二七章 嫁入り道具は富士山で

 「なんだとおっ!」

 富士山は……神奈川のものだ!

 森也しんやのその宣言に――。

 あきらとトウノのふたりが一斉に森也にかみついた。それはもう、『女』としてあるまじき、顔中を口にしての大絶叫で『文字通りに』森也にかみつくのではないかと思わせるほどの勢いだった。

 とは言え、実際に声に出して叫んだのはこのふたりだけだったが、その場にいる全員が内心では同じ叫びを発したことだろう。富士山論争の根深さも、あきらとトウノのこのやり取りがすでにルーティン化しているこも知らない、さくらただひとりをのぞいては。

 ――富士山は果たしてどこの所属か。

 それは神代かみよの昔からつづく果てしのない論争。しかし、それはあくまでも『静岡、山梨、どちらのものか』という意味であって、他の県が関わってくることなかった。

 当たり前だ。富士山は静岡、山梨の両県にまたがっているのであって他の県には隣接すらしていないのだから。他の県がこの論争に関わる余地などないはずだった。ところが――。

 森也は、そのないはずのないことをはっきりと言ったのだ。

 富士山は神奈川のものであると。

 驚き、いぶかしむのが当然だった。

 「富士山が神奈川のものとはどういうことだ その暴言、いかにきさまと言えど許さんぞ」

 「そうよ! いくらあーくんでも言って良いことと悪いことがあるわ!」

 あきらとトウノが口々に詰め寄る。

 先ほどまで角突き合わせていたのもどこへやら。見事に息の合った口撃である。

 あのふたり、本当に仲良いよなあ。

 ルーティン化した富士山論争を見るつど周囲がそう感想をもらすのがよくわかる息のあいかただった。

 一方、ふたりがかりの口撃こうげきを受けた森也はあくまで平然としていた。冷静な表情を崩すことなく、言ってのけた。

 「理由はもちろん説明してやる。心して聞くがいい」

 そう前置きしてから重々しく語りはじめる。

 「この間、何気なく地図を見ていたらすごいことに気が付いた」

 「すごいことだと?」と、あきら。

 「そうだ。神奈川県の形だ。神奈川は片脚をあげた犬の形をしている」

 「ああ、たしかにそう見えるけど……」と、トウノ。

 思いがけない話題が出たことで毒気を抜かれ、冷静さを取り戻したらしい。素直にうなずいた。もっとも、すぐに怒髪天を突いて叫ぶことになるのだが。

 それは、藍条森也の次の一言によってだった。

 「そして、だ。神奈川犬の股間からまっすぐ線を引くと富士山に至る。つまり! 神奈川は富士山にマーキングしている!」

 その一言に――。

 あきらとトウノ、そのついでにその他大勢の連載陣の顔色も見事にかわった。ただし――。

 あきらとトウノは真っ赤に、他のみんなは真っ青に。

 あきらとトウノの顔色がかわったのは怒りのあまりであり、他のみんなの顔色がかわったのは『よりによってなんてことを言うんだ!』という怯えによるものだった。

 「きさまあっ! 我らが霊峰れいほうになんて真似おをっ!」

 ふたりの怒りの叫びがこだまする。

 叫びとしてはふたり分だったが、その後ろに全静岡県民及び山梨県民の声なき声がつづいているのは明らかだった。地獄の底から完全武装の鬼たちが現れて、長槍を構えて密集陣形で突進してくるかのようなその叫びを受けて、しかし、森也は決して砕けぬ冥府の門のごとく屹立きつりつしていた。ふたりの叫びを堂々たる態度と冷徹な視線で跳ね返し、言ってのけた。

 「なんとでも言え。マーキングしているからには神奈川のものだ。と言うわけでだ。富士山以東の山梨、静岡は富士山を嫁入り道具に神奈川に嫁入りしてこい」

 「なんだとおっ⁉」

 思いもかけない提案にふたりはまたも絶叫する。

 さっきまでハラハラしどおしだった周囲の連載陣もいまでは次の展開に期待する表情になっている。やはり、マンガ家、『意外な展開』には弱い。何より、森也がふたりの口撃を一身に引き受けてくれたことで自分の身に火の粉が降りかかる心配がなくなったのが大きい。リスクは森也に任せて安心してつづきを『読む』ことが出来る。

 空はキラキラしたまっすぐな瞳で『森也先輩』がどんな手を繰り出しくるか注目しているし、兼人勝利も他の連載マンガ家の背中からそっと顔を出して様子をうかがっている。

 さくらはと言えば、相変わらず何が起きているのかよくわからないながらに兄の姿を見つめている。

 唾を飛ばして絶叫するふたりに対し、森也はあくまでも『青っぽく』冷静に指摘する。

 「地図を見ていてすごいことに気が付いたと言っただろう。実は、それがもうひとつある」

 森也はそう言うとスマホを取り出した。

 神奈川とその周辺の地図を表示し、要所要所を拡大しながら説明する。

 「いいか。神奈川には世界の玄関口としての横浜港がある。そして、一方には富士山がある。この両地点をつなげる周回ルート上をよく見ろ。古都鎌倉があり、温泉地熱海、伊豆があり、サファリパークがあり、遊園地があり、自然の宝庫、相模原がある。つまり、だ。横浜港と富士山をつなげる周回ルート上を巡ればほとんどどんな人間にも対応出来る観光ルートができあがる、と言うことだ」

 「おお……」

 「た、たしかに……」

 言われてあきらとトウノのふたりも納得した。

 言われてみればたしかに横浜港と富士山を繋ぐルート上には幾つもの観光地がある。森也はつづけた。

 「これで、横浜港に未来の技術にふれることの出来るテーマパークを作れば完璧だ。動物好きの子供から、歴史好きの歴女れきじょ、温泉で癒やされたい苦労人、自然を満喫したいナチュラリスト、最先端の技術にふれたいバリバリのビジネスマンに至るまで、あらゆる人間に対応出来る完璧な観光ルートができあがる。これだけの観光資源があれば海外からの観光客年間一〇〇〇万など余裕だ。これだけの資金源と神奈川の人口があれば本気で独立国家『富士幕府』を作れるぞ」

 「おお……!」

 と、あきらとトウノはもとより、その場にいる全員の口から感嘆とも、陶酔とも言える酔いしれた声がもれた。

 「富士幕府が誕生すればそこにはもはや静岡も山梨も、ついでに神奈川もない。すべてが『富士幕府』というひとつの国だ。当然、『富士山はどこの所属か』などという問題は消えてなくなる。富士幕府というひとつの国の所属になるんだからな。

 想像して見ろ。

 このまま静岡山梨論争などつづけていて何になる? そんなことをしている間にも富士山は汚れ、ゴミに埋もれ、その価値を減らしていく。しかし、富士幕府が誕生すればそんな不毛な論争に労力を費やす必要はない。国民全員が心をひとつに富士山をあがめ、富士山をたたえることが出来る。そうなればゴミ問題にも力を合わせて対処出来る。ゴミ問題の解決さえ出来れば念願の富士山世界自然遺産登録だって目の前だ」

 おお、と、再び声がもれる。

 富士山世界自然遺産登録。

 それは全富士山過激派の見果てぬ夢。

 富士全域を覆うゴミ問題によって挫折させられた大望。

 それが手に入ると言うのだ。

 富士山過激派であれば誰でも心を寄せずにいられない言葉だった。

 「そもそもだ」

 森也はそう言ってからつづけた。

 「『おれたちの国』を作ることにしたのはなぜだ?

 『誰もが自分の生まれた場所に縛らることなく、自分の望む人生を生きられるするため』だ。

 それなのに、その参加者が自分の生まれに縛られて論争などしてどうする。とくに、赤岩あかいわ、トウノねえさん。ふたりはこのなかでダントツの人気を誇るツートップだ。それぞれに先頭に立つ立場だ。そのふたりの諍いはまわりにも悪影響を及ぼす。世間的にも評判を落とす結果になる。

 この場で選べ。

 不毛な争いをつづけ、富士山をゴミの埋もれさせるか。

 それとも、心をひとつに合わせて富士幕府を作りあげ、『生まれた場所に縛られず、誰もが自分の望む暮らしを作りあげることの出来る』世界を手に入れるか。そして、霊峰富士を新しい時代の象徴して全世界に君臨くんりんする存在へと育てるか。

 どちらがいい?」

 「決まっているだろう!」

 「もちろん! 富士山を世界に君臨させるほうよ!」

 だったら」と、森也はふたりの叫びに応じてうなずいて見せた。

 「何をするべきかはわかるよな?」

 「む……」

 言われてあきらとトウノ、人気ツートップのふたりは互いの顔を見合わせた。

 最初はやや気まずそうだったが、先に意を決したのはやはり、性格がおおざっぱな分、切り替えも早いあきらの方だった。

 「……たしかに、本来の趣旨しゅしを忘れていたようだ。共に『おれたちの国』を作るために集まった同志。いさかいあうのではなく、力を合わせ、夢を現実のものにしていくべきだな」

 「そうね。あたしたちの夢、富士幕府実現のために」

 「うむ」

 ふたりはそう言うとどちらともなくてを差し出した。ふたつの手が重なり、しっかりと握手を交わす。

 おお、と、まわりから感嘆の声がもれた。

 ベタなれど、だからこそ感動する王道展開。ふたりの背後から後光が差して見えるような光景に、居並ぶマンガ家たちは感動の渦に飲まれていた。

 「な、なにが起きたのかよくわからないんだけど……」と、唯一の非マンガ家であるさくらは言った。

 「でも、なんかすごい。あれだけ言い合ってたのをあっさりまとめちゃった」

 「あれが、森也先輩の調整力です」

 空が自分のことを自慢するように言った。

 「森也先輩は共通の目的を示して団結させるのがすごくうまいんです。それも、『ソーシャルコミック』の先生方が森也先輩を頼りにする理由のひとつです」

 「……そうなんだ」

 さくらは呟いた。

 実家にいた頃の森也からは想像も付かない。一体、いつ、どこで、どうやってそんな能力を身につけたのか。

 またひとつ、兄の秘密にふれたようで興味を惹かれるさくらであった。

 そこから話は急転直下。あきらの提案で『富士幕府生誕を目指して、パアッと行くぞ!』とのことになり、宴会へと突入した。

 山ほどの酒が買い込まれ、カラオケセットが全力全開し、森也がさくらと空をアシスタントに次からつぎへと料理を作る。そのなかであきらによる所信しょしん表明ひょうめい演説えんぜつが行われた。

 「我々はここに誓う! 誰もが自分の生まれた場所に縛られることなく、自分の望む暮らしを作りあげることの出来る世界を実現することを。そのモデル地区としてこの地に富士幕府を作りあげることを!」

 宴会は大盛り上がりのうちに幕となり、集まった顔ぶれはそれぞれに帰っていった。

 森也もさくらを連れて帰ろうとした。そこに、トウノが声をかけてきた。

 「あ、ねえねえ、あーくん。そろそろまた家に来て欲しいんだけど……」

 「わかってる。近いうちに行く」

 その言葉にトウノは破顔一笑。

 「ありがとお~。愛してるからねえ~、あーくん。まってるからねえ」と、手を振りながら駆けていく。三〇過ぎだというのにこのあたりの天真爛漫さはまるで幼女のよう。

 さくらが森也に尋ねた。

 「近いうちに行くって?」

 「デビュー当時にアシスタントとして雇ってもらったと言ったろ。そのとき、アシスタントだけじゃなくて家事もやっていてな。見た目でわかると思うが本人、家事全般まるっきりだめだからな。で、それ以降も家事代行として雇われることになった」

 マンガ家としての本職からは外れるが、売れない崖っぷちマンガ家としては貴重な収入源だった。

 「へえ。マンガ家って色々やるんだ」と、実体を知らないさくらは素直に納得した。

 森也はそんなさくらの顔をじっと見ている。

 さくらはふいに恥ずかしくなった。

 「な、なに……? そんなじっと見たりして」

 「ちょうどいい。お前も付き合え」

 「えっ?」

 「引き合わせたい相手がいる」

 「引き合わせたい相手?」

 森也の言葉に――。

 さくらはキョトンとした表情を浮かべたのだった。

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