炎魔イフリート

 青い炎は古き時代にその場所に封印された。

 それまでは城を拠点として数多の軍勢を率いる大悪魔として君臨していた。

 その名は――『イフリート』。


 あらゆる炎を自在に操り、その身から溢れ出す青い炎は一歩踏み出せば大地を焼き敵に向ければ悉くを灰燼に帰した。

 だがその結末は封印されることになり、イフリートは忘れたくても忘れられない程にそのことを強く恥じていた。

 しかし封印された身ではその場から動くことも出来ず、多少揮える力とて全盛期に比べれば雀の涙程度でしかない。


 そんなイフリートのやり場の無い怒りを慰めたのは、時折迷い込んでくる人間を弄び、そしてその絶望と共に喰らうことだった。

 イフリートのような悪魔にとって、絶望の感情は甘美なご馳走であると共にエネルギーにもなる。

 封印によって削られた力を取り戻す為に、イフリートは迷い込んだ人間は全て自身の復活の為の養分としてきた。


 それが何人か、何百人か、何千人かなど覚えていない。


 それにかかった時間が何年か、何百年か、何千年かすらも覚えていない。


 ただひたすらに、時折やって来る人間から絶望の感情を引き出し喰らう。そこから得られるエネルギーを滴る水だけでプールを満たすように貯め続けた。

 そうしてようやく復活に必要なエネルギーまであと一歩というところまで来た。

 最後の養分としてやって来たのは、弱そうだが妙に上手そうな気配を発する人間の男だった。いや男というより少年と青年の中間ぐらいの年の頃か。

 事実、イフリートの目から見てその人間はこれまでにやって来たどの人間よりも弱く見えた。

 貧弱な魔力に、大して鍛えられて無さそうな手足、明らかに戦闘経験が薄そうな歩き方など。長き時を生きているイフリートにとって、それらの情報から人間の強さを計るなど容易かった。


 だからこそ――イフリートは目の前の光景が信じられなかった。


 ただのエサとしか認識していなかった人間が、自身の分身たる炎の騎士を喰らっていた。

 単に炎を喰っていることは驚きに値しない。それだけであれば少し特殊な構造をした人間程度にしか思わなかっただろう。

 しかし、あの騎士の炎はただの炎ではない。自身から溢れ出る炎を使って作った、謂わばイフリートの分身のような存在なのである。

 直接揮わない分力は落ちているだろうが、それでもただの人間が取り込めば内から焼き尽くされるのは変えようの無い事実――のはずだった。


 そんなイフリートの考えを真っ向から否定するように、人間はいつの間にか一体の炎の騎士を喰い終えていた。


 なんだ? これは一体何なのだ……?


 あの人間は何故自身の炎を喰うことが出来るのか。さっきまではそんな素振りすら見せなかったのに、どうして突然あんな行為を始めたのか。

 そして何より、自身が感じているこの背筋を駆ける怖気はなんなのか……そんなイフリートの考えが纏まるよりも先に人間が動いた。


 様子を確かめる為に送り出したもう三体の騎士にも手を伸ばし、その身体を喰い始めたのである。


 確かに油断はあったかもしれない。しかし決して慢心はしていなかった。

 最初におおよそ自分が見立てた相手の実力よりも一段弱いぐわいの騎士を出して様子をみた。

 もちろん後の絶望を高める為の演出の意味もあったが、それ以上にかつての経験が人間を警戒するようにイフリートに告げていたのだ。

 そして人間の強さが自分が見極めた強さと大きな違いが無いことを確認してから、最後の仕上げを行った。

 

 その段階で既にあの人間は満身創痍、自身が止め様に用意した騎士によって瀕死の状態にまで追い込まれていたはずだった――


 そこまで考えた時にイフリートの脳裏にある可能性が浮かんできた。


 あの人間を追い込んだ、そう追い込んでしまった。

 精神的にも肉体的にも死ぬ寸前まで追い込んでいた。


 生物とは、死の間際でこそ輝くことがある。

 イフリートは封印される以前、戦いに明け暮れていた頃に何度もそれを見たことがある。

 何処にそんな力が残っていたのか、何を糧にそれ程までに力が湧いてくるのか。

 自分自身とは無縁だったが、敵の中にはそんな現象を見せた存在もいたことを思い出したのだ。


 しかし目の前の人間のは、明らかに異常だ。


 見れば最後の一体となった炎の騎士を喰い終えるところ。

 イフリートは即座に全力でもってあの人間を殺す決意をした。これまでに溜め込んだエネルギーを使うことになってしまうが、あの人間に自分を殺せる可能性がある以上もう油断は出来ない。

 それにむしろ、あれ程の力……自分の中に取り込めば使った分ぐらいすぐに補充できるだろうという思惑もあった。


 決断すれば行動までは早い。


 これまでに作り出した炎の騎士レベルでは相手にならない可能性が高い。それに数を増やしたところでそれを喰われてしまってはイフリートだってジリ貧に陥る。

 故に、今の自分に作れる最大の力を持った炎の人型を二体作ることにした。


『どうやらその騎士達では力不足だったようだな。では新しく用意したキング女王クイーンの相手をしてもらおうか』


 先程までの騎士とは姿形も異なっていれば、内包する力も桁違いの二体の炎の人型。

 その二体はイフリートの指示と同時に飛び出した。


『行け――』


 あの二体であれば騎士のように無様に喰われるようなことは無いだろう。相手は厄介な力を持っているようだから、多少苦戦するかもしれないがそれでも勝つのはこっちだ、と。


 イフリートはほぼ確信を持ってそう考えていた。

 何せ復活寸前まで溜まっていたエネルギーの半分を使って作り出した虎の子の二体だ。たかが少し特殊な力を持つだけの人間になぞすぐに首が飛ぶだろう。


 しかし、決着はものの数秒でついた。


 イフリートが予想打にしなかった方向で……





 身体を斬りつけられた痛みも、身体を内から焼かれる熱も。そのどちらもが一瞬で無くなった。

 あっ、これは死んだなと思った。

 死ぬ瞬間てこんなに意識がはっきりしてるんだとか、この後は地獄で裁判を受けるのかとか、出来れば天国に行きたいなとか。

 妙に頭がすっきりとしてそんなことを考える余裕すらあった。


 でも、真っ暗闇の中で何時まで経っても何も起こらない。いや、何時まで経ってもとか言っても実際にはどれぐらいの時間が経ったのかなんて分からないけど。 

 だってここ、時計とか無いし。体感的には十分ぐらいな気もするし、何か一時間ぐらい経ってるような気もする。

 退屈なとき、何かに打ち込んでるときだと時間の流れって全然違うように感じるだろ? だから体感時間なんてあまり信用出来たもんじゃないんだよ。

 だからもしかすると十分どころか一分とか、一時間じゃなくて一日だったりしても何もおかしくない。

 とは言えさすがにそこまで極端な時間だったらさすがに分かりそうな気もするけど……多分。


 不思議なことは意識だけは無駄にハッキリしている。だと言うのに体の感覚は全然無いのだ。

 全身麻酔ともなんか違うし、何となくそこに身体が無いっていうのが分かる感じ。

 だから指先一本だって動かすことが出来ない。

 ある意味、幽体離脱とかお化けになったような感覚に近いのかもしれない。

 なったこと無いから知らんけどな?


「ねえ、そろそろ何か反応してくれてもいいと思うんだけど?」


 ……あ、うん。そうだな。


 一個訂正だ。確かに真っ暗な空間なんだけど、別に何も無い訳じゃない。

 

 視界のど真ん中には、文字通りが一人映っていた。

 その女の子は山の中から無造作にお菓子を一つ手に取るとそれをむしゃむしゃと食べる。

 そして食べながら俺の方をじっと真っすぐ見ているのである。


 いやだって、あまりにも意味不明な光景だったから死後に見てる幻の類かと思って。


「幻ってのは当たらずも遠からずって感じね。でも死後ってのは完全に的外れよ。だってあなた死んでないもの」


 えっ……俺、死んでないの!?


「まあ辛うじてだけどね。でもこのままだと間違いなく死ぬわよ。具体的にはあと0.5秒ぐらいで。ああでも安心して、ここでは時間が流れることは無いからここにいる間はあなたは死なない」


 と、言われても……本当に何が何やらって感じなんだが。本当にどうなってんの?

 ていうか俺が死んでないって言うんだったら、この場所も――第一君は誰なんだよ? 記憶を漁ってみたけど君みたいな子と会った事なんてないよな?


 一度会ったら忘れない。少女はそれぐらいインパクトのある外見をしていた。

 まず小学生低学年と同じぐらいの身長と、ゴスロリスタイルの洋服。そして真っ先に目を引くピンクの髪色。あと、顔はめちゃくちゃ美少女だ。

 もしこんな子と現実で会ったことがあるんなら、絶対に忘れないであろう外見をしている。

 ゲームのキャラクターとかだったとしても印象には残ると思う。

 そもそも俺ってあんまりゲームとかする方じゃないから、知ってるキャラクター自体限られるのでそれも違う。


「確かに。こうして顔を合わせるのは初めてね。まあでもあまり会う機会も無いでしょうから私のことは適当に夢の妖精とでも思っておいて。呼びたければ『シュガー』とでも呼んでちょうだい」


 じゃあ、シュガー……ちゃん? さん?


「さん、で」


 はい、じゃあシュガーさん。この状況は一体どういうことなんですか? 俺ってさっきまで炎のモンスターと戦ってて死ぬ寸前だったと思うんですけど?


「そうだったわ。まったく……あんな蝋燭の火みたいなのに殺されそうになるなんて情けない限りね。お陰で私が出張ってくる羽目になったんだから、あなたにはもうちょっとしっかりして欲しいわ。というか弱すぎなのよ! もっと鍛えなさい! それからスキルを有効活用しなさい!」


 うわ、なんかボロクソに言われてる……

 しかもあの炎の化け物を蝋燭の火扱いとか本当にこの人なんなの? なんか色々あり過ぎて全然頭に入ってこないんだけど。


「いいこと? 私からすればなんであんな雑魚に苦戦しているのか理解に苦しむの。だから治療は手伝ってあげるから、さっさとあの燃えカスをさっさと倒してきなさい!」


 あ、蝋燭の火から更にランクが下がってる。

 

 それはともかくとして、そう言われて倒せたら苦労してないんですけど!? 全力で戦って倒せなかったから今こうなってる訳で!

 それとも何ですか? あの化け物の弱点でも教えてくれるんですか?


「はぁ、あんた本当に何にも分かってないわね~……もういいわ。言葉で説明するのもじれったいし――ちょっと身体貸しなさい。そんであんたはそこで見てて」


 俺の呼び方も「あなた」から「あんた」に変わった。これってもしかして格下げされたってことなのか?


 ――いやいや、そんな事よりも身体を貸してくれってどういうことだよ!?


「言葉通りよ。じゃあちょっと失礼して――」


 すると、身体の感覚は戻らなかったが視界だけがクリアになった。


 俺を殺そうをしていた騎士とその奥に巨大な青い炎が見える。そこに写ったのは間違いなくさっきまで俺がいた空間の光景だった。

 そして動かないはずの身体が俺の意思とは関係無しに動き始めた。

 宙をさ迷った右手は確かに騎士の頭を掴み、その頭から

 そしてあろうことか、右手はその炎を自分の口元に持っていった。

 何してんだ!?と止めさせようとしても身体はまるっきり俺の指示には従わない。


 そして青い炎が俺の口に運ばれ――


 最初に感じたのは甘みだった。爽やかなスーッとするような甘みだ。

 あまり味わったことの無い味だけど、近い物で例えるとするならソーダ味みたいな感じ。 

 あれをもっと爽やかに喉ごしを良くしたらこうなるんじゃないかと思う。


「ああ……んだな……」


 そんな言葉が口をついて出ていた。


「あっ!? ちょっと急に横入りしてこないでよね! あんたはまずそこで大人しく見てなさいって言ったでしょ!」


 今度は俺の口からシュガーさんの口調でそんな言葉が発せられた。もちろん俺が言おうと思って言った言葉じゃない。

 間違いなく今の言葉を喋ったのはシュガーさんだ。

 身体を借りるって、本当に借りるってことだったのか……


「そんなことはどうでもいいの。それよりもしっかりと見て、そしてしっかりと感じなさい。<スイーツマジック>の力はあんたが想像しているよりももっと凄いんだから!」


 そうしてシュガーさんによる、炎の騎士の蹂躙が始まった。

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