城からの大脱出!

 イフリートが最後に繰り出した拳は、俺の顔面スレスレで止まっていた。あと一瞬でもスキルの発動が遅れていればやられていたのは俺だっただろう。そう考えると背筋を寒気が走る。

 目の前のイフリートからは、お菓子になったと分かっていて猶動き出しそうな迫力がある。

 だからこの怪物を倒したんだと確信が持てるまでしばらく時間を要した。


 そして、いつまで経っても動かないイフリートの様子を見てようやく自分の勝利を認識することが出来た。


「勝った……んだよな?」


 それでも信じられない気持ちからそんな疑問が口をついて出てきてしまった。

 誰に向けた訳でもない問ですらない言葉だったが、それに応える声があった。


『動かないイフリート、立っているのはあんた。どっからどう見てもあんたの勝ちに決まってるじゃない。いつまで固まってんのよ』


 そうだった。ついさっきまで話していたはずなのに、すっかりシュガーさんのことを忘れていた。

 それほど自分が慌てていたというか、意識がどっかに飛んでいたんだということを思い知らされる。


「すぅ……はぁ……」


 大きく息を吸い込み、そして長く吐き出す。


 そうして、俺の身体は膝から地面に崩れ落ちた。


 シュガーさんという自分以外の誰かに勝利を認めて貰えたことで、一気に気が抜けてしまったのだ。

 崩れ落ちた勢いそのままに全身の力も抜いて、地面に大の字に寝転ぶ。


 思い返してみても何度、死ぬかと思ったことか……


 こうして勝った今となってもまだ実感は湧いてこない。でも、それでもいい。

 俺は生き残る事が出来たんだ……あの化け物じみた強さのイフリートを倒して最後まで立っていることが出来たんだっ!


 そんなことを考えたとき、俺の目からは自然と涙が溢れていた。


「うぅ……ぐすっ……」


『えっ!? ちょ、ちょっとあんた何泣いてんのよ!?』


「ジュガーざん、ありがとうございまず!! おがげでかづごどができばした~~!!」


『ああー、分かった!! 嬉しいのは分かったから、まずはその涙とか鼻水とかでぐちゃぐちゃな顔をどうにかしなさい!』


 シュガーさんはそんな風に言うけれど、すぐに止めるなんて無理だった。

 だってそれだけ今自分が生きていることが嬉しかったのだから。

 あの怪物を見た瞬間、俺の頭にはほんのちょっぴり「もう生きて地上には帰れないかもしれない」という考えが過った。

 イフリートの存在感がそう思わせたのか、それとも俺があまりにも臆病過ぎただけなのか……きっとその両方だったんだろうと思う。

 事実俺は、あの瞬間に自分が死ぬという結果を受け入れてしまっていた。

 直後にシュガーさんというイレギュラーが現れたからどうにかなったものの、俺は一度だけ諦めてしまっていたのだ……


 だから今回は幾つもの幸運と奇跡が重なった結果だと思っている。

 そして<スイーツマジック>というスキルと、何よりシュガーさんという存在がいなかったらこの結果はあり得なかった。

 きっと今俺の中にあるどのピースが欠けたとしてもイフリートに勝って生き残るという結果を掴み取ることは出来なかった。

 

 本当に、本当に嬉しい……


『そろそろ落ち着いたかしら?』


「はい……すみません、取り乱しました……」


『全く、あんなのを倒したぐらいで喜びすぎなのよ。まあ激闘といえばそうだったし今回ばかりは仕方ないわね』


 やっぱりシュガーさんは手厳しいや。

 多分だけど、シュガーさんだったらイフリートも難なく倒せたのかもしれない。単なる強がりって可能性も無くも無いけど、この人の場合はそんなんじゃなくて本気で言ってるような気がするんだ。


「でも、本当に辛勝って感じでしたけどね。それにしても結局この隠し部屋ってなんだったんでしょうね? 一応ボスっぽいイフリートも倒したんですけど……」


 俺の目的なイフリートを倒すことでは無く、あくまでこの隠し部屋?のような空間を探索することだ。

 この部屋の主っぽいイフリートは倒したから、何かしらのリアクションがあってもいいと思うんだけど……

 今のところ何かが起こるような気配は無い。


「というか、この元イフリートどうするかな。さすがに食べるのはちょっとなぁ……」


 骨の髄までお菓子に変わっていることは俺自身が一番良く分かっているんだけど、どうしても抵抗がなあ……

 かといってこのまま残していくのも何となく勿体なさを感じるというか。

 そんな風にイフリート改めイフリート型お菓子の処理の仕方について悩んでいると、ここでもシュガーさんからの助言が入る。


『それなら<スイーツマジック>で取り込んじゃえばいいじゃない』


「えっ? そんなこと出来るんですか!? そもそも取り込むって!?」


『知らなかったの? <スイーツマジック>は事お菓子に関していえばほぼ万能の能力を持っているわ。だからお菓子を作れるなら、その逆に取り込むことが出来たって不思議じゃないでしょ?』


 シュガーさん曰く。

 <スイーツマジック>はスキルの介在関係無しに、お菓子であれば取り込むことが可能なんだとか。

 それによって何かメリットがあるのかと聞いたところ「片付けに便利でしょ?」と何ともつまらない回答があった。

 いやまあ確かにイフリートの攻撃を防いだ時みたいに場合によっては処理しきれない程のお菓子が発生する可能性もある。

 だからそういう場面では重宝する力なのかもしれない。現に今だってイフリートの亡骸?を無駄なく処理できそうだし。

 

 ……自分で言ってて何だけど、お菓子が発生するとか処理だとか訳分かんないこと言ってるな。


「まあ便利っちゃ便利ですね。じゃあこのイフリート菓子も取り込んじゃうか――ところで、どうやって取り込めばいいんですか?」


『簡単よ。それに触れてスキルを意識しながら、取り込むって念じればいいの』


 確かに聞いただけだと簡単そうだ。

 ともかく言われた通りにやってみようと、イフリート菓子に手を触れて<スイーツマジック>を意識する。

 そして「これを取り込みたい」と強く念じてみる。

 するとまるで身体の中に入っていくみたいに吸い込まれていき、本当に簡単に取り込むことが出来た。

 なるほど、確かにコレは便利かもしれない。


 ちなみにだが、部屋に散らばっていたお菓子はイフリートの覚醒によって発生した超高熱によって消し炭となった。

 どうにか出来る方法が分かった今となっては、改めて勿体ないことをしたと思わざるを得ない。


「よしっ、取り合えずこんなところか。しかし……本当に何も無いな。こういうのの定番ってボスを倒したら宝箱とかが出現するもんじゃないのか?」


『だったら城の中でも探索してみれば? 誘導されるみたいにこの部屋に来たんだから他の場所なんて全然見てないんでしょ?』


「それもそうか。もしかすると宝物庫的な部屋があるかもしれない。俺としては古く錆びついた聖剣とか、暗号を解くことで読めるようになる本とか、何処か別の場所を指し示す地図とかがあると嬉しいんだけど……」


 やっぱりロマンを追い求めるべきだと思うんだよ、俺は。

 確かに、確かに金銀財宝とかもロマンがあるだろう。

 そんな分かり易いロマンもいいが、やっぱり一筋縄ではいかなかったり少し癖のあるものの方が断然燃えるっ!!

 ここで財宝を手に入れてゴールじゃなくて次の冒険に繋がる手掛かりというか、そんな物の方が手に入れて嬉しい。


「よし、じゃあ早速探しに――」


 そんな一歩踏み出そうとした俺の目の前に石の塊が降ってくる。

 鼻先を掠めかねない距離に落下してきたそれは、床と衝突してドゴンッと鈍い音を響かせた。


「……なんで?」


『ああ、城が崩れてきたのね』


「なんでっ!?」


『城の主が居なくなったからよ。あんた風に言えば、ボスの居城って大抵の場合ボスの消滅と共に崩れるのが定番でしょ?』


「そういうことは早く言ってくれませんか!?!?」


 上を見れば天井から空の様子が見ることが出来た。

 さっきのはどうやら元は天井の一部だった瓦礫らしい。


 そして瓦礫の落下を皮切りに城全体が最初は静かに揺れ始めた。

 その揺れは次第に大きくなっていき、壁や床のあちこちに亀裂を入れ始める。

 強烈な強さの地震でも体験しているようだったが、地震とは違い揺れは一向の収まる気配をみせない。


「これは、マジでヤバい……とっとと逃げる!!」


 俺はイフリートがいなくなったことで開いた扉を潜って、元来た道を走って戻った。

 その間にも階段は途中で崩れるし天井から瓦礫は降ってくるしで大変な目に遭いながら走り続けた。

 そして、やっとの思いで城の外に出たのだが――


「な、何だコレ!?!?」


 城から出れば安全だなんて考えていた自分がいたが、そんな考えは外の風景を見て全否定された。

 入ってくるときに見た樹々も、地面も、空もその全てが崩壊を始めていたのだ。

 空間に亀裂でも入ったかのように空が割れ、地面に出来た底の見えない亀裂に樹々が吸い込まれていく。

 世界の崩壊を目の当たりにしたかのような風景が、そこには広がっていた。


『空間そのものが崩壊を始めてるわ!! 早く逃げなさい!!』


「言われなくても――!!」


 とにかく、ここに来るときに通ったダンジョンとここを繋ぐ扉。 

 あそこに戻りさえすれば安全なはず。さすがにダンジョンが崩壊するってことは無いだろうから、大丈夫――のはず。

 そこから全力疾走で扉までの道のりを駆け抜けた。

 地割れを飛び越え、倒れてくる樹々を避けて。城の中からの脱出と同じ要領で扉までの距離を縮める。


 そして空間に入った亀裂がもう限界に達したのと同時に――俺は扉に飛び込んだ。

 俺の身体が完全に扉を潜ると「バタンッ!」と大きな音を立てて扉がひとりでに閉まったのを視界の端で捉えた。


「ぶべっ!?――いってぇ……」


 飛び込んだ勢いそのままに顔面を強打する。

 一瞬鼻が曲がったかと思う程の激痛があって、暫くの間その場でのたうち回った。

 いくら急いでいたといってもわざわざ顔面から飛び込まなくても良かったかもしれない……

 というか受け身ぐらいちゃんととれよ俺っ。もしくは背面跳びの要領で背中から行くとかさ?

 ……どっちにしろ痛そうだった。


「鼻、曲がってないよな……?」


 少しずつ痛みが引いてきたので恐る恐る顔を触ってみる。

 擦りむいている箇所や打撲のようになっているところはあるものの、どうやら骨折とかは無いように思えた。

 いや、俺自身人生で一度も骨折とかしたことないからよく分からんのだけど。

 地上に戻ったら、一応病院にでも行った方が良いかもしれない。顔というか頭の怪我だから何かあったら大変だ。


 そんなことをしながら、今さっき自分が通って来た扉の方を見る。

 音からして勝手に閉まったのは分かってるんだけど――


 そこにはこの隠し部屋に入って来たときと同じ、古ぼけた壊れる寸前だった状態に戻った扉の姿があった。

 さっきまでの神聖さすら感じさせるような雰囲気は欠片も残っておらず、輝きを失いまるで役目を終えたかのような状態だった。

 おっかなびっくりドアノブに触れてみるが、今度は何の変化も起こらない。

 一回きりの現象だったのか、それとも同じ人物には一度しか使えないのか。真相は不明だが、もう俺が触れても反応しなくなっているのは確かだった。

 ひょっとすると時間経過でという可能性もなくはないが、それは今すぐ確かめられる事じゃない。


「ここまできて言うのも何だけど、夢でも見ていたみたいな体験だったなあ。ねえ、シュガーさんもそう思いませんか?」


 しかし、その問い掛けに対する応えは何時まで経っても返ってこなかった。


 現れた時と同じように、急にいなくなってしまったようだった。

 元々、正体不明な人?だったから突然消えること自体に驚きは無いけどせめて別れの挨拶とかお礼ぐらいは改めて言わせて欲しかった。

 ただ、俺としては名残惜しい気持ちはありつつも不思議と悲しいという想いは無かった。

 何となく、その内またひょっこり現れるようなそんな気がしていたから。

 だから今度話せるようになった時にまた今回の事について色々と話したいと思う。

 

「さて、じゃあ俺も一度地上に戻るか。桃木さんのこの隠し部屋のこととか報告しとかないといけないからな」


 俺としては一度体験したし、もっと言えばイフリートみたいな化け物ともう一度戦うのは二度と御免なので後の詳しい調査はギルドに任せようと思う。

 それに収穫は十分にあったからな。

 意識すればイフリートと戦った時の、スキルの感覚を身体が覚えているのが分かる。

 俺としてはこれだけでも十分に今回の探索の意味はあったってもんだ。


「よしっ、帰るぞ~!」


 そうして俺は隠し部屋を後にした。

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