エピローグ【後】

 部屋から出て行った健司の姿を新宿ギルド支部長――鳴雷凜なるかみ りんは口元に微笑みを浮かべながら見送った。


「……どうだった?」


 すると凜は自分以外誰もいないはずの部屋の中でそんな問い掛けをする。

 それはまるで誰かからの返答を確信しているかのような言葉だった。


 少しして、部屋の隅の景色がぼんやりと陽炎のように揺らめき始める。

 そしてその陽炎の中には徐々に人影が浮かんできたかと思うと、さっきまで誰もいなかったはずのその場所に一人の男が立っていた。

 それは新宿ギルド副支部長である来道らいどうの姿だった。

 姿を見せた来道は凜の問い掛けに面倒臭そうな顔をしながら応える。


「というか、そもそも僕が姿を隠す必要ってありましたか? 一応彼とは顔見知りですし、副支部長だって立場も知られてるんですけど?」


「そこはほら、あれだよ。その方が何か面白いじゃないかっ」


「……聞いた僕が馬鹿でしたね。本当に勘弁してくださいよ。桃木さんからの視線が滅茶苦茶厳しかったんですよ? お前そこで何してるんだって……視線だけで胃に穴が空くかと思いましたよ」


 来道の言う通り、健司はその存在に一切気付いていなかったが桃香は部屋に入った直後から気付いていた。

 健司が報告を行っている最中にも来道の方に視線を向けては訝し気な視線で「何やってるんですか?」と問い詰められていたのだ。

 もちろんいくら問い詰められたところで、姿を現すわけにもいかない。

 いや、表しても良かったのだがさすがにタイミングを逃し過ぎて不審者になる未来しか見えなかったので本気で遠慮していたのだが。


「まあいいじゃないか。君の隠形を見破れるのなんてこのギルドには彼女ぐらいしかいないんだから大丈夫だって」


「いや、何も大丈夫じゃ無いんですけど……はぁ、もういいです。それで? どうだったって何がですか?」


「そりゃあもちろん件のアンドウくんだよ! 私は会うのは今日が始めてだったけど、君はそうじゃないだろ? 何か変わった様なところはあったかい?」


「今朝会ったばかりなのに何が変わるっていうんですか――と言いたいところですが、まあ男子三日合わざればってやつでしたね」


 まあ三日どころか数時間足らずだったんだがと内心で零す。

 来道はついさっきまで緊張した様子で報告を行っていた健司の様子を思い出していた。

 変わったと言っても、なにも見た目とかそんなところで判断した訳じゃない。

 健司の纏う空気が変化していたのを来道は敏感に感じ取っていた。


「まず何というか自信がついたって感じでしたね。これまでは何処か地に足が付いていないようなところがあったんですけど、それが落ち着いたように感じました」


 今日の健司のような変化を来道は幾度か見たことがある。

 それは何か大きな壁を乗り越えた人間が纏う、特有の空気感だ。

 恐らくは報告の中で話していたイフリートという強大な存在への勝利。その経験が健司の中で大きな達成感になり、自信へと繋がっているのだろうと推測できた。


 そしてもう一つ、それは来道自身上手く言葉に出来ないような変化だった。

 部屋に入って来た健司を見た瞬間に、来道は大きな違和感を感じていた。

 今朝、ダンジョンの前で出会った時には感じなかったもの。それどころか、これまで健司を観察していて一度も感じたことが無かったもの。

 そんな気配を突然放つようになった健司に、来道は始め本当に同一人物なのか疑ったぐらいだった。

 双子の兄弟だと言われた方がまだ納得いっていたかもしれない。

 しかし、それは紛れもなく安藤健司本人が放っていたものだ。


「それから何というか、人並な表現ですけど一回り大きくなったというか。底が見えにくくなったみたいな感じがありました。恐らくですけど、実力的にもユニークスキル保持者に相応しいものを身につけつつあるんじゃないんでしょうか?」


 思い出すのは、この新宿ギルドに始めて現れたユニークスキル保持者の男だ。

 その男は健司とは異なりスキルも、そしてステータスにおいても圧倒的な強者であった。

 次々とダンジョンの攻略階層を伸ばしていき、今の新宿ダンジョンの到達最深部もその男が残した記録なのである。

 現在は新宿ギルドから離れて別の場所で活動をしているが、活躍の声はしっかりと聞いていた。

 そしてその男のステータス取得に立ち会った職員こそ、来道だったのである。

 その時に感じた得も言われぬ強者の気配。まだまだ未熟ではあるが、それに近しい気配を健司からも感じていた。


 凜は来道の言葉を楽しそうに聞いていた。


「なるほど、やっぱり隠し部屋でアンドウくんにとって重大な何かがあったのは間違いないみたいだね。それはやっぱり彼のユニークスキルに関連することなんだろうか」


「さあ、彼自身は何も言っていませんでしたし。そうであるともないとも言えますね。というか、よくそこら辺のこと追求しませんでしたね? 何かしら隠し事をしているのは明らかだったのに」


 健司本人は上手く誤魔化せていると思っていたが、実はスキルについてなど話していないことがある事はあの話を聞いた三人全員が気付いていた。

 というか途中から急に話が飛び飛びになったり、何かをぼかしながら話しているのは百人聞けば百人が気付くぐらい分かり易いまであった。

 だからこそ性格的に気になる部分はとことん追求すると思っていた凜がそこを深堀しなかったことに疑問を抱いていた。

 そんな来道の言葉に、凜は肩をすくめて苦笑する。


「そりゃあ私だって空気ぐらい読めるさ。君の見てただろう? 彼の隣の保護者が凄い顔でこっちを睨んでたの。もしあそこで追及しようものなら、強制的に黙らされていたに違いないよ」


「あぁ……でしょうね」


「全く、桃木の奴もアンドウくんの何をそこまで気に入ったのやら。随分と肩入れしているみたいだね。彼女が一冒険者にあそこまで入れ込むなんて珍しいから驚いたよ」


 凜の知るギルド職員としての桃木は、決して深入りせず一定の距離間を保ち、その境界線を崩そうとしない性格の女性だった。

 それがまるで件の少年の保護者にでもなったかのように振舞うなんて凜にとっては青天の霹靂もいいところだったのである。

 まあ凜としては追及したらしたで面白そうだったからどっちでも良かったのだが……後が怖かったので結局流したという経緯もあったが。


「まあ安藤君の中に何か入れ込めるものを見つけたんでしょうね。桃木さんはあれで以外と熱いところがありますから。一度入れ込むと後は――ていうのは支部長だってご存知でしょう?」


「まあね、彼女とは長い付き合いだから」


 凜はで面白そうだと考え、暫くあの二人を観察してみようと判断する。

 その内もっと面白いものも見られるかもしれないと期待するのも忘れずに。

 そうしてニヤニヤする凜を見て、来道は健司たちに心の中で合掌した。

 目を付けられてしまってご愁傷様ですと同情の念だけ送っておく。


「それはともかく、ユニークスキルを持つアンドウくんの心象を悪くしたくなかったという思惑もあるよ。何せ君に調査を頼んでいた件もあるからね――ああっ、そう言えばまだ調査結果を聞いていなかったね! ついでにそっちも聞いておこう!」


「ついでとは酷い言い草ですね、まあいいですけど」


 元々来道が支部長室にいたのは、自身のダンジョンでの調査結果を凜に報告する為だった。 

 しかしそこへタイミング良く健司と桃香がやって来てなし崩しに盗聴じみた真似をすることになったのである。


「上層を中心に中層、下層も上の方だけ見てきましたが――やっぱり出てますね、兆候」


「やっぱりかあ……」


「ええ、もう間違いないでしょうね。新宿ダンジョンで『魔物侵攻スタンピード』が起きるのは」


 ――普段はダンジョンの中から出てくることが無いはずのモンスターが、その掟を破り外に出てくる現象。いや、災害のことである。

 ダンジョンが世界中に出現してから十年以上、『魔物侵攻』は過去に何度も起こっていた。

 中には一都市どころか国が崩壊したような事例すら存在する超弩級災害なのである。


 もちろんそれだけの時間があれば対策の立てようだってあった。

 しかし分かったのは今の人類には『魔物侵攻』は止める手段が存在しないということだけ。

 その為、取れる対策は外に出てくるモンスターに備えて迎え撃つという防衛手段しかない。

 せめてもの救いはこれまでの経験からその兆候が分かったというところだろうか。そのダンジョンにおいて『魔物侵攻』が発生するおおよその時期を掴むことには成功しているのである。


「時期はどれぐらいになりそうだい?」


「あの様子からするに……夏頃になるんじゃないかと。せいぜい早くて数か月、長くて半年ぐらいの猶予はあるかと思います」


「ふむ、長いような短いような時間だね……」


 『魔物侵攻』は国家規模の災害である。

 故に本当に起こるのだとすればそれは一冒険者ギルド支部だけで済む問題ではない。


「よし、ギルド本部に連絡を入れてくれ。全ギルド会議を開く必要がありそうだ。場合によっては国内の冒険者をここに集める必要があるね。そっちの準備も始めないといけないか」


 奇しくも来道が告げた時期は、健司が目標にした大冒険者大会の校内選抜が行われる時期と重なっていた。

 今回の『魔物侵攻スタンピード』がどんな嵐となって吹き荒れるのか。

 それはまだ誰も知らない。





 入学前、春休み最終日。

 俺は早朝に起きてランニングを行っていた。隠し部屋の一件があってから、以前よりも強度を上げて頑張っている。

 最近では少しずつ体力がついてきたのか、自分のペースを守れば10㎞ぐらいなら走れるようになってきた。

 現在の目標はペースを上げてもっと短時間で走り切れるようになることだ。

 学校が始まったら朝も忙しくなるだろうから、今みたいにのんびり走ってはいられなくなる。

 でも距離を落とすとかはしたくないから、そこは頑張りだ。でもステータスを取得した影響なのか以前よりも疲れにくくなっているのは行幸だったな。


 ランニングを終えて帰ってから軽くシャワーを浴びて汗を流す。

 リビングに行けば既に母さん、父さん、愛華が揃っていた。俺も席に座って朝食を食べ始める。


「そういえば健司。明日から学校始まるけどちゃんと準備は終わってんの? 最近ダンジョンにばっかり行ってるみたいだけど」


「大丈夫大丈夫! プリントに書いてあったのはちゃんと揃えてあるし、学校までの道だってランニングがてら確認してるし! 忘れ物も道に迷うことも無いって!」


「そう言って小学校の中学校の入学式の日に鞄忘れた挙句、道に迷って式に遅刻したのは誰だったかしら?」


「……はい、すんません」


 違うんだ。ほら、小学生とかって面白そうなものを見かけるとふらふらっと歩いていっちゃうだろ? 

 つまりそういうことなんだよ。


「とにかくあんたももう高校生なんだからいい加減しっかりしなさいよね。勉強だって今までよりもっと難しくなるんだから……愛華のこと先輩って呼ぶようにはならないでよね?」


「は、ははっ!? だ、ダイジョウブだって。ちゃんとするから!」


「私としては先輩と呼んでくれてもいいんだぞ? いやまずは同級生からか」


 こうなってくると形勢不利だな……


「大丈夫だからっ! 俺だって冒険者になって前よりも色々成長してるんだ! という訳でご馳走様でした! ダンジョン行ってきます!」


「あっ、ちょっと健司! 今日は入学前祝いするからちゃんと早く帰ってくるのよ!」


「分かってるってー!」


 まったく母さんは心配性だ。

 確かに今までの俺の行動を鑑みればその気持ちも分からなくないけど、俺だってちゃんと成長してるんだ。

 今更鞄を忘れたり寝坊したり道に迷ったりすることなってある訳ないよな、あはは。


 その足で新宿ダンジョンに向かった俺は、ギルドで桃木さんと少し話す。


「最近は順調ですね。そろそろ第一階層のマップは埋まるんじゃないですか?」


「はいっ! あとちょっとなんて今日の探索で終わらせるつもりです!」


「そうですか。ということは次来るときは第二階層以降に進むんですね。普通に考えれば少し遅いぐらいですけど、マップを自分で埋めようなんて考えるのは最近だと安藤さんぐらいですよ」


 そうなのか? 確かに地味な作業ではあるけど、やってみると結構楽しいのに。


「それじゃあそろそろ行きますね。帰りにまたよろしくお願いします!」


「はい、頑張ってきてくださいね」


 宣言通り、その日の探索で第一階層のマップを埋める終えることが出来た。

 帰りにまた桃木さんと話してアイテムの売却などを行って家に帰る。

 そうして入学前祝いとしてケーキとかを食べてあっという間に布団に入る時間になった。


「さて、明日からいよいよ新しい学校かあ……ヤバい。ワクワクして眠気が来ない。でもこのまま寝ないと明日絶対に寝坊するからどうにか寝ないと」

 

 そんなことを考えながら夜が更けていく。

 

 色々あった春休みだったが、明日からまた新しい生活が始まる。


 うん、楽しみだ――

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