀正しく会釈する。
「こちらこそよろしく。君のようなかわいい子と出会えてうれしい限りだ」
と、あきらはドン・ファンの笑顔を浮かべて挨拶する。そこで、気付いた。
「ん? まてよ。緑山? 兄妹なのに名字が違うのか?」
「忘れたのか。『藍条森也』というのはペンネームだ」
「ああ、そうか。そうだったな。お前は普段からペンネームで通しているんだったな。いやあ、すっかり忘れてた」
と、陽気に、そして、豪快に笑うあきらであった。
「それにしても、お互い兄妹とわからずに再会するとは……」
と、あきら。探るような視線で森也を見つめる。
「血のつながらない妹だな?」
「血のつながった妹だ」
勝手にラブコメ路線にもっていくな、と、森也は釘を刺した。
「それで?」
森也は菜の花をにらみつけた。
「何でさくらまでここにきたんだ? 今日はお前の面通しのために呼んだんだぞ?」
「ああ、それそれ。実はさくらも一緒に雇ってもらおうと思ってさ」
「何だと⁉」
「姉さん⁉」
「さくら、あんた、高校入ったらバイトするって言ってたじゃない。頼りになるお姉さまが一緒なら心強いでしょ?」
「あたしは、そんな……」
さくらは言いかけたが菜の花は聞いていない。
「ああ、だいじょうぶ、だいじょうぶ。マンガ家のアシスタントって言っても絵を描くだけじゃないから。掃除したり、料理したり、仕事はいくらでもあるって。森也だって可愛い妹がそばにいてくれた方が嬉しいでしょ?」
「赤岩の仕事場は東京だぞ。横浜から通うなんて無理に決まってるだろう」
「それもだいじょうぶ。この子、
「レオ?」
あきらがキョトンとしてつぶやくと菜の花が説明した。
「ラージ・アインシュタイン・オーガニゼーション。『アルベルト・アインシュタインを超える人材を輩出する』ことを目的とした中高一貫校よ」
「おお。かのアインシュタインをか! その意気やよし! 気に入った」
とにかく威勢のいいことは何でも好きなあきらが手を打ちながら叫んだ。
「そんな学校を狙うとは。かわいいだけではなく気概もある! ますます気に入った。それでこそ、赤岩あきらさまの嫁にふさわしい」
その一言に――。
「いつからお前の嫁になったんだ!」
と言う、森也のツッコミが炸裂したのは言うまでもない。
「しかし、LEOと言ったら、県下でも有数の進学校だろう。受験したからって合格するとは……」
その森也の言葉を聞く者がいれば違和感を感じただろう。その言葉は妹の心配をしているのではなく、落ちることを願っているかのように聞こえたからだ。
「この子ならだいじょうぶよ。なんたって中学三年間、成績はずっと学年一〇位以内、一年のときから生徒会役員を務めて今年は会長。教師からは『東大も狙える』って言われたぐらいなんだから」
「おおっ!」
と、あきらが感嘆の声をあげた。さくらは真っ赤になって片手をパタパタと振った。
「そ、そんなんじゃありません……! ただ、毎日コツコツやってただけで」
「うんうん、継続こそ力なり。ますます気に入ったぞ」
「それで、あの……」
さくらはあわてて言った。このまま姉に喋らせておいてまた自慢などされてはたまらない。
「家からLEOに通うのは無理ですから……」
「そう、無理、不可能。それであたしたちもあんたのところに世話になることにしたから。よろしくね、森也」
「何だと⁉」
「姉さん……! あたしは学校の寮に……」
弟の叫びも、妹の訴えも、姉はどちらもあっさり無視した。
「だって、あんた、この家にひとりで住んでんでしょ? この家の広さでひとり暮らしなんてもったいないわよ。それに、いいところじゃない。自然がいっぱいで空気もおいしいし。気に入っちゃったわ」
「勝手に決めるな!」
「勝手になんて決めてないわよ。ちゃんと相談してるじゃない」
「相談というのは事前に打ち合わせることだ! お前は決めてから言ってるだけだろうが!」
青ポジションを自認する森也にして、自称『赤の申し子』赤岩あきらのごとく『!』を連発する喋り方。それほどうろたえていた。一方、姉の方はケロリとしたもの。すべてを悟ったような表情であっさり言ってのけた。
「使ってる辞書がちがうのね」
森也は頭を抱えた。そんな兄の姿にさくらは声をかけるにかけられずオロオロしている。
「……食事の支度をしてくる」
森也はとうとうそう言ってキッチンに逃げ出した。さくらも立ちあがった。あとを追いかけてキッチンに向かう。すると――。
「おい、マジかわいいな、あの妹。抱きしめてチューしちゃいたいぐらいだ」
「そりゃあもう。自慢の妹ですから」
あきらの言葉に、菜の花は照れもせず言ってのける。
「でも、よかったわあ。あなたみたいなにぎやかな人がそばにいてくれて」
「うん?」
「森也のことよ。ほら、あいつってああいう性格じゃない。放っておいたら本気で、結婚もしないどころか一生、恋人も友だちも作らずにひとりで過ごしちゃうわ。そばにいてくれる人がいてよかった」
「あ、いや、それほどでも……」
菜の花に言われ、柄にもなく真っ赤になって顔をそらすあきらだった。
「これでも姉として気にはなっていたのよ。でも、妹を家にひとりで残すのも心配だったから、たまに会うのが精一杯で。おまけにあいつ、誰に対しても他人行儀で自分のことなんかめったに話さないから……」
「まったくだ! あいつは水臭すぎる」
「まあ、そんなわけでね。あたしの大学卒業とあの子の高校進学が重なったからそろって押しかけてやることにしたの。というわけで、改めて……」
菜の花はペコリと頭をさげた。
「妹ともども、よろしくお願いします」
「うむ。大いによろしくしようぞ。鉄鋼船に乗った気でいるがいい」
と、腕を組んでふんぞり返りながら答えるあきらであった。
一方、キッチンでは森也が食事の準備をはじめていた。フライパンを取り出すと、特上サーロインを焼きはじめる。たちまち、肉を焼くいい匂いがあたりに立ち込める。
「あの……」
「何だ?」
妹の呼びかけに答える森也の声は、どうひいき目に言っても『棘がある』というものだった。
「何か手伝おうか?」
「必要ない」
「でも……」
「必要ないと言っている」
森也の言い方は『そっけない』を通り越して酷薄なものだった。さくらよりよほどタフで鈍感な女の子であっても『邪魔にされてる』と感じて傷つかずにはいられなかっただろう。さくらはタフでも鈍感でもない普通の女の子だったのでなおさらだった。胸に突き刺さった痛みを感じながら尋ねた。
「あの……あたしがいるの、迷惑?」
「別に」
「でも……」
「他人にああしろ、こうしろと指図するより、自分でやったほうが楽なんだよ」
さくらは口をつぐんだ。上目遣いになった。ちょっと頬をふくらませた。
「兄さん……やっぱり、怒ってる」
「怒ってない」
「うそ! すごい冷たいじゃない」
「おれは誰に対してもこうだ」
「姉さんや、あきらさんに対してはちがってた」
「………」
「家にいた頃だってあたしのことずっと避けてたし……」
「おれは全人類を平等に避けている」
「でも……」
「いいから、向こうに行ってろ。ひとりでやるほうが楽なんだ」
「……うん」
言いたいことは山ほどあった。でも、そのすべてを呑み込んで――。
さくらはキッチンをあとにした。
「……くそっ」
森也が思わずそう吐き捨てたそのときだ。入れ違いに菜の花がやってきた。
「まったく、あんたも相変わらずね」
そう言う姿に先ほどまでの酔っぱらいの姿は微塵もない。弟をたしなめる姉のものだった。
「あんたってば、昔っから、さくらのこと避けてたもんね。そりゃあ、さくらは小さい頃から優等生で両親のお気に入りだったし、あんたはいつも比べられて怒られてたけど……だからって、妹を恨むほどケチな男じゃないわよねえ?」
――もし、そうだったら許さない。
森也をにらむ目がそう言っている。
「……別に恨んではいないし、比べられてどうこうと思ったこともない。優等生のほうが評価されるのは正当なことだ」
「だったら、何で避けてるのよ?」
森也は何も言わなかった。菜の花は逃げを許さなかった。
「そりゃあ、あんたは小さい頃からほんとにひどい目にあってきたしね。幼稚園の頃から不登校だって言うんで、毎日のように殺されそうになってた。正直、あんたは小学校にあがるまで生きていないと思ってたわ。どんな格好であんたの葬式に出ようか真剣に悩んでたんだから」
まあ、そこまでされて学校に行かなかったあんたも大概だとは思うけどね。
呆れたようにそう付け加えた姉に対し、森也はきっぱりと言い切った。
「そこまでされたからこそ、だ。殴られて言うことを聞いていれば一生、殴られる。おれは自分の将来を守るために『いくら殴っても無駄だ』と教えなければいけなかった」
「……それはまあ、親を憎むのは当たり前だけどさ」
「いまさら、どうでもいいさ。勝ったのはおれだ」
きっぱりと、迷いなく──。
そう言い切る森也であった。
「妹は恨んでない。親も憎んでない」
菜の花は指折り数えながら言った。
「そう言い切るあたりはあんたらしいけど、じゃあなんで、さくらをあんなに避けてるわけ?」
「………」
「答えなさいよ。でないと、あの子、人生、棒に振ることになりかねないわよ」
「どういう意味だ?」
「さくらがどうして、わざわざ家から遠くはなれたLEOを受験する気になったと思ってるの?」
「優等生が進学校を受験するのは普通だろう」
「ごまかさないで。あんたがそんな単純に考える人間なわけないじゃない。さくらはね。家を出たかったのよ。こう言うのもなんだけど、あんたのおかげでうちは雰囲気、悪かったもんね。親父はいつも怒ってたし、母さんなんて半狂乱になってた。何しろ、毎日のようにあんたを布団蒸しにして殺しかけてたもんね。あれでよくさくらを産めたといまでも不思議に思うわ。幼い女の子にとってその雰囲気は耐え難かったわけよ。あんたは知らないだろうけど、あんたが叱られたり、叩かれたりしている間、あの子、いつも部屋の片隅にうずくまってたのよ。あたしはいつもそばにいて抱きしめてあげてたんだけど、あの子ったらかわいそうに、いつも歯を食いしばって、耳をふさいで、聞こえないようにしていたわ」
「……お前やさくらにいやな思いをさせていたことぐらいはわかってる。そのことは悪いと思ってる」
「だからね。あの子、すっかり『家族』ってものに悪いイメージもっちゃってね。『早く家を出たい、ひとりで暮らしていけるようになりたい』ってそればっかり。必死に勉強して優等生やってたのも、わざわざLEOを受験することにしたのも、全部そのため。『進学校に通うために寮に入る』って言えば家を出る口実になるものね。このままだとあの子、本当に結婚もせずに一生ひとりで過ごす羽目になるわよ?」
「……その点はかなり本気で心配していたんだが」
「だったら、兄らしく妹のトラウマを解決してやりなさいよ。そのためにはあんたが和解。それしかないでしょ」
菜の花は改めて言った。
「さあ、白状しなさい。恨んでないなら、何でさくらを避けているの?」
「……恥ずかしいんだよ」
「恥ずかしい?」
返ってきた言葉の意外さに菜の花は目をパチクリさせた。森也は苦虫を十億匹ほどもまとめて噛み潰していた。
「おれにだって妹の前では格好つけたい気持ちはあるんだ。あいつが生まれたとき、思ったんだよ。
『兄になるんだから妹の前で恥ずかしくならないようにしよう。ちゃんと学校にいって普通に暮らせるようになろう』ってな。
けど、おれは結局できなかった。学校にもいけず、バイトもつづかず、単なるニートの引きこもり。そんな兄貴、妹から見たら恥ずかしいだけだろう。
『もし、ずっとこのままだったら……』
そう思っていつも怯えていた。このままどうにもならずに引きこもりつづけていたら……その間にさくらは中学生になり、高校生になる。それでも、おれはかわらなかったら……。いったい、どんな目で見られることか。それが怖くて、恥ずかしくて、だから、さくらの前に立てなかった」
「あんた……」
「おれは妹に尊敬されるような兄じゃない。だったらせめて、恥ずかしく思われないようになりたかった。だから、必死に稼げるようになろうとしてきたんだし、この世界にしがみついてもいる。それでもやっぱり、おれは下っ端だよ。自分の稼ぎだけでは自分ひとりの生活さえまかなえず、他人のアシスタントをしてどうにかなっている状態だ。そんな様でどうして妹の前に立てる?」
その答えに――。
菜の花は目を丸くしていた。が、
「あっはっはぁっ!」
突然、大声で笑い出した。さすがに唖然とする森也にいきなり抱きついた。首筋に両腕を巻きつけ、抱きしめる。
「何すんだ、いきなり」
「あっはっはっぁっ! かわいげのないやつだと思ってたけど、けっこうかわいいとこあったのねえ。そんな風に思ってたなんて」
「いいから、はなせ!」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。いまのあんたはまともな社会人だからね。胸を張って妹の前に立っていいわよ」
「いいから、はなせ、頭をなでるなっ!」
古い田舎の一軒家に森也の絶叫が響いた。
やがて、サーロイン・ステーキをはじめ、高級レストランでしかお目にかかれないような豪華料理がズラリと並んだ。歓声があがり、すっかり歓迎パーティのノリで夜遅くまで騒ぎがつづいた。
そして夜。すっかり夜も更けた頃、菜の花とさくらはようやく家路についた。菜の花はまだまだ宴会をつづける気満々だったのだが、
『お前はともかく、さくらは中学生だ。あまり遅くさせるわけに行かないだろ』
と、森也が追い出したのだ。
「ほら、姉さん。ちゃんとして」
さくらがすでにベロンベロンになっている姉を何とか歩かせようと四苦八苦している。
「あ~、らいじょうぶ、しんぱいなひって……」
言っているそばから転びそうになる。それをさくらがあわてて支える。
「……あの、姉さん」
「らあにい?」
「あたし、やっぱり、学校の寮に入る。バイトもよそを探す」
「らんでえ、どうしてえ~?」
「だって……兄さん、あたしにいられるの迷惑みたいだし」
「なあに言ってんの、こんなかわいい妹にそばにいられて迷惑な男なんているわけないじゃない」
「兄さん……きっと、あたしのこと、恨んでると思うから」
「なんで、あいつがあんたを恨むのよおっ?」
「だって……兄さん、いつもあたしと比べられてひどい目にあって……あたしさえいなかったら……」
「なあに言ってんの。あいつがいちばんひどい目にあってたのは幼稚園の頃よ。つまり、あんたが生まれる前。あんたが生まれてからはずいぶんましになったのよ」
「でも……」
いきなり――。
「あっはっはあ」
「きゃあっ!」
菜の花は妹の頭をかきむしった。
「ほおんと、あんたってばかわいいい妹だわあ。らいじょうぶ、らいじょうぶ、このたのもしいおねえたまに任せておきなさい。ちゃんと、面倒見てあげる、か、ら……ぐ~」
「ちょ、ちょっと、姉さん! 起きて、こんなところで眠らないでぇ!」
さくらの悲鳴が夜道に響いた。
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