第16話

 アオイは、と尋ねようとした丁度その時、からからとストレッチャーで運ばれる音が廊下から聞こえた。アオイが戻ってきたのだ。

 私がうたた寝をしている間に彼女はラボへ運ばれ、また疑似トワイライトへと肉体を交換されたのだ。

 数時間前まであれだけ元気だったのに、また弱々しい姿に戻っていた。私は現実を正しく認識した。これからこの光景が毎日続くのだ。朝に彼女は死に近しい姿になって戻ってくる。夜までかけて元の健康な肉体に戻っていき、朝になるとまた苦しみの渦中に連れ戻される。

 私達はそれを隣でただ見ているしか出来ないのだ。


「ごめん……ごめんねアオイ……」


 私はもう睡眠なんていらないと思った。数時間の別離が余りにも煩わしい。彼女とこれまでのように触れ合える時間は一日のほんの一部しか許されない。

 ならばもう、死ぬまで眠気眼で床を這ってしまえば良い。

 私はその日の晩、再び寝ずに彼女の側にいた。ナルミには遠慮なく帰るよう伝えた。私と違って彼には家庭がある。それに深く入り込み過ぎればその身を滅ぼす。私には失うものがそれほど無いけれど、彼には守りたいものや失いたくないものがきっと沢山あるはずだ。

 だから罪を背負うのは私だけにしたかった。この苦しみを彼にまで背負わせるのは、また別の苦しみを生むだろうと考えていた。

 次の日もその次の日も私は目を閉じなかった。意外と覚悟さえしてしまえば何とかなるもので、三日もすれば寝たいという感情は消え去っていた。

 しかし十日目の朝、私はソファの上で目覚めた。一瞬、状況が理解出来なかった。なぜ私は廊下のソファにいるのか。見回すと研究室の近くと分かった。

 からから、と聞き慣れた音が聞こえてきて、私は転げ落ちるように体を投げ出し、音のする方へと走った。

 やはりと言うべきか、それはアオイだった。ラボへ送られ、新たな疑似トワイライトを移植された後だった。

 研究室に戻り、私が床に倒れていたのを見つけたのだとナルミに説明された。そして研究室を出て近くのソファに寝かせていたのだと。


「ナルミ、これからは見つけ次第叩き起こして」


 ここ数日の不摂生のせいでがさがさになってしまった声で、それでもはっきりとそう伝えた。

 そのせいで狂ってしまおうが、倒れてしまおうが、それでも。

 どうせ世界はおかしく捻れてしまっている。高級ディナーを嗜む夜がある一方で、瓦礫の山を裸足で歩き、二束三文のガラクタを漁らなければならない十歳の少年がいる。その現実を知ったとして、私達はどうすることも出来ない。知ることのない、見ることのない世界は存在しない。国旗の色も知らない国の現状なんて、途方も無い想像力が必要になるのだから。

 だから私一人が新しく歪みを起こしたとしても何も変わらない。そういう覚悟をこの時知った。

 それから毎日、私は出来るだけ眠らないように努力した。努力しては失敗し、アオイに懺悔し、朝に怯えた。そんな非日常のような確かな日常が何年も続いた。

 おかしいな。私達は優しい未来を創っていたはずなのに。

 人間たちの悪意が、全てを台無しにしてしまった。

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