第4話

 トワイライトの本質が「模倣」にあるように、アオイの学習能力もまた「模倣」に特化していた。赤子が人間性を獲得していく過程もまた大人たちの模倣から始まるが、アオイの場合はそれだけに特化し、そしてその成長率は桁違いだった。


「おはよう」


 と声をかければ、


「お、は、よ、う」


 と返す。手を振れば同じように手を振る。恐らく同じ速度、同じ軌道を描いているだろう。

 アオイは他者の存在を認識さえしてしまえば、それを模倣するモードへと切り替わった。それはトワイライトが「地中から掘り出されたとき」に初めて模倣の性質を発動するのと同じだ。アオイの場合もそれと同じで、他者との接触が「地表へと現れる」スイッチと同義だったのだろう。

 挨拶、自分の名前、私の名前、ちょっとした会話程度は一日か二日であらかた覚えてしまった。アオイ、と呼べばフカセ、と返事する。それを自意識と呼べるのかどうかは私ではなく上層部が判断する。

 だから昨日のうちに報告書を上げた。何か動きがあるにしても数日はかかるだろうと思っていたけれど、存外アオイの成長は彼らの琴線に触れたようだった。


「これ、ケーキ」


「けぇ、き」


「そう、ケーキ。これ、美味しい」


「おいしい」


 二人で地べたに座り込み、ショートケーキを食べていた。彼女はこの日、ケーキという料理と美味しいという感情を習得していた。苺のショートケーキを美味しいと思わない人はいないだろう、という自己判断ではあるが、そもそもアオイに味覚はあるのだろうか。


「NT215500研究員、こちらへ」


 突然室内のスピーカーに声が響いた。ガラス向こうにいたのは上司だった。濃い眉毛と皺の寄った眉間から、いかにも気難しそうな雰囲気を感じて私は苦手に思っている。

 慌てて部屋を出て、彼の元へと駆けた。


「DC1408管理官、お待たせしました」


 エクリプスでは拡張現実OSと共にもう一つ義務付けられているものがある。それは管理番号でのコミュニケーションだ。

 入社時に発行される管理番号がそのまま呼び名となり、基本的には拡張現実にも表示されるその番号で呼び合わなければならない。

 しかし親しい間柄にもなれば、不便に感じてファーストネームを教えあって呼び合うようになる。だから拡張現実にファーストネームのみ表示可能には変更されたのだが、昔からいる管理職たちは頑なにその慣習を守り抜いている。

 そもそも何で本名で呼び合ってはいけなかったのか、その理由を知る者など多分もういない。ただ妄信的に守ろうとしているだけだ。

 そして現在私の上司にあたるのがこのDC1408さん。ナルミはこの人とウマが合わないらしい。パワハラだなんだと私を庇おうとするのも、彼に詰め寄る口実になるからだと思う。

 一番ひどいのは、ナルミが影でこの人を「ディック」と呼んでいることだ。DCだからディック。そういう名前も実在するけれど、今回に関しては十中八九下ネタと引っ掛けている。かくいう私も心の中ではそう呼んでいる。アルファベットと数字の羅列よりも人間らしいもの。


「報告書は読ませてもらった。頼みたい事があるんだが良いかね?」


「ええ、勿論です。いかがしましたか」


 言うまでもないが、ノーと答える事は許されない。これもまた意義の見いだせない慣習。面倒なだけの仕様プロトコルだ。


「A01の自意識確立について、直接この目で判断したい。どんなものでもいい、いくつかコミュニケーションを図ってみてもらいたい」


「承知しました。向こう側の声はモニタリングされるので、おかけになって下さい」


 ディックことDC1408さんを椅子へ促し、ガラス部屋へと入室した。


「アオイ」


 手を挙げて呼びかけると、


「フカセ、おはよう」


 とアオイも手を挙げる。今日何度目のおはようだろうか。複数回目のコミュニケーションについてはまだ学習が追いついていない。


「ケーキ、食べよう」


「ケーキ、食べる」


 食べかけのケーキを二人で食べる。


「美味しい?」


「美味しい」


 二人揃って、最後に取っておいた苺を口に含んだ。


「ごちそうさま」


「ごちそうさま」


 手を合わせてお辞儀する。このくらい見せれば十分だろう、と思い後方を振り返った。

 上司は表情ひとつ変えずにそれを見ていた。内心、マジかよと呆気にとられた。座り込んで何もしようとしなかった人形が、今は一緒にケーキを食べているというのに。

 しかしこれ以上見せ続けてもしょうがないし、一度向こうに戻ることにした。


「アオイ、またね」


「フカセ、またね」


 去り際、ふと気がついた。ああそうだ、表情を覚えさせていなかった。彼女はずっと私の笑顔を真似していたが、それ以外の表情も覚えさせなければ。

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